執筆者:山岸 照明 氏
(Yamagishi Consultoria Ltda. 社主)

 

「はじめに」

 

過日、ラテンアメリカ協会の桜井悌司常務理事より、「新しいラテンアメリカ人材を求めて」と題する一文を送って頂き、大変興味深く拝見いたしました。桜井氏の長年に渉るラテンアメリカ各国でのご経験より、誠に的を射た、ご意見に感嘆いたしました。

 

私は、ブラジルのアマゾナス州 マナウス市経済特区(ZONA FRANCA DE MANAUS-以下ZFM)で1969年より在住し、現在 企業コンサルタントを営んでおります。

 

ZFMの制度は1967年に発足し、既に52年を経て、その税制恩典を利用し内外の工業 約500社が操業しております。日本からの企業も30数社進出しております。

 

ラテンアメリカ諸国は政治、経済の安定政策が難しくブラジルもご多分にもれず、日本から派遣される若い責任者は毎日難しい問題の対応に大変苦労されておられます。その対策、特に情報収集の必要性そして進出企業と現地在留邦人との親交を求め、1987年2月アマゾナス日系商工会議所が発足しました。

 

「M氏のマナウス赴任とMH社の再生」

 

私も発足当時より参画し、日本企業の出向役員の方々のご親交を賜り、沢山のご教訓を頂いております。特に 1992年より2001年までM.H.社に赴任された、M氏には、大変お世話になり、いろいろと教えて頂きました。同氏は1995年より2001年迄 前記 アマゾナス日系商工会議所の会頭も務められ、持ち前のリーダーシップを発揮、同商工会議所の活動を大きく発展させました。

 

同氏が赴任された1992年当時は、ブラジルは2.800% に及ぶハイパーインフレ、市場は停滞状況で、M氏によれば、M.H社の撤退作戦で赴任されたそうです。しかし、工場を視察された同氏は、未だ、やるべき事がある、そして、現地の従業員が、非常に良く教育されている事から、撤退は出来ない、と本社を説得されました。ご本社からはもうマナウスへの援助は出来ない、が、それならば 好きにしろ、とのご返事が来たそうです。そして、マナウス工場の再建に取り掛かりました。

 

その様な状況の元に、ご本社へ送られたM 氏のリポートより、引用させて頂きます。

 

「ブラジル人従業員は私の意気込みを見て“M 役員は本気で工場を再建しようとしている“と感じたようで、以後 私に対して協力的になった。 当時の H.社川本社長が残してくれた“信頼の絆”と言う言葉にそれが如実に表れていたと思う。

 

「先ず再建のために行った応急処置はー」

 

私共に残して下さいました、マナウス工場再建の記録は、日本進出企業のお手本に供せる、と信じ、一部を以下に列記させていただききます。

 

1-工場の再建と言っても当たり前の事を着実にやる事、と自分に言い聞かせ腹を決めた。

 

2-日本よりの支援はほぼ無いと言う事でブラジルへ送り出されたが、一つだけ一部部品代金の支払期限の450日延長を願い、承認された。もし、承認されなけのれば、辞職する覚悟だった。

 

3-59日間の操業停止と2700人の従業員を1420人に削減。解雇した従業員は、一年後に生産が正常化した時限で希望者のほぼ全員を職場復帰。当時は需要予想が不備で 見込み生産をしたため、在庫が山積みであったが、生産を停止した事で、市場在庫も無くなり製品の流れが改良され、生産停止の効果は功を奏した。

 

4-現地従業員との接触を密にし、相互の信頼関係を築く事に成功。

 

5-操業停止期間、工場内の大掃除、機械のオーバーホールを行い。この作業により従業員は自分達が使う機械に習熟出来、以後大変 役にたった。大掃除の結果、職場を明るく、整理、整頓し、労務環境を改善した。

 

6-この間、主だった幹部と市内のHOTELに合宿し、再建計画の進行状況を検討、次の中期、長期の計画を立案、討議した。そして、週末には販売店を訪問、販売状況、品質、販売価格、お客の反応等の調査を実施。

 

7-コスト、在庫管理、

折からのハイパーインフレでコストの管理が難しく、現金価値の維持が非常に短期間なので、コストの変化について行くのに苦労した。そこで、苦心の結果 従業員にライン別、部品別、機種別にコストが直ぐわかるシステムを構築させ、結果として、製造コストの管理が容易になった。

 

「従業員の意識改革」

 

M氏の着任と同時に素早く行われた応急処置の結果は次第に効果を発揮し、営業面でも

市場在庫の軽減で改善の兆しが芽生えて来た。しかし、この結果の源は従業員の意識改革に他成らない。同氏のお言葉をかりると、

 

―もの作りは人作りと言われる程、従業員のモチベーション(やる気)と能力を高めて行く事は非常に重要です。彼らは従来、日本人駐在員に言われる通りに作業を行う受け身の状態で作業をして居たので、自分たちの職場環境を改良して行こうとする、意欲がなかったそうです。

 

そして、工場の各部署を毎日見て回り、従業員と言葉を交わし、なんと、約 2000人の従業員の名前を諳んじて居ました。MH社は見事に再建され、マナウス工業団地の代表的企業の地位を築き上げられましたが、これも皆M氏と現地従業員との信頼関係を土台に力を合わせ築かれた結果に他ありません。

 

多くの従業員を抱える生産工場の労使の意思の疎通は非常に難しい。しかも言葉の通じない従業員とは、特に言葉が分らなくとも、誠意と忍耐とを持って直に接する事で信頼を作り上げ、全ての改善が出来上がった。これは、決して簡単な事では無く、一般的に日本から赴任される責任者は言葉の問題で、従業員に対しては二世を通じ、接触を図るため、従業員に取っては 命令となり、責任者の経営意思を感じ取る事が出来ない、それでは、企業の目標達成に対するお互いの信頼関係は生まれて来ない。

 

私は、長年にわたり、進出企業の.お世話に成っていますが、赴任されて来る若い責任者の大きな仕事は本社への報告事項の収集 と その連絡に有るようで、赴任前に、現地への権限の多様性、本社への報告事項の簡素化、そして、現地従業員との意思の疎通を図る 方法等の教育を行われる事が必要と思われる。

 

欧米系の進出企業は、ブラジルの現地企業としての制度、考え方を本国よりの赴任者が覚えるには 時間の掛かることで、多くの企業では、ブラジル人の責任者を採用している。.しかし、日本を始め、アジア系の会社は言葉の問題(特に本社との連絡の )が有るため、難しい。最近 日系ブラジル人を責任者に登用する例が出て来ており、成功の例もあるが、二世には 日本の制度を良く教える事が必要で、二世もまた、ブラジル人である事を忘れてはならない。

 

「アマゾナス日経商工会議所会頭に就任」

 

さて.、Ḿ.氏は前術の通り、 1995年3月、アマゾナス日系商工会議所の第7代会頭に選出され、2001年迄 ZFMの発展に尽くされた。商工会議所は1987年 進出企業間 、現地法人社会と現地法人の親睦を目的に結成されたが、ブラジルの各州の日系団体とも連絡を取り、また。日本公館、特にJICA,JBIC,JETRO の各部署には大変お世話に成った。

 

M.会頭は すぐに マナウス経済特区に関する、情報を入手するため、州工業連盟、

商業連盟、農業連盟等の企業団体の理事会への参加を要請し、積極的に情報を収集し、関係ある情報を進出企業へ伝えた。そして、その後、最終的に 日本企業の要望、意見等を発信する仕組みを考え、州政府各部署、連邦政府とも他の企業団体の活動にも参加し、ZFMの課題の解決に協力した。

 

そして、日本や他州より講師を招き、講演会を開催、外資系進出企業との会議、また、各社の若い赴任者、や 在留邦人の指定を対象にM氏のご経験を 話していただく講演会などを定期的に行いました。この様に、ZFMの為、進出企業の為、また在留邦人社会の為、充分な組織を 作りあげた。結果として、アマゾナス日系商工会議所の存在は、アマゾナス州を始め、ブラジル日系社会 そして、日本政府の関係部署にも十分に示された。

 

さて、桜井氏のラテンアメリカの人材に関する文章を拝見し、このマナウスの工業発展に尽くされた、M氏の業績を思い起こし、如何に桜井氏のご意見が、とかく後進性の強い、南米各国の進出企業の責任者の資質が地方開発に与える大切な使命に成るか、日本の皆様へお伝えしたく、ペンをとりました。