執筆者:上島 英郎 氏
(ロート製薬株式会社)

 ブラジルにおける企業買収の経験を可能な範囲でお話ししたいと思う。
  1. 買収のメリットとデメリット

    ブラジルへ進出するにあたって、手っ取り早いのは既存企業を買収(M&A)して進出する事である。ブラジルのようにある程度発展した国では、競合も激しく、商習慣や人々の価値観も異なる為、よほどの特異性・優位性のある商品やサービスでない限り、小さな会社を一から設立して商売を始め、発展させていくのは難しい。

    買収のメリットとしては、既に存在する事業そのものを獲得できる事、その中で機能する知識やノウハウを持った人材を獲得できる事、その事業に必要な特定の技術や施設・設備、当局の許認可を獲得でき、それらを一から獲得する為の時間や労力を全てスキップできる事であろう。しかしながら、デメリットとしては、巨額の買収費用を一度に支払う必要のある事、相応しい企業を見つけ、評価する為に調査費用や調査期間が掛かる事であろう。

    一から会社を作って輸入販売業をやった経験は無いが、ブラジルの他社事例から見ると、会社設立と輸出入の許可が出るまでに2年以上掛かっており、そこからゆっくりと商売を立ち上げて行くわけなので、私の方は企業買収で始めさせて貰って、ある程度の事業規模及び必要人員が既に存在する状態から活動する事ができ、非常に良かったと思っている。

    弊社が買収したのは2つの企業だが、交渉を行ったのは全部で6社であった。また、買収の可能性を求めて訪問した先は32社に上った。一社目の買収が成功するまでに、ブラジル市場の調査を初めてから4年間掛かっている。この4年は後で述べるタイミングの悪さが有った為でもあるので、普通はここまでは掛からないであろうと思われる。

  2. 調査方法

    では、まずどのように買収候補企業にたどり着いたかだが、当初、日本に居る間は、銀行の海外調査部、各種シンクタンクのセミナー、JETRO、日本に在るブラジル関係の協会や民間の貿易会社等あらゆる伝手を使って、市場情報を調べた。各種セミナーで講演された講演者の方々にも別途にアポイントを取って面談に伺い、ブラジルの一般的な情報や医薬品や化粧品にまつわる事情を聞きに廻った。

    ブラジルへの出張時もやはり、日系銀行やブラジル日本商工会議所、JETROのサンパウロ事務所、JICA、領事館等に情報を求めた。そこでは、市場情報その物についてはある程度得られたが、より事情に詳しい人物や団体を紹介して貰う事が多く、その紹介して頂いた人にまた別の人を紹介して頂く形で情報を集めて行った。

    医薬品関係の話は、ブラジル大衆薬協会、サンパウロ製薬業協会や当時既に存在した第一三共さん、アステラスさんから話を聞くことができ、他に紹介して貰った眼科医の方々、ブラジル医薬品卸協会、幾つかの医薬品卸会社、ブラジルドラッグストア協会、ドラッグストアの本社等から業界情報を集め、最終的に大衆薬協会の元事務局長がコンサルタントとして買収候補企業を集めてくれた。

    もっと企業買収への専門的な業態として、投資銀行・投資ファンド、大手銀行の買収サポート部門や、買収専門のコンサルタント会社も多数あるが、安く上げたい場合は1人や2人で活動しているコンサルタント会社をお勧めする。大手の投資銀行の場合、デューディリジェンス(DD)の各事務所の紹介、スケジュール管理、ファイナンシャルアドバイス等を全て頼める為、業務の丸投げが可能であるが、最終的には自社で候補企業の評価せざるを得ない為、自社内で財務的な評価ができる人材を定め、小さいコンサルタント事務所が個人的ネットワークを通じて集めてくれる情報を彼等と一緒になって分析していく方が、状況も良く理解でき、意思決定にも寄与すると思われる。また、M&Aコンサルタントは固定報酬よりも成功報酬とする事が一般的で、それは企業規模にもよるが、概ね成立した買収価格の2%から8%であり、売り手側のコンサルタント企業には買収価格を釣り上げるインセンティブが強く働く。買い手側のコンサルも買収価格が上がれば成功報酬が上がるのは同じではあるが、レター・オブ・インテント(LOI)に示した当初の買収価格から安くなれば報酬を上乗せする等の条件を付ければ値段を下げる方向へのインセンティブが働き、売り手側との値下げ交渉に熱の入る事が期待できた。

  3. 成功しなかった買収交渉事例

    i)M社
    規模の小さな比較的新しい医薬品会社で、サンタカタリーナ(SC)州の田舎に広大な敷地を持ち、利益は出ていた。SC州は産業育成の為に、自州内に医薬品産業を集積させたい計画があり、医薬品会社を集める為にICMS(付加価値税)7割引きの特典等が有った。ところが、LOIを出す段階で、オーナーが1週間雲隠れし、後で判ったのだがその間に他社と商談して、僅かの金額差で他社に鞍替えされてしまった。LOIを出すと独占交渉権が生じる為、日時を約束したLOIの受取を拒否する為に雲隠れしたと考えられた。このオーナーは半年ほど過ぎてから再度当方に接触してきたが、鞍替えした企業との商談において、リスク部分に関して直ぐには受け取れない供託金が生じる事を不満とし、再度当社側に来たのであった。当社としても実現可能性の有るリスクに関しては買収額の一部を供託金とする事は当然で有った為、供託金なしで、再交渉できないかというオーナーの希望は突っぱねた。

    ii) LA社
    売上規模はそれ程大きくなかったが、商品構成が良く魅力的であった。買収への希望価格が売上に比べて非常に高く、財務情報は口頭で簡単に言うだけで、文書では当方に示さず、自分の希望価格でLOIを出さなければ、財務情報を渡さないという本末転倒のオーナーで、企業価値の算定ができなかった。外部情報からすると利益率は良さそうであった為、個人的なレターを何度も出して面談を取り付け、翻意を促したが、ビジネスのルールに則らず、一年以上付き合ったが最後まで財務情報を出さなかった為、断念せざるを得なかった。

    iii) RO社
    政府当局が発表した医薬品GMPの強化基準に対応できず、一時期商品販売の差し止め命令を受け、売上の7割を失い、その時に支払えなかった滞納税金がその後の罰則金や金利で売上をも上回る程になっていた。我々との商談時は、既に新しいGMP基準に対応し、売り上げは取戻し、その伸びも順調で、更に次世代商品の登録も取れ、販売見通しもついていたが、滞納税金の支払いに窮した為に会社を手放すか、資本参加を募らざるを得ない状態だった。債務超過であるにも関わらず、実業が順調であるからと高めの買収価格から譲ろうとせず、価格条件が折り合わずに断念した。

    iv) O社
    オーナーは自分の決めた希望価格があり、半年以上の交渉の末、先方希望よりやや低めの買収金額で一旦合意してLOIを提出したのだが、その後オーナーの気が変わり、DDに入る前に買収そのものを断ってきた。

    v) 失敗の原因、全体として
    共通して見て取れたのは、全てが個人オーナーの会社であり、オーナーは当然に自分が育ててきた会社に強い思い入れがある為、買収価格に非常に執着したことである。冷静に一度は判断して、当方からの提示価格に納得していても、いよいよLOIを受ける段になると、もう少し高く売れるのではないか、自分はとんでもない失敗の決断をしているのではないかとの疑念が浮かび、買収に二の足を踏んだようであった。また2010年~2012年の当時、折悪く、ブラジルの医薬品業界では大型小型を問わずM&Aが多数行われて、買収市場は過熱状態であり、それぞれの取引が、一般的な企業評価を大きく上回る高値で取引されていた。日本企業も、ある大手の会社が、その客観的な企業価値に比べて非常な高値で地場企業を買収した直後であり、どのオーナー達も同じレベルで自分達の会社も売れる筈と皮算用していた事も、うまく行かなかった原因の一つであった。

  4. 成功した事例

    i) MC社
    2013年7月に最初の化粧品会社の買収がまとまった。今から成功の原因を考えてみると、以下の事が考えられると思う。

    ・対象会社が小規模で有った為、オーナーとコンサルの2名と商談し、直接先方の希望等を話し合う事ができ、意思の疎通がし易かった。
    ・化粧品会社で有った為、医薬品業界のM&Aの過熱状況の影響が少なく、買収価格の折り合いが付けやすかった。
    ・販売増の見込みはあったが、累損がかさんでいた為、オーナーが早く売りたがっていた。
    ・最初に大枠の金額で基本合意し、その後に詳細を話し合うという2段階の契約書として、早めに安心感をお互いが持ち、その後、細部の解決に相互に努力しあう雰囲気ができた

    ii) O社
    2016年10月には、次の医薬品・医療器具会社の買収がまとまった。実は、この会社は先に交渉に失敗していたO社である。O社については、交渉が破断になった後、どうなったか気になっていた。2015年頃、既に馴染みのあった個人のコンサル会社に頼んでO社の状況を確認したところ、オーナーには再交渉の意思があるとの事だった。そこで、前回の大手証券会社ではなく、当該個人コンサル会社(オーナーとは旧知)を当方の買収エージェントとし、先方も前回の大手投資銀行ではなく、やはり個人のコンサルをエージェントとして買収交渉に入った。交渉期間は1年以上になってしまったが、その分、お互いの希望がより理解でき、双方納得することができたと考えている。買収成功の要因は以下を挙げたい。

    ・既にブラジルに進出していた為、買収企業の情報が得やすく、お互いに必要な時に話合いを持つ事ができた。日本からの出張ベースだと、難しかったであろう。
    ・元々オーナー側は長年育て上げた当該企業を完全に手放すには抵抗感があった為、マイナー株主として残って貰った。口では100%買収でも構わないと言いながら、内心はそのまま関わりたいという強い気持ちが感じられた。
    ・ブラジルの経済状況が悪化し、医薬品業界のM&Aの過熱状況は収まって来ていた為、オーナー側も常識外に高い買収価格を言えなくなってきていた。
    ・お互いに個人の買収エージェントを介しながら、一緒に考えて行く交渉だった為、お互いの大事にしたい部分を概ね知る事ができた。
    ・買収価格は、先方の希望価格に向かうよう、企業価値の向上提案を組み入れた後、算定後の評価額を共有し、相互に協力して落としどころを探った。
    ・先の買収と同様に、最初に大枠の金額で基本合意し、その後に細部を詰めた買収契約書を作る2段階で進めた。

    iii) 買収交渉で気を付けたい事

    気を付けたい事は、お互いに先方は何を大事に考えていて、何を守りたいと思っているかを知る事で有り、交渉中にお互いの信頼感を高める事である。通常、先方はオーナー企業である為、好き放題に色んな事を言ってくるが、当方は上場企業である為、後で株主に突き上げられるような道理に合わない事を認める事はできない。 しかし、その中でもできるだけ先方の希望にそえる策を考えていく事が重要であり、その姿勢がお互いの信頼感を高める事になっていくと思っている。

    DDの調査会社(法務・財務・税務・薬事)は、それが仕事で有る為、微に入り細に入り、将来起こりうるリスクを上げてくる。ブラジルは訴訟社会である為、労働訴訟も盛んで、大抵の会社は幾つかの訴訟のリスクを抱えている。また、オーナーは価格を吊り上げる為に未実現の利点の数々を企業価値に組み入れるように言ってくる。買収の成否は、諦めずに辛抱強く、これらの調整ができるかどうかに掛かっている。

  5. 買収後の対応

    企業買収は、買収後が本番であると思う。残っている従業員、特に経営幹部への意識づけが大事である。従業員は会社がどのように変わっていくのかを知りたいと思っているし、自分も新しい会社に貢献して、ポジションや給料を上げて欲しいと思っている。会社運営の仕組みや制度は、どんどん良いと思う物を取り入れていけば良いのだが、それとは別に従業員の意識を一つにできるような将来のビジョンを提示し、モチベーションを上げられるかどうかがポイントである。日本の本社でやっている事をただ移植するだけでは、うまく行かないと思う。ブラジル人の常識、価値観、これまでのやり方やその理由等を勘案し、従業員に分かり易く、共感のできる企業目標を打ち立て、ビジョンを示し、折に触れてその意識を高めていく仕掛けを作り、目標を追及し続けられるのが理想だと思う。
  6. ブラジルのメリット

    ブラジルは親日的な国である。通常、地理的に遠く離れた国ほど、人々は日本や日本人の事を知らない。人々は知識があり馴染みの有る国の企業や人々の方を受け入れやすい傾向を持つと思う。これは、中東やアフリカにおける日本企業や日本人の存在感と、東南アジアにおけるそれを比べるとイメージし易いと思う。ところが、ブラジルは遠く離れているにも関わらず、人々は日本企業や日本人の事を高く評価している。これは、日系人移民の活躍によって、日本や日本人への意識が高まり、また巷に日系人が多数存在する為、人種的にも文化的にもそれほど違和感が強くは無い為であろうと考えている。TVのニュースや広告等で、先進国の事例としてアメリカやドイツと同時に日本の様子が真っ先に現れる事でも親日性が見て取れる。

    また、現在ブラジルは2015年頃から続く不況の中にある。一部産業は徐々に復活してきているが、かつてBRICSの一つと言われて、伸び盛りの国々の筆頭であった頃の状況ではない。通貨もかなり下がってきており、私が調査し始めた2009~10年は1レアル50円前後であったが、今は30円を下回っており、その意味でも現在は買収のチャンスであると思う。

    これらは、良く言われる国土の広さや人口の多さ、中間層の発達による購買力の向上等以外の日本企業の進出を後押しする要素であると考えている。日本のように消費者目線の商品やサービスはまだまだ少なく、色々とブラジルで人々に喜ばれそうな物が日本には存在する。それらを調べて進出に挑戦してみる企業がどんどん出てくる事を願っている。