裏千家のあゆみ
わび茶を大成した千利休の死後、孫の千宗旦によって千家茶道の礎が築かれ、宗旦の四男仙叟宗室により裏千家が成立した。千利休から 500 年に亘る歴史のもとに裏千家は茶の湯の伝統と「和敬清寂」の精神を継承し、茶道の普及発展に努めてきた。幕末から明治の激動の時代に十一代家元として活躍した玄々斎は茶道の近代化に努め、外国人を迎えるための腰掛け式の立礼(点茶盤)を考案。その後も、歴代宗匠により女学校教育への茶道の導入や出版文化を通じての茶道普及が進められ、多くの人が茶道を学ぶようになった。
昭和 15 年には、裏千家茶道の基本的な点前作法を全国的に統一することと茶道修道者の質的向上を目的として「淡交会(たんこうかい)」が結成された。同 24 年、裏千家茶道及び裏千家の財産の保存を目的とする財団法人「今日庵(こんにちあん)」(現在は一般財団法人今日庵)が組織され、37 年には、茶道教授者を育成する教育機関として裏千家茶道研修所(現在は裏千家学園茶道専門学校)が設置された。

淡交会

一般社団法人茶道裏千家淡交会は、今日では日本全国を 17地区にエリア分けした中に、165 支部・2 支所が設置され、約10 万人の会員を擁する団体として、我が国の文化の興隆発展に寄与すべく活動を展開している。茶道指導者育成のための講習会や講演会、茶会のほか、茶道を通じた地域社会への奉仕を行っている。また、淡交会にはそれぞれに青年部と学校茶道連絡協議会が設置され、若い茶道人の育成を推進している。ちなみに、学校における茶道活動の展開は幼稚園から大学まで 7,000 校を超える。さらに、国内のみならず世界 37 ヶ国・地域111 ヶ所(2021 年 3 月末現在)に海外出張所・協会が組織されている。
当代の十六代坐忘斎千宗室家元はこれまで以上に幅広い世代の方々が茶の湯に触れる機会や学びやすい環境の整備に取り組むとともに、デジタル化社会に対応した諸施策を積極的に推進している。

海外への展開

生活習慣から各種の工芸、食を始め、建築、芸術、哲学などの学問領域をも包括する茶道は、国際社会における相互理解と人的交流にとって欠くべからざる存在である。
十五代家元の鵬雲斎千玄室大宗匠は、日本の敗戦による国土と人心の荒廃を目のあたりにしたことを契機に「一盌からピースフルネスを」を提唱し、茶道の精神たる「和敬清寂」をもって平和の尊さを世界の人々に伝える行脚を続けている。
1951 年、裏千家では初の海外組織となるハワイ支部の設立を嚆矢に、北米、中南米の主要都市に出張所と支部(現在は協会・同好会)を設立。その後も、ヨーロッパ諸国、オセアニア、アジア、アフリカと全世界に茶道の普及が進められた。また、ハワイや北京等多くの主要都市には裏千家が寄贈した茶室があり、日本文化と国際親善のシンボルとして活用されている。
茶道の学術的研究は日本のみならず世界各国で進められており、ハワイ大学をはじめ米国各地、中国、韓国、ヨーロッパ各国、南米等の大学で正課に取り入られている。
また、裏千家茶道専門学校では外国人研修コース(みどり会)を設置し、多くの留学生を受け入れ、将来の茶道教授者のための研鑽の場としている。

ブラジルでの茶道普及
1954 年、中南米諸国を訪れた千玄室大宗匠はブラジル、アルゼンチン、ペルー、メキシコに裏千家支部(現在の協会)を設立、中南米における茶道普及活動を開始した。同年は、サンパウロ市政 400 年にあたり、これを記念してイビラプエラ公園内に寄贈された「日本館」の開館式には、千玄室大宗匠(当時、千宗興若宗匠)と故人である実弟の納屋嘉治氏が出席し、茶道の点前が披露された。
1958年には、ブラジルの日本文化センターに茶室「伯栄庵(はくえいあん)」が寄贈され、以後、半世紀以上に亘りブラジルに於ける裏千家茶道の普及を担っている。1978年にはブラジル出張所を開所し、次の世代に茶道そして日本文化を伝えるために駐在講師を派遣。また、サンパウロ大学に茶道講座を開講した。
直近では 2014 年に裏千家茶道中南米布教 60 周年及びブラジル協会 60 周年を記念し、茶道裏千家淡交会中南米大会が開催され、日本、ヨーロッパ、中南米の各地から約 400 名の同門社中が参集し、親睦交流の機会を持った。
今日では中南米各協会はもとより、中南米各地域にて多くの同門社中が裏千家茶道を学んでいる。ブラジル出張所、ブラジル協会では茶道普及のために教育機関での茶道講座や日本祭り、桜まつりでの呈茶等を実施している。現在はコロナ禍によりこれまでのような活動を行うことは難しいが、このような状況への対応を模索しながら、日伯の人的・文化的交流を続けている。