執筆者:儘田 哲夫 氏
(日本ブラジル中央協会理事)

それは、とある日曜日の昼前のことでした。レバノン出身のパン屋のオーナーが突然怒り出したのは。「お前は俺を信用できないのか!」と。

その日朝食の準備中、パンが足りないのに気付き、当時就学前だった次男にアパートからほんの5分ほどにあるパン屋に行かせたのでした。程なくして彼は言われた通りのパンを持って来たのですが、渡したお金はそのまま持ち帰って来たのです。事情を尋ねると「お金は足りないけどパンは持って行きなさい。支払いは何時でもいいから。」とパン屋に言われたとの事。

当時小学校6年生を頭に3人の子供を連れてサンパウロに赴任しており、何時もの通りワイワイ騒ぎながら日曜日の朝食をゆっくり楽しんだ後、件のパン屋にお金を払いに行ったのです。すると思いがけなく冒頭の怒りの言葉を浴びせられたのです。

「相手は日本人の家庭だし、時々パンを買いに来るし、踏み倒すことなど決してないと100%信用しているから、支払いは明日でも明後日でもいいと思っていたのに何故慌てて払いに来たのだ。私のあなた達への信頼を何故理解してくれないのか。」というのが彼の怒りの背景なのです。

 

ブラジルは移民の国、人種の坩堝です。いろいろな国から来た人々が夫々の文化や習慣を持ち込み、周りとの調和と軋轢を繰り返しながら、妥協出来ない所は死守しつつも、出来る限り心の間口を広く保ちわだかまりの無い社会を形作っていると言えます。パン屋の様な個人商店を経営するのはきっと苦労の連続だったのでしょう。ここまで立派な店を構えるまでには数多くの「騙し・騙され」の苦い経験がオーナーにはあったはずです。そんな彼にとって相互信頼に基づく我々との付き合いは砂漠のオアシスの様な存在だったのかも知れません。その強い思いが慌てて払いに来たことへの不満となったのでしょう。

個人生活のみならず業務上でも、ブラジル人は本当の信頼関係を構築すると思いがけなく「浪花節」的な扱いをしてくれることがあります。普段次から次に信じられない難問が発生し、事務所でも呻吟の連続するブラジルでの仕事ですが、時に日本人にしか通用しないと思われるこの浪花節を逆にブラジル人から施されると、またブラジルの魅力に取りつかれ、更に一歩ブラキチ度が重篤になるのです。

勿論、パン屋とは駐在中5年間の長いお付き合いになりました。