沼田 行雄(協会理事)

 南部サンタカタリーナ州内陸部のサンジョアキンは、標高1,350メートルの高原地帯にある人口約3万人の小さな町であるが、リンゴの里として知られ日本と馴染の深い場所である。
契機となったのは、1971年にJICAの長期専門家として派遣された元長野県果樹試験場長の後沢憲志氏である。後沢氏は,約3年の実地調査を経て、気候条件等からリンゴ栽培の適地としてサンジョアキンを見つけ、栽培品種として「ふじ」を選定した。同氏は、コチア産業組合と連携しつつ、ブラジル政府からの融資取付けに奔走し、同地に土地を購入。1974年7月に最初の日本人移住者16戸が入植し、本格的なリンゴ生産を開始する。

ただ、リンゴは、植付けから3年間は収穫ができず、その間、農家の人々は、ジャガイモなど単年作物生産で生計を維持しつつ、後沢氏の技術指導を受けながら何とか栽培を続けた。1977年の初収穫も雹(ヒョウ)害でリンゴが傷物になるなど、多難なスタートであったが、入植者達の地道な努力と日本政府による継続的な技術協力の成果もあり、非日系の生産者も増加し、リンゴの生産量は着実に拡大した。そんな後沢氏に対して、地元市政府はリンゴの初収穫が行われた年に名誉市民賞を付与、1982年には顕彰碑を建立してその功績に応えた。

1970年代半ばの私の研修時代、ブラジルには日本で見慣れたリンゴはなく、街の市場では輸入された小粒で甘みのないリンゴしかなかった。実際、1977年の国内生産は1.4万トンに過ぎず、消費の90%をアルゼンチン他からの輸入に依存していたが、1985年には、生産量が24.2万トンとなり、僅かながら輸出も開始するまでに成長した。2019年現在、ブラジルのリンゴ生産量は世界第11位、約120万トンまで拡大しており、サンジョアキンを中心とするサンタカタリーナ州が国内最大の生産地域である。昨2021年8月には、サンジョアキン産のリンゴ・ふじが、ブラジル知的財産庁(INPI)から、原産地認証(IG)を受けるまでに至っている。

私がこの地を訪れたのは、2度目のブラジル勤務となった1993年の8月であった。任地ポルトアレグレからバスに乗り、夜遅くに地元のバスターミナルに到着した。日本人会代表の方々の暖かい出迎えを受けたこと、降雪もある冬の寒さの中、マントを着込んだ地元の人々の姿、日系農家の栽培地を訪ね、収穫を間近にしたたわわに実るリンゴを幹から手に取って食べたこと、風光明媚な山岳地帯の景観を満喫したこと等が忘れられない。