2019年11月
執筆者:田尻慶一 氏
(日本ブラジル中央協会顧問)

私は、2005年~2007年、CIATE(国外就労者情報援護センター)の専務理事として、サンパウロに駐在しておりました。当時は、ブラジル日本文化協会を中心に、移民100周年(2008年)に向けて何をなすべきかという議論が沸騰していました。宮尾論文が発表されると「日伯学園」をめぐって、多くの人が真剣に議論を重ね、「日伯教育機構」が設立されました。
その後、日本ブラジル中央協会に「日本ブラジル文化交流委員会」が設立され、私は、その委員を務めております。

Ⅰ宮尾論文
「日伯教育機構」設立の契機となったのは、宮尾進氏(元サンパウロ人文科学研究所長)が2005年に発表した『日伯学園建設こそ100周年記念事業の本命』と題する論文です。この論文は、「サンパウロ新聞」および「ニッケイ新聞」に、同時に数回に分けて、全文が掲載されました。また、コロニアの篤志家が費用を拠出し、ポルトガル語に翻訳され、各方面に反響を呼びました。
宮尾氏は、この論文の中で、次のように訴えました。
『日系社会は、既に4世世代が中心となり、5世、6世の時代になっている。そして、4世世代では、既に80%ほどが混血になっていると推定される。さらには、ブラジルの学者も驚くほど、急激に「同化」傾向が進んでいる。「同化」とは、それぞれの移民人種が人種的なこだわりも捨て、持ってきた文化も忘れて、ブラジル社会の中に、完全に溶解することである。かつて、ヴァルガス政権時代には、極端な同化政策が強制された。しかし、近年では、ブラジルという国を構成する各人種が、それぞれの民族的特徴を生かして、全体的にまとまる「統合」社会を理想としている。
このような、日系社会の現状の中で、まずなさねばならないのは、長い伝統を持つ、日本人の作り上げてきた、広い意味の日本文化の特質、良き資質を、日系後継世代を含めたブラジル国民の間に、普及させて行くことである。それには、何をおいても、「日本語・日本文化の普及」を基本理念とした組織的な教育機関としての総合学園が必要である。そして、その形態は、未だ人格の確立されていない少年期より長期の学習によって育成し、ブラジル社会に役立つ人格を形成し、社会人として世に送り出すために、やはり、初級・中級より始まる一貫としたコレジオ(Colegio)の形態が望ましい。
この総合学園とは、既に何十年も前から繰り返し、蒸返し議論され検討されてきたが、移民百周年を迎える今日、なお実現できていない「日伯学園」である。

例えば、宮坂国人・文協第3代会長の「モデルスクール構想」(1965年)、延満三五郎・文協第4代会長の「総合学園構想」(1971年)、日伯文化連盟による「日伯学院構想」提案(1981年)、山内敦・文協第8代会長による橋本龍太郎総理への「日伯学園構想」提案(1996年)、直近では、2001年から2003年にかけて、ブラジル日本文化協会の中に「日伯学園検討委員会」ができ、種々調査検討を重ねたが、結局、「小中高案」と「大学案」を併記するのみにとどまった。

この教育の分野において、イタリア、スペイン、ドイツなどのヨーロッパ系の移民たちを見てみると、彼らは、当初からそれぞれの母国の文化と言語をブラジルに伝播するために設立された民族系の総合学園を有している。
これら、エスニック系の学園に共通する特色は、まず、創立の理念と過程において、いずれも母国の文化や言語に強い誇りと自信を持ち、移民とそれを送り出した本国、さらには、進出してきた企業が一体となって、必要な経費を拠出してきたことである。いずれも、ブラジル有数の名門校として、圧倒的に高い評価を得ている(例えば、ドイツ系のColegio Visconde de Porto Seguro,スペイン系のColegio Miguel de Cervantes,イタリア系のColegio Dante Alighieli等)。
その根底にあるのは、それぞれの民族が、自国文化を後継世代に伝えると同時にブラジル国民にもその良きものを普及させて、自国に対する理解を求めるとともに、新しいブラジル文化の形成に参加したいという移民社会および本国政府の強い意欲と、海外に対する投資は「長い目で見れば必ず国益となって帰ってくるものである」という確信があったからに他ならない。
かつて、人文研が「ドイツ系におけるドイツ語教育」の調査をした際、ドイツ系コレジオの責任者は、次のように語っていた。
「私たちがドイツ語を含めたドイツ文化の普及に力を入れているのは何かというと、私たちとしてはドイツ系後継世代に対しては何世になろうともドイツ語を習得し、ドイツ文化を継承して欲しいというエモーショナルな動機がある。同時にドイツ国としては、ブラジルに多大な投資をし、1,000社にものぼるドイツ系企業が現在ブラジルで活動しているが、これらの多大な投資に対し、ブラジル人一般が、ひとりでも多くドイツ語を知りドイツ文化を知ってドイツに対する理解を示してくれることは、単に一企業にとって大きな利益になるばかりでなく、ドイツの国益にも大きくつながることになる。ドイツ系の企業がわれわれのこうした理念に理解を示し、われわれの学校教育に対し、多額の資金協力をしてくれているのも、そうした共通の利益に基づくものである」
こうしたヴィジョンは、日本政府、日本からの進出企業、あるいは、日系社会の指導者たちの中に、多少なりともあるであろうか。』

この、宮尾論文が発表されると、ブラジル日本文化協会(現ブラジル日本文化福祉協会)に、多くの人が集まり、宮尾さんを中心に「日伯学園」の具体的なイメージについて、意見が交わされました。
中には、橋本龍太郎元総理が、総理であった時に、「日伯学園」建設の話が盛り上がったことを思い出し、自費で日本に行き、元総理に直接会って後援をお願いした古老がいたり、丁度訪伯された小泉純一郎総理に、移住者のいとこが、支援を訴えたりしました。
当時文協では、100周年記念事業として、文協が取り上げるプロジェクトの候補の一つに「アルモニア学園の増設計画」があったことをとらえて、これを「新アルモニア学園」と称して、日伯学園のモデル校にしようという検討会もできました。
しかし、やはり既にある、「コレジオ」それぞれが、日伯学園になるように考えるのが、筋であろうということになり、「日伯教育機構」が設立されました。
なお、「日伯友好100周年記念基金」を管理運営する母体である「日伯友好交流促進協会」は、2008年3月25日に、ブラジル移民100周年記念協会から依頼された最優先対象事業から4件を選び、同基金の残額すべてを引き当てることを決定しました。
その中の一つが「新アルモニア学園構想と日伯教育機構実現を目的とする事業」です。

Ⅱ日伯教育機構
1.設立の趣旨
日本政府その他の支援による「日伯学園」はできていませんが、日系社会には、独力で創設された、日本語・日本文化の普及を基本理念としている総合学園(コレジオ)がすでにあります。いずれも、ブラジルの学校法人として認可され、ブラジル教育省の求めるカリキュラムに基づく教科を学びながら、その中に日本語や日本文化の教科を取り入れており、日系人に限らず広く一般ブラジル人を対象としています。しかし、歴史的にも日が浅く、資金的にも脆弱で、規模としても小さい、いわば、揺籃期にあるこれらの学園をいかに強化し、以下に支援して、エスニック系の学園に匹敵するブラジル有数の学校に育てていくかがこれからの課題です。いずれの学園も、資金難に悩まされながら、学園関係者の献身的な情熱と努力によって、それぞれが全くの独力でその存続が維持されており、日本語の教科にしても教師・教材・教授法などの面で統一した体系を欠いているのが実情です。
いうまでもなく、日本語にせよ日本文化にせよ、その源流は母国日本であり、これらの学校も、母国官民の指導や援助をまって、はじめて十分に機能し、その効果も上がるものと言えます。従って、いずれの学園も日本側との組織的、継続的な協力のルートの確立を切望しています。
こうした課題にこたえようとして、設立されたのが「日伯教育機構」です。
この機構は、各学園に共通する課題の解決を目指して、日本側に一括して
要望を取り次ぐとともに、日伯両国政府および関係諸機関に対し、教育に関する折衝、連絡などを一元的に行うことを主要な業務とします。そして、将来的には、ブラジル全土に広がる、日本文化の普及を基本理念とするこれらの学園それぞれが、ヨーロッパ系のエスニック学園に匹敵する、ブラジル有数の学園に育つことを目指します。

2.体制
①「日伯教育機構」は、ブラジル民法に基づき設立された非営利法人です。
2007年3月に発起人総会が開かれ、その議事録を、2007年8月に、書類証書登記所(Registro Civil de Pessoa Juridica)に、登録しました。
②定款に定める活動内容は、以下の通りです。
(1) ブラジルへの教師の派遣、または、ブラジルの教師および生徒の日本における研修、ならびに、日本文化または日本語の教育のための教材および必需品の提供、に関する諸条件について、日本の政府および民間の機関と協議し、折衝を行う。
(2) 日本文化および日本語の教師、専門家および研究者の育成、向上に貢献するために、講演、会議、セミナーその他の行事を行う。
(3) 日本文化および日本語の普及のために、調査、研究、書籍出版を行う。
(4) 日本の大学へ入学するための資格制度を企画し、検討し、確立する。
③理事会のメンバー
理事長:アントニオ アカマ氏(赤間学園代表)
(注)アカマ氏逝去の後、宮尾進氏が理事長代行を務めました。
現在の理事長は、小松雹玄氏
第一副理事長:マユミ カワムラ氏 (大志万学園代表)
第二副理事長:タダヨシ ワダ氏 (アルモニア学園代表)
事務局長:  小松雹玄氏(元JICAブラジル代表)
(注)現在は、富田博義氏
④加盟校;校名、所在地
・赤間学園(Fundacao Instituto Educacional Dona Michie Akama-Mantenedor Centro Educacional Pioneiro)、サンパウロ市
・大志万学園(Escola de Educacao Infantis e Ensino Fundamental Professor Oshiman)、サンパウロ市
・アルモニア学園(Associacao Harmonia de Educacao e Cultura)、サン ベルナルド ド カンポ市
・スザノ学園(Centro de Educacao Nipo-Brasileira de Suzano)、スザノ市
・越智日伯学園(Centro Educacional Kyoko Oti/Escola de Lingua Japonesa)、ベレン市
・エスコーラ ニッケイ(Instituto Educacional Nikkei)、サンタ イザベル ド パラー市
(注)設立時の会員校であった「イタマラチー学園(Instituto Educacinal Itamaraty)、サンパウロ市」および「ノーボ ムンド(Escola Novo Mundo)、ベレン市」は、閉校となりました。

3.活動内容
①加盟校相互の内容をお互いに理解し、参考になるところは、取り入れようということで、加盟校の幹部が一緒に、各校を視察し、意見交換を行ってきました。
②必要に応じて、情報を加盟校に伝え、活用を促しています。
③加盟校の日本への要望等を随時とりまとめて、日本へ協力を求めています。

Ⅲ日本ブラジル文化交流委員会(現文化交流委員会)
1.設立の趣旨
日本ブラジル中央協会の前会長の清水愼次郎氏は、次のように述べています。
「日本ブラジル中央協会は、2011年7月29日の常務理事会で、「日本ブラジル文化交流委員会」を設置することを承認した。委員会の具体的内容については今後の検討に待つが、当面は、ブラジルで結成された「日伯教育機構」への支援の受け皿となる。
現在、ブラジル日系人社会の各界における活躍が、ブラジルの発展に貢献している。特に、日系人の伝統的な倫理観・文化的資質がブラジル国民に信頼され、愛されるよすがとなっている。
しかしながら、このような伝統や倫理観は、人種の融合が進み、急速に失われようとしている。このままに推移すれば、ブラジル人の日本人に対する信頼や親しみは薄らぎ、ひいては日本とブラジル両国関係を結ぶ重要な絆が失われていくことが危惧される。
かかる問題意識を共有した日系私立学校が協力して「日伯教育機構」を設立し、日本語・日本文化の教育を強化する体制を整えようとしている。
日本ブラジル中央協会は、本委員会を通じて、日本の政界、官界、経済界をはじめ、心ある要人に広く働きかけて「日伯教育機構」および機構加盟の各学校の活動を支援して行く方針である。」

2.委員長
初代:小林利郎氏(委員会の設立を発議し、その活動を牽引した)、
2代:桜井悌司氏
3代:金岡正洋氏

3.日伯教育機構に関するこれまでの支援・協力の実績
① 外務省中南米局,国際交流基金、JICA、海外日系人協会等に、日伯教育機構を紹介し、日本ブラジル文化交流委員会がこれを支援することを説明し、協力を要請しました。
② 国際協力基金やJICAの、日本語の研修生受け入れ制度を、機構に紹介するとともに、機構加盟校の日本語教師が、有効に活用できる仕組みを考えて、助言を行いました。
③ 2013年に、機構から、機構加盟校の日本語教師(多くが三世、四世あるいは非日系で、日本での生活の経験がないものがほとんど)に「今の日本を体験、経験させ、これを教育現場に活用したい」ので、協力して欲しいとの要望がありました。具体的には、日本人の家庭にホームステイさせてもらい、日常の生活ぶりを体験し、教育に役立てること、またこの生活の中で、会話の運用力を高めることを期待するものです。
委員会で受け入れを決定し、中央協会のホームページおよび会報で協力を呼び掛けたところ、複数の応募がありました。
しかし、機構の加盟校側の事情で、実現したのは、アルモニア学園の日本語教師(Luciana Fonseca de Arruda ―非日系)の受け入れ1件のみです。
本件は、往復の航空運賃その他多額の経費を自己負担しながら、短期間の研修にとどまることもあり、実現には課題が多くあります。
④ 機構加盟各校は、博報財団(公益財団法人博報児童教育振興会)が推進している「海外児童日本体験プログラム」に積極的に参加することを考えており、委員会としてもこれをサポートしています。
博報財団は、本プログラムのブラジルにおける窓口を、国際交流基金サンパウロ事務所に依頼しています。従って、機構及び加盟校が本件について、接触できるのは、基金の事務所となります。
委員会は、博報財団に対して、本プログラムに関する情報取集および必要な折衝を行っています。
博報財団の審査を経て、本プログラムに参加できた加盟校は、現在のところ、アルモニア学園とスザノ学園です。
本プログラムは、海外で日本語を学ぶ生徒と引率する教師を日本へ招待して、同世代の日本の学校の生徒と日本語による交流や異文化体験を行います。航空運賃、宿泊費等は、博報財団が負担します。
⑤ ポルトガル語による日本文化に関する文献100冊の選定:
広くブラジル人(日系人を含む)に、日本文化を知らしめるには、「日本語」に固執せず、日本語を習得していなくても日本文化を学べるような便宜を 図ることも必要だと思います。委員会では、東京外語大とリオ州立大学の協力を得て、ポルトガル語に翻訳されている日本文化に関する文献100冊のリストを作り、機構加盟各校は勿論、ブラジルの日本語学科を有する大学、関係機関などにリストを送り、高い評価を受けています。
同時に、その中から、加盟各校それぞれが要望する図書を寄贈しました。
⑥ 日本語を学ぶための、色々なテキスト、DVD等についても、適宜寄贈しています。
直近では、NPO法人地球ことば村・世界言語博物館が出版している『日本の童話』(ポルトガル語版)を取り寄せて、加盟各校に送りました。

追記:「日伯教育機構」は、現在、「ブラジル日本語センター」との合流が検討されています。近いうちに、結論が出るものと思います。
ブラジル日本語センターは、日本語教育および日本文化の普及を通して、ブラジルの発展に寄与することを目的に1985年に設立されました。機構の加盟校はすべて、同センターの会員になっています。