執筆者:西岡 勝樹 氏
(日本旗章学協会会員)
国旗の不思議 ~その2 色~
ブラジル国旗は実にカラフルである。よく見ると国旗には4色の色が使われているのが分かる。まず、国旗の下地の色である緑色、中央にひし形の黄色、黄金色とも言われる。ひし形の中に丸い鮮やかな青色、そして白色の帯、また帯の中の文字は緑色で書かれている。ブラジル国旗はAuriverde アウリヴェルジ(黄金と緑の意)と呼ばれている。Auriは黄金を、verdeは緑を表し、黄金緑国旗となる。色に関しても法令の規定がある。1971年9月1日発布法令第5,700号第4章第28条及び第29条に国家の色が規定されている。
第28条 国家の色は緑色と黄色と規定する。
第29条 国家の色はいかなる制限を受けることなく使用できる。青と白は補助色として、同様に使用できる。
現在、国旗の色として使われている緑色と黄色は上記法令にて、国家の色と規定され、また、1889年11月19日発布法令第4号の第一条にて国家の伝統の色と規定されている。その国家の伝統の色については、ブラジル帝国国旗の影響を色濃く受けていることは先に述べた通りである。その緑色はブラジル皇帝の祖ポルトガル王家であったブラガンサ家の伝統の色、黄色は皇帝の皇妃の実家オーストリアの名門ハプスブルグ家の伝統の色である。 通説では、ブラジル国旗の緑色はブラジルの豊な自然、熱帯のジャングルを表し、黄色は鉱物資源を表していると言われている。しかし、その真実はブラジルの歴史と伝統によって彩られているのである。
国旗の不思議 ~その3 標語~
国にはそれぞれの標語がある。その標語を書きこんだ国旗は珍しいと言われる。
次の標語はブラジル国旗に見える 「ORDEM E PROGRESSO」 「秩序 と 進歩」 である。それでは、なぜブラジル国旗にこの標語が書かれたのであろうか。その不思議を紐解いてみたい。この不思議にはブラジル共和国の成立に大きな関係がある。歴史のおさらいをしてみたい。
『一八八九年、ブラジルは帝政から共和政に移行した。中略・・・、共和宣言がなされた翌日の11月16日、帝政崩壊に中心的な役割を果たしたデオドーロ・ダ・フォンセカ将軍が臨時政府の大統領に選出された。ルイ・バルボーザが蔵相、カンポス・サーレスが法相、ベンジャミン・コンスタンが陸相に就任する。中略・・・、国旗も改められた。天球の中央に「秩序と進歩」の二文字が書きこまれ、県から名称を変えた州が二〇の星として配置された。実証主義の標語である「秩序と進歩」が採り入れられたことにも共和政初期における実証主義の影響力がうかがわれる。』pp142-143 金七紀男著 「ブラジル史」
このブラジル共和国成立の歴史の上で活躍した人物が四人出てくる。デオドーロ・ダ・フォンセカはブラジルの最初の大統領として臨時政府の首班であるが、彼をその地位につけた人物で国旗の制定に大きな影響力を持っていた人物がベンジャミン・コンスタンである。ルイ・バルボーザは4日間だけのアメリカ合衆国国旗によく似た国旗を考案した人物として知られる。しかし、この四人の中にはブラジル国旗を作った人物はいない。ブラジル国旗の原案を発案した人物はミゲル・レーモス(写真1)とその弟子にあたるハイムンド・テイシェイラ・メンデス(写真2)である。この二人が現在のブラジル国旗を作った人物であり、国旗に標語を書き加えた人物である。先に紹介したデザイン画を描いた画家がデシオ・ビラ―レスである。国旗の図案には天文学の知識も必要であった。そのアドバイスを行ったのが天文学者マヌエル・ペレイラ・へイスである。
出所:http://www.igrejapositivistabrasil.org.br/igreja.html
彼らはブラジル実証教会と関係している。そもそもレーモスとテイシェイラがブラジル実証主義教会を作った人物・元祖である。ブラジル実証主義教会とはブランスの哲学者、社会学の祖、実証主義の生みの親、オーギュスト・コントが作った人類教・コント教を実践するために作られた教会である。そのオーギュスト・コントの言葉が『秩序と進歩』である。それではなぜ、そのフランスのコントの言葉が ブラジルの国旗に掲げられたのだろうか。
1889年、この年に国旗が制定されたのは前述の通りである。19世紀後半のブラジル、およびラテンアメリカ諸国はコントの実証主義の思想が幅を利かせていた。メキシコにも、この時代、実証主義教育がほどこされ、「自由と秩序と進歩」が国家の標語となったといわれている。但し、メキシコの国旗の中にはこの標語はない。ブラジルでは、帝政から共和制に変わった、その主導的立場にいた指導者の中に実証主義を掲げて国家の理想としようとした人々がいたのである。前述のブラジルの歴史のおさらいに出てきたベンジャミン・コンスタンは軍人、教育者、当時の若い軍人エリートに実証主義教育を施した人物である。彼は共和国無血革命の中心人物で、革命後の共和国政府でも主要閣僚(陸軍大臣)として新国家の行く末に大きな影響力を持っていた。そのベンジャミン・コンスタンと実証主義を奉ずる同志として、後に国旗の制作者となるミゲル・レーモス、ハイムンド・テイシェイラ・メンデスがいた。この両名が今も続くブラジル実証主義教会の元祖である。このレーモスとメンデスの発案で、コントの実証主義のモットーであった「秩序と進歩」という言葉が 国旗の中に掲げることが政府の中枢にいたベンジャミン・コンスタンによって提案され、取り上げられたということである。
メンデスは国旗についての小冊子の中で 「兄弟愛の達成を目指す」と言っている。これはどういう意味なのだろうか。 実はコントの実証主義には前期と後期に分かれる。
その後期コントの実証主義思想が人類教と呼ばれるのである。つまり、後年のコントは宗教的な要素が加わり、前期のコント実証主義とは大きく趣を異にするという、よって、実証主義の後継者たちもコントを前期のみで評価し、後期コント主義すなわち、人類教を受け入れない実証主義者もいるという。
後期コント主義は明らかに宗教であり、それを受け入れるのは困難な面もあったのだろう。ブラジルにおいて、コントの実証主義は宗教的な色を帯びてこの後期コントの人類教をも受け継いでいるのは明らかである。ブラジル実証主義教会として一宗教団体として活動しているのはそのためである。「人類皆兄弟」とよく言われるが、すなわち、兄弟愛には人類教に通じるものがあるのだろう。そして、このメンデスこそがブラジル実証主義教会の第2代の会長であった。
その人類教の中心となる思想概念、すなわち 標語と言えるのが、『愛を原則とし、そして 秩序を基礎とし、進歩を目的とすべし』『O Amor por princípio e a Ordem por base; o Progresso por fim.』。である。ブラジル国旗に見える標語「秩序と進歩」の原典である。この「秩序と進歩」こそがコント実証主義の標語である。「兄弟愛の達成を目指す」のためにメンデスは自らの人類教の人類愛 つまり、兄弟愛を国家の中心の思想にするべく、人類教の標語である「秩序」と「進歩」を国旗の中に入れたのである。それではなぜ、「秩序」と「進歩」のふたつの言葉だけなのだろうか。「愛」はどこにいったのだろうか。
国旗の中に見る運命 ~愛の行方~
ブラジル国民の国旗への愛は大変なものである、2014年のワールドカップサッカーブラジル大会や2016年のリオデジャネイロオリンピック・パラリンピックでは、町中で国旗を見ない日はなかった。ブラジル国中に国旗がはためいた。1889年11月19日に共和国臨時政府が帝国国旗の伝統を引き継ぎながら、新たな息吹として実証主義の国家建設を目論んで、コントの言葉である「秩序と進歩」を書き込んだ。
しかし、その言葉には愛が含まれているはずだった。コントは晩年、兄弟愛・人類愛を説き、人類教を唱えたと言う。その影響はメキシコ、ブラジルにも起こり、当時の共和国臨時政府にも影響があったはずである。もし本当にこの人類教の影響を受けていたなら 国旗の標語は「AMOR, ORDEM E PROGRESSO」「愛と秩序と進歩」になっていたかもしれない。それがなせ愛が消えたのだろうか。ここでもう一度、国旗制定の過程を思い出してみたい。1889年11月15日無血革命により帝政から共和制に移った。国旗は4日間国旗で知られているルイ・バルボーザ考案の国旗に決まったが、あまりにもアメリカ合衆国国旗に似ているため当時の臨時政府首班(臨時大統領)デオドーロ・フォンセッカによって拒否権発動で取り消しとなり、急遽、改めて新国旗制定となった。ここからはあくまで筆者の想像ではあるが、そのフォンセッカに国旗の変更を進言し、実証主義のなんらかの影響を施した新国旗を提案したのは共和制の推進者であり、実証主義者であったベンジャミン・コンスタンではなかろうか。さらに、このベンジャミンに強く新国旗には実証主義の標語を書かせるように迫ったのが、ブラジル実証主義教会のレーモスとメンデスの二人ではなかろうか。
三橋利光氏の著書『コント思想と「ベル・エポック」のブラジル実証主義教会の活動、勁草書房』には、コンスタンが陸軍大臣になったので 時の政府に実証主義に基づく要望書をコンスタン大臣経由で臨時大統領に提出されているという。その要望書には実証主義のモットである『秩序と進歩』を国旗に採用するようにとの要望もあったという。その結果、『秩序と進歩』の採用となったわけである。しかし、ここでも『愛』はない。同書には 1889年11月15日の2日後の17日にレーモスとメンデスはコンスタン陸軍大臣に面会した経緯があるという。つまり、レーモスとメンデスはコンスタンとこの時に国旗について話をする機会があった。ここからはあくまで筆者の想像の域を出ないが、当初、この二人の標語の原案は 「AMOR, ORDEM E PROGRESSO」ではなかったのだろうか、レーモスとメンデスはブラジル実証主義者であり、後期コントの人類教への熱狂的な帰依者でもあった。『愛』を解かないわけがないはずである。実証主義教会の正面玄関に掲げられている標語には「AMOR 愛」がある。当然、第一案としては 「愛」があったはずである。それではなぜ、「愛」を除いたのだろうか。恐らくではあるが、コンスタンが、受け入れなかったのではないだろうか。「秩序と進歩」の標語には人類教という宗教色はない。前期コントの実証主義でもこの二文字は受け入れられている。後期コントで『愛』、即ち「人類愛・兄弟愛」が加わり、人類教となり宗教色を帯びる。それゆえに、前期コント実証主義は受け入れるが、後期のコントは宗教になってしまった、コントは気が狂ったと言い、受け入れない主義者もいた。この影響をコンスタンは避けたかったのではないだろうか。新政府は国旗の標語に宗教色を帯びることになる標語を避けたかったのかもしれない。それゆえに、「愛」は必要なかったのであろう。
しかし、国旗にこのモットーが『どのような経緯で国旗に採用されるに至ったのかについては説明していない』と同書は綴っている。これはメンデスの国旗に関する小冊子にも説明していないということであるが、この経緯について「愛」の文字を入れるか、入れないということで、コンスタンとレーモス・メンデスの二人には意見の相違があり、結局人類教の影響を極力避けたいコンスタンの意見をレーモス・メンデスの二人は受け入れた形で会議は終わったのではないだろうか。 二人はこのコンスタンを通じて実証主義思想を新政府に反映しようとしていたわけであり、ここでコンスタンの心証を悪くするわけにもいかないので、結果、二人は「愛」はあきらめ、「秩序と進歩」の二語で納得した。このような内容では小冊子に書くわけにはいかない。これはあくまで筆者の推測である。
https://www.facebook.com/Incluaamornabandeira-246064368854182/
図10の国旗をよく見て頂きたい、いつもの国旗と違っていませんか。「AMOR」(愛)が見えますでしょうか。この国旗は、ブラジル国旗に「AMOR 愛」を加える運動の会のホームぺージにあった模擬の国旗である。この運動のように、ブラジル国旗に「AMOR 愛」を追記しようとする運動が、現在のブラジルに存在する。また、国会議員の中にも現在の標語を「AMOR, ORDEM E PROGRESSO」に変更しようと法案を提案しているものもいる。この法案は、Chico Alencar下院議員にて2003年PL2179号にて提出された。国旗の法令5,700号第3条第4項の標語『秩序と進歩』の部分の改定を提案している。その提案理由は実証主義にて愛が説かれており、その愛の重要性を説いて国旗には愛の追加が必要であると説く。『愛は秩序を探求し、進歩へと導く。秩序は愛を確立し、進歩を導く。進歩は秩序を発展させ、愛へと導く。』とする標語を上げ、愛、秩序、進歩は一体であると説く。
しかし、2004年11月3日にて本提案は審議会にて却下された。理由はブラジル国民の思想の中に実証主義精神が重要な立場を占めてから既に1世紀が経っており、国旗に刻まれている『秩序と進歩』という標語はすでに我々の国家意識(ナショナリティ)の表現として集団的国家の概念に無意識のうちに組み込まれているわけである。つまり、今さら実証主義の標語には愛が必要なので愛を入れろ、と言う理由は筋が通らない。100年以上にわたり、親しまれてきたこの秩序と進歩の標語を変える必要はない。と言うことであろう。これに対して件の議員さんは立法再提出を行っているようである。
実証主義の正統性など関係なく、国旗に『愛』があれば、それはそれで宗教や政治に関係なくもっと国旗に親しみが感じられ、このせちがない世の中で、心休まるのではないかと思うのは筆者だけではないと思う次第である。
おわりに
ブラジル国旗の不思議を見てきた。3つの不思議がありました。
1つは『星座の不思議』、2つが『色の不思議』、そして3つが『標語の不思議』である。それぞれの不思議にはなるほど、そうだったのか、と改めてブラジル国旗をじっくり見なおした方もおられるだろう。この拙稿の読者の皆さんが、これからブラジル国旗を見るたびに国旗の中の不思議を思い出していただければ幸いです。