尾崎英之
(Azuma Kirin 代表取締役社長)

Azuma Kirin の設立
当社はブラジルにおいて、『東麒麟(あずまきりん)』ブランドの清酒、『AZUMA(あずま)』ブランドの醤油、味噌、調味酢等の製造販売、および『弥勒米』ブランドの米の輸入販売をしている。
当社のルーツは、三菱財閥の三代目の岩崎久弥が現在のカンピナス市に所在する東山農場を1927年に創設したことに始まる。同農場内において、1934年11月15日に社名をカンピナス農産加工会社として酒造りを目的にスタートした。
1908 年に最初の移民船笠戸丸がブラジルのサントス港に到着し、当初の移民は契約移民として就労し、コーヒー農園等で働く彼らの生活は大変厳しく過酷なものであったと言われており、農園等の生活は楽しみもなく、飲酒する場合には当時の品質の悪いピンガ酒(砂糖黍を原料とした蒸留酒)であり、身体を壊す移民も多かったとのことであった。そこで日本人のためのお酒は日本酒である、との考えのもと、日本人移民のために良質な清酒を作ることを目的に当社が設立された。
日本から醸造機器を持ち込み、日本人の醸造責任者のもと、1935 年に清酒工場が完成し、同年には清酒「東麒麟」の販売を開始した。戦前や戦後においても、日系コロニアの結婚式やイベントなどのはれの機会や、当時にサンパウロにあった料亭や日本食レストランなどでは、当社の清酒が飲用されていた。しかしながらブラジルにおける酒造りは、当初は困難の連続であった。日本において、日本酒は寒仕込みとよばれ寒い時期に酒造りが行われるが、ブラジルは気候的に熱帯に位置しており、この環境の中でどのように清酒の発酵をコントロールするかは、当社醸造技術者の大きな課題であった。

キリンビールの資本参加
三菱(岩崎家)より、三菱グループに所属するキリンビール社に清酒の品質向上に向けての資本参加の依頼あり、またキリンビール社は当時、ブラジルのビール市場への進出を検討しており、両者の思惑が一致し、キリンビール社は1975年に当社に資本参加した。
キリンビール社の技術や資本を投下し、新たな清酒工場を建設すると同時に、清酒や醤油および味噌造りについては秋田の酒造会社などからも技術支援を受けて、清酒や和食調味料の品質改善に努めてきた。かつては、『あたまきりん』、飲むと頭が痛くなると言われ、揶揄された『東麒麟』であったが、1985 年には微生物管理や温度管理が困難な生酒を販売開始するなど、清酒や和食調味料の品質改善を進めてきた。

サケピリーニャブーム
1980 年代後半よりブラジルにおいても和食が人気となり当社の清酒の販売も徐々にではあるが増加してきた。特に2000 年代に入ると、ブラジルの国民的な酒ともいえる砂糖黍原料のピンガに替えて、清酒とブラジルの多様なフルーツをミックスしたドリンク“サケピリーニャ”が、当地で大ブームとなった。当社も市場の需要にこたえるべく2003 年には新たな清酒工場を増設し、さらに翌年には製造能力を倍増するなど、増産体制を整えた。
今ではサケピリーニャは日本食レストランに限らず、ブラジルの街角のBar でも普通にメニューの載るようになるなど、ポピュラーな飲料になっている。ブラジルにおける清酒の拡がり
日本では国内の日本酒消費量は減少傾向にあるが、グローバルな和食の広がりから、海外に向けての輸出は過去10 年間で2 倍ほどにも増加している。ブラジルにおいても同様の状況は見られ、日本からの日本酒輸入は2011 年から2019年の間に数量ベースで2.5 倍ほども増えている。輸入日本酒に加えて、当地ブラジルで製造する国産清酒のブランドも増えてきている。中には、醸造酒なのに蒸留酒と記載されたり、若干品質を疑うような国産の清酒もあるが、確実にブラジルにおける清酒市場は広がってきている。

当社役割
ブラジルにおいては日本人移民の方々が築かれた100 年以上の歴史があり、ここで和食文化が定着しブラジル人の生活になくてはならないものとなっているのは、この日本人移民や日系の方々の努力の結果と思う。
当社は86 年前の創業より、この日本人移民や日系の方々ともに、清酒や醤油、味噌、調味酢などの製品の提供を通じて、ともに発展してきた。
今後も日系社会はもちろん、ここブラジルにおいてしっかりと根付き、多様な進化の兆しを見せ始めている和食文化のさらなる発展に、これからも貢献していきたいと考えている。