執筆者:桜井 悌司 氏
(日本ブラジル中央協会 常務理事)

 海外には延べ15年半駐在した。メキシコ、チリ、ブラジル、スペイン、イタリアである。その間、多数の日本人来訪者をアテンドした。アテンドにまつわる話をしたい。

 

  • あと何回行けば帰国できるか?

    どの国でも、アテンド稼業は大変である。メキシコの場合、「テオティウアカンの太陽のピラミッド」、スペインの場合、「トレド、闘牛、フラメンコ」チリの場合、「世界遺産バルパライソやビーニャ・デル・マル」に何回行けば帰国できるかというようなことが駐在員の間で時々話題になる。私もピラミッドやバルパライソへは十数回、来訪者の案内で訪問した。商社の駐在員などは、数倍にもなろう。

 

  • 来訪者の格付けと「万遺漏無きよう」

    駐在員は、来訪者に対して、どこまでアテンドするかという判断に迫られることがある。
    企業によっては、ABCで格付けした指令が来るようだ。ある商社員から聞いた話だが、ある時、来訪者が内部資料を偶然見て、そこに自分の格付けが「B」となっていた。来訪者が、不思議に思い、早速、「このBは何ですか」と聞いたところ、駐在員は最大の機転を利かせ、「Best Treatment」の「B」ですと答えたという。その他「万遺漏無きよう」というメッセージが来ると要注意である。
  • 「VIP」は安心、「IP」は要注意万国博覧会ともなると、日本から多数の訪問者が駆けつける。VIPもいればIPもいる。多数のVIPやIPを見ていると興味あることがわかってくる。所謂VIPともなるとアテンドが大変だと思いがちだが、必ずしもそうではない。総じて、紳士淑女であり、謙虚で思いやりがある人が多い。当方のアテンドには心から感謝してくれる。
    これに対し、IPの人々は、千差万別である。IPにも、大別すると、2つのタイプに分かれる。最初のタイプは、前述のVIPのような素晴らしい人である。もう一つのタイプは、自分がものすごくエライと思っている人である。それゆえに当方が丁重にアテンドするのは当然と考えている。万博には数多くの訪問者が来るので、こちらから見ると、VIPはともかくIPはone of themにならざるを得ない。したがって、IPは自分がエライと思っていても、こちらはそう思っていないのである。ところがそのような人に限って、アテンドが十分でなかったと文句を言う。万博で訪問者をアテンドしているとVIPやIPの人格が判断できるので大変楽しい。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という諺をいつも思い出す。このようなことは、万国博覧会のイベントのみならず、通常のアテンドでも当てはまる。受け入れ側から見ると、one of themであるが、来訪者から見ると、貴重な機会で、もう2度と来られないと思っているかもしれない。したがって、駐在員たるもの「一期一会」の精神を忘れてはならないのだ。
  • 日本人は、はっきり自分の意思を明確に伝えない 

    チリに駐在した時に、困ったことがあった。残念ながら、チリ料理は、お隣のペル―料理、アルゼンチン料理、ブラジル料理と比較すると味も今一でこれと言った特色がないと言われている。来訪者に「どのような食事にしますか」と聞くと、「何でもいいです」とあいまいな回答をするケースが多い。しかし、これが曲者なのである。こちらの判断でレストランに連れて行くと、後で「味が良くなかった」とか「雰囲気が良くなかった」とコメントする。そこで、こちらも考え、次々と質問し、相手に決定させるように戦術の変更を行った。「今日は、チリ料理、西洋料理、日本料理、中華料理のうちどれにしますか?」、大抵の場合、チリ料理か西洋料理を選ぶ。そこでさらに「肉料理が魚料理か」と問い詰める。最後に「静かなレストランか前でショーをやるレストランか」と追い打ちをかける。このようにすると、来訪者が、最終的に、レストランを決定したことになるので文句は言えなくなるのである。

  • 直前の訪問地でアテンドされたことを吹聴する人は要注意 

    来訪者の中には、アテンドずれしている人も結構いる。自分がいかにえらいかを吹聴したり、直前に訪問した事務所で、自分がいかに丁寧なアテンドを受けたかを滔々と話す。意図は明らかで、しっかり自分たちをアテンドするようにという督促の意思表示である。このような人ほど、総じて自分に自信のない人で、帰国後に文句を言うケースが多い。また図々し人にも要注意である。無理難題を吹っかけて来る来訪者も時折いる。できることとできないことを明確にし、断る時ははっきり断ることが必要である。

  • 到着時の観劇は避けること 

    ミラノに駐在していた時に、女性の要人3名のアテンドをしたことがあった。ミラノ到着の翌日にスカラ座のオペラを見たいと言う。何とかチケットを手配したのだが、時差による睡眠不足で3人とも顔を天井に向け、いびきをかいて寝てしまったのだ。周りの人々はじっ私を睨んでくる。不思議に観客から拍手が起こると、彼女たちは、急に目を覚まし、拍手をおくる。結構つらい3時間であった。スペインでも騒々しいタブラオ・フラメンコの最前列に座り、寝てしまう観光客も結構いた。観劇の手配は、時差が取れてからにした方が無難である。

  • 要人の接待は、行きつけのレストランで 

    本社や本部から、「万遺漏無きよう」的な指示が来た場合、レストランの選定は、自分の行きつけのレストランを選定するようにしたほうが良い。ある程度の格付けのレストランで、行きつけになると、ウエイターの人々が親切に応対してくれる。どの料理、どのワインが喜ばれるかもわかっている。もちろん、それ以前に何回か食事をし、チップも余分に弾んで、親しくなる努力をしておくことになる。ウエイターと親しく会話をしていると、日本からのお客も安心するようである。気の凝らない来客の時は、新しいレストランの開拓に努めるようにすればいい。

  • 冒険好きの来訪者には保険をかける 

    来訪者の中には、昼間の仕事以外に夜の冒険に精出す人もいる。治安の悪いサンパウロ等では、くれぐれも留意するようにアドバイスすることが必要である。外務省による海外安全情報や総領事館の治安情報を提供したり、「自分の身は自分で守ること」、「ホテルからの往復にはタクシーを使用すること」などをしつこく注意することが必要である。そうでないと、事故が起こった時には、こちらにトバッチリが来る。サンパウロのグアルーリョス空港に来訪者を迎えに行く場合、治安上の理由で、空港ビル2階の到着ゲートで出迎え、エレベーターで3階に昇り、3階の出国ゲートに待たせておいた公用車でサンパウロ市内に向かうことにしていた。サンパウロの治安情報を知らせ、駐在員も細心の注意をしていることを訴えるにはベストの機会であった。

    海外で、スリ、盗難等に会う人は、一般的に言うと、少し海外旅行慣れした人である。なぜなら、自分は海外慣れしていると思い込みたいからである。そこに油断が生じることになる。初めて海外に初めて出かける人は、外国は治安が悪いと思っているので、注意深く行動する。海外旅行慣れした人も、「自分の身は自分で守る」必要性をしっかり認識している。

  • ミッションを受け入れる場合、訪問先でのインタビューの心得を事前にブリーフィングをすること 

    日本からのミッションを数多く受け入れたが、いつも不思議に思うことがあった。ミッションが企業や官庁を訪問しても、必要な情報を入手できないケースが多かった。その理由は、①時間の配分を考えない、②わかりきった質問、ポイントの外れた質問をする、③質問の優先順序を考えない等々である。その結果、時間切れになる。自分の過去の失敗経験から、次のようなやり方をお勧めする。最初に、面談相手に、①たくさん質問したいことがある。②時間も限られているので、優先順位をつけた質問リストを用意している、③リストに従い、質問したいが、その方法で良いか ということを相手に聞き、質問に入ると言うやり方である。この方法は、概して好意的に受け止められ、その後のインタビューがうまく進んだ。ミッションには、事前に上記のようなことを伝えることをお勧めする。ラテンの人は総じて話好きなので、くだらないやわかりきった質問をすると滔々と話しだし、それだけで時間が取られることを知っておくことが必要である。また、面談中に、追加の情報を求めた場合、面談相手は、気楽に追ってお渡しすると回答することが多い。これも要注意である。今までに追加情報をいただいた記憶はほとんどない。その場で入手できない情報は、入手できないと考えた方が良い。

  • 現地の事情を常日頃から勉強しておくこと 

    日本から来る人々の多くは、現地事情につき関心がある。そのため、駐在員は、政治、経済、社会、文化、歴史等の基礎知識を持つことが望まれる。加えて、観光名所、地元料理、人気スポーツ、博物館・美術館、劇場などについても一通りの情報を持っていると来訪者から敬意を表されること請け合いである。また来訪者は、具体的な情報を歓迎することも知っておいた方が良い。

  • 帰国後のエピソード 

    日本人の来客者は、現地でお世話になると、お別れの時に、ほぼ必ず、「お世話になりました。帰国されたら是非ご一報ください。」と言う。こちらは、特に期待しているわけでは無いが、帰国後、ハガキで日本に帰国した旨の連絡をする。私の経験では、10名の内、2~3名からお帰りなさいという連絡が入る。帰国後、一席を実際に設けてくれる人は、10名に1人といった感じである。お別れの瞬間には、実際にお世話になったと感じ、日本で何らかのお返しをしたいと思ったのであろうが、時とともに忘れるのは自然かも知れない。私が長年にわたって滞在したラテンの国で、同じようなケースがあれば、彼等はどのくらいの確率で一席を持ってくれるのかなと考えてみる。私の直感では、少なくとも10人の内3人以上からはオファーが来ると思う。20代の時期に、外国人ジャーナリストや有力者のお世話をする仕事を担当した。その時期に、メキシコの農業省から2名の役人が訪日した。彼らの要望を聞き丁寧に対応した。その後、1974年に、メキシコに赴任が決まり、彼らにコンタクトすると訪日メンバーの一人は農業省の次官になっていた。早速、昼食の招待を受け、シテイの中心部にある「Chalet Suizo」という瀟洒なレストランで旧交を温めることができた。

 

また「1973年サンパウロ日本産業見本市」の特集号発行のためにブラジルの有力写真雑誌の「Manchete」のセルソ金城氏とカメラマンの塚原さんが訪日した。たくさんアポイントを取り、一部同行した。73年3月に見本市の出張でサンパウロを訪問し早速コンタクトすると、夕食に招待された。「Don Curro」という高級スペイン料理だった。食後、サンパウロ一の一流ナイトクラブまで連れて行ってもらった。2003年11月にジェトロ・サンパウロに赴任した時にも、セルソ金城氏の所を訪れたが、食事を共にするとともに仲間のジャーナリストを紹介してくれた。彼はブラジルの有力紙である「O Estado de Sao Paulo」紙の夕刊紙である「Jornal da Tarde」紙の編集長になっていた。お世話になった人には、可能な限り返しするということをラテンの人々から学んだ。