志田 亨
(双日ブラジル会社社長 兼リオデジャネイロ支店長)

2030 年に目指す姿として「事業や人材を創造し続ける総合商社」を掲げている双日は旧日商岩井及び旧ニチメンの流れを汲んでおり、旧ニチメンが1955 年にサンパウロ、旧日商岩井が1957 ~ 1958 年(当時、日商)にかけてサンパウロ及びリオ夫々に事務所を開設以来、この地で60年以上の歴史を刻んできた。

日本製鉄各社へのリオドセ社鉄鉱石の紹介、輸入代行

当社のブラジルビジネス展開の礎となったのは、1950年代に旧日商岩井(当時、岩井産業)が日本の製鉄各社へ当時国営のリオドセ社(現Vale〈ヴァーレ〉)を最初に紹介した事から、日本製鉄各社のリオドセ鉄鉱石輸入代行幹事商社となった鉄鉱石輸入ビジネスである。当時、日本の粗鋼生産は右肩上がりとなっており、ブラジルからの鉄鉱石の輸入は年々急増。 そうした中、鉄鉱石需要の急増を受け、従来原料としては不適とされていた微粉鉄鉱石の活用が考えられるようになり、微粉鉱をパチンコ玉程度の大きさに焼き固める「ペレット」を事業化する事が検討された。
日本の製鉄各社も良質の鉄鉱石を産出するブラジルに於いてペレットのプラントを持つ事は原料の確保、供給地分散の両面から必要と考え、1974 年にはリオドセ社51%、日本側49%(高炉メーカー6 社と日商岩井)の出資比率にて合弁会社NIBRASCO 社を設立する事で合意。同社は1978 年より生産を開始しており、今も生産を継続している。

ペトロブラスへのファイナンス

1980 年代末、ブラジルの原油生産量は日量60 万バレル。一方、消費量は110 万バレルと巨額の原油輸入に頼らざるをえず、工業立国化を目指すブラジルにとって石油確保は最重要課題だった。一方でブラジルはモラトリアム宣言下でハイパーインフレーションに悩まされつづけ、対外送金など厳しく規制された時期でもあり、世界の公的私的金融機関はブラジルに対して完全にドアを閉ざし、新たなプロジェクトの立ち上げは極めて困難な状況にあった。
そうした最中の1991 年、当社はそれまでペトロブラス(ブラジル国営石油会社)へはリグ2 隻の輸出実績があり化学品合弁会社も設立し信頼関係を構築していた事から、同社のパフォーマンスを信用出来るとして同社向けに浮体式洋上石油生産設備の裸傭船契約(船舶の賃貸借契約)を手掛け、その後も合計10 億ドル以上にも及ぶファイナンススキームを提供。当時はペトロブラスの原油生産量の半分を賄う規模の設備としてブラジルの原油生産に貢献できたと考えている。このペトロブラスとの関係が、その後のフラージ油田への参画につながり、これが本邦企業初のブラジルにおける上流権益取得となった。

新たなチャレンジ

当社は製鉄原料ビジネスに於いては鉄鉱石のみならず合金鉄分野でもブラジルで幅広く活動していた事もあり、1960 年代より現在に至るまで世界最大のニオブ生産者であるコンパニア・ブラジレイラ・メタルジア・イ・ミネラソン社(Companhia Brasileira de Metalurgia eMineracao:CBMM)の対日Exclusive Agent として取引を継続している。ニオブは金属自体の発見が非常に新しい希少金属であるが故に当初は限定的な用途しかなかったが、CBMM と当社は共同で日本の製鉄各社へ地道に働きかけ、用途開発を依頼。現在では高級鋼への添加原料として不可欠なものになるなど、化学用途を含め用途・需要を拡大してきた。そうした流れもあり、2011 年に、当社は希少金属資源確保を念頭に日本製鉄、JFE スチール、JOGMEC を含め各社等分でコンソーシアムを形成しCBMM 株式の10% を買収した。
昨今EV 時代が到来しつつある中、現在は東芝/CBMM/ 双日の3 社にてニオブチタン系酸化物(NiobiumTitanium Oxide)を用いた次世代リチウムイオン電池の共同開発契約を締結し、商業化を目指している。
以上が当社の過去からのブラジルビジネスの代表例であるが、今回改めて過去を振り返るとブラジルと日本の架け橋として活躍されてきた諸先輩の姿が目に浮かび身の引き締まる思いである。こうした歴史を踏まえ、当社は脱炭素社会の到来を踏まえた取り組み中の各種案件推進により、事業や人材を創造し続けながらブラジルの発展に寄与していくべく全力を尽くしていく所存である。