小林雅彦(協会理事)
クイアバー市は、ブラジル中西部マト・グロッソ州(Estado do Mato Grosso)の州都だ。もともと 17世紀に奥地探検隊(バンデイランテス)がコシポ川の終点に築いた集落が、クイアバーだ。集落は、その後衰退するが、18 世紀に入るとコシポ川沿いのフォルキーリャで金鉱が発見され、ゴールドラッシュが始まった。1719 年 4 月 8 日正式にクイアバーが創設された。100 年後の 1818 年 9 月 17 日,クイアバーは市に昇格し,1835 年 8 月 28 日,当時のマト・グロッソ県(Provincia do Mato Grosso)の県都となった。その後、80 年代から90 年代にかけてマト・グロッソ州におけるアグロビジネスの進展を背景にクイアバーは急速に発展した。
現在、同市は、世界最大の湿原地帯である世界遺産パンタナール(Pantanal:クイアバーより南東約110km)及びギマランイス高原国立公園(ParqueNacional de Chapada dos Guimarães: ク イ アバーより北東約 70km)等への経由地として観光業が発達している。クイアバー市の面積は、約 5,000㎢、人口は約 62 万人である(2021 年 IBGE)。
1995年、サンパウロに勤務していた時、日本ブラジル修好 100周年記念事業が全伯で盛大に行われた。日本から、清子内親王殿下がブラジルをご訪問になり、クイアバーご訪問の際の現地での準備にあたった。清子内親王殿下は、ダンテ・デ・オリヴェイラ州知事はじめ、マト・グロッソ州官民から暖かい歓迎を受けられた。日系社会も、クイアバ日伯文化協会(Associacão NipoBrasileira de Cuiabá)など日系団体を中心に日
系社会を挙げた歓迎を行った。今でも思い出すのは、殿下一行の歓迎式典会場(新築の日伯文化協会会館)ご到着時にこの地方特有の激しいスコールに見舞われたことだ。本当にバケツをひっくり返したとの表現がぴったりする大雨だった。スコールは間もなく収まり、歓迎式典は感動のうちに無事終了した。
殿下のご訪問に関し、もう一つ覚えているのは、ダンテ・デ・オリヴェイラ州知事と間近に接することができたことだ。当時、ダンテ・デ・オリヴェイラ知事といえば、軍政から民政への移管の際、国民的運動となった「今すぐ直接選挙を!(Diretas Já!)」の指導者の一人として全伯にその名を知られた政治家だった。この運動は、各政党が各党の枠を超えた協力を行うなどしたことで、1984 年 1 月にサンパウロで行われた大集会で 20 万人以上を動員し、それ以降全伯に波及した。しかしながら、同年4月 25 日未明の下院議会において同人(当時は下院議員)提出の大統領直接選挙を可能にする憲法修正案は、僅差(可決まで 22票足りなかった)で否決されてしまった。
オリヴェイラ州知事には、「今すぐ直接選挙を!(Diretas Já!)」運動の闘士という硬派のイメージを持っていたが、清子内親王殿下を優しくエスコートする姿が印象的だった。