執筆者:岩尾 陽 氏(日本ブラジル中央協会常務理事)

日本ブラジル中央協会の組織内には、広義の文化交流促進を目的とした「文化交流委員会」が存在します。

主として、①ブラジルに於ける日本文化、日本語の普及 ②ポルトガル語による東京近郊の有名観光名所ツアー ③ブラジル経験者や関係者による「伯学コラム」というホームページ上のエッセイ等の記事掲載、 この三つの活動をメインにしています。 加えて最近は、1990年初頭から始まった、ブラジルからの日系ブラジル人の就労(所謂デカセギ)が30年を数え、定住者の増加、老齢化、子弟の教育問題なども散見され、当協会としても在日ブラジル人への支援が避けて通れない課題となりました。 つまり上記①のブラジルに於ける日本文化や日本語の普及に加え、日本における日系ブラジル人支援も活動の一環に組み込まれました。

さて、今回寄稿する「大泉ツアーに関しては上記②の活動に当たります。

文化交流委員会では、コロナ・パンデミックにより団体での集まりなどが制限され、ここ数年斯様な活動を実質的には自粛しておりましたが、久しぶりに活動再開となりました。 元々は協会が運営するポルトガル語教室の生徒の方々から、「パスポート無しで行けるブラジル旅行」という触れ込みで最近TVなどのメディアで頻繁に紹介される群馬県大泉町に行ってみたいという希望があり、それに応える為に、「大型バスで行く40名ほどのツアー企画」が立ち上がりました。

準備と実行には当協会のポルトガル語教室の三浦マリエ先生、ブラジル駐在経験後帰国し、難関の国家試験である通訳案内士の資格を取られ、最近のインバウンド復活による外国人観光客の増加で大忙しのツアー・コンダクタ―麻生田さん、そして協会の窪田事務局長には大変尽力頂きました。この場をお借りして御礼申し上げます。

さて、協会のホームページにてツアー参加を募集したところ予想以上に反響があり、僅か1週間で定員に達し募集締め切りとなりました。三浦先生によればポルトガル語の生徒さん達にお知らせする前に座席が一杯になり、参加出来なかった生徒さん達からはまた直ぐに次のツアーを計画して欲しいとの強い希望があったそうです。予想以上の反響は嬉しい事でしたが、間に合わなかった生徒さんには申し訳御座いませんでした。

 

では、ここからは大泉ツアーのレポートと、ツアーで私が感じた思いなどをお伝えいたします。

 

◎出発

2023年5月20日(土)、当日は曇り空で途中少し雨も降りましたが、強い日差しもなく過ごしやすい天気に恵まれたと思います。 午前9時にほぼ定刻にバスは新宿西口、工学院大学前を出発しました。 コースは首都高から川口ジャンクションで東北道に乗り、途中のサービスエリアで20分ほど休憩し、館林出口で高速道路を下りて国道354号線を走り大泉町に到着する所要時間およそ2時間半の往路です。 バス車内では麻生田さんからツアー概要説明の後、41名の参加者全員がそれぞれ短い自己紹介や、何故このツアーに参加したのかなどを発表し合いました。

◎利根川を渡るとブラジルだった。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった」と川端康成は「雪国」の冒頭に記しました。
私達のバスが利根川を渡る時に、コンダクタ―麻生田さんがこう言いました。
「皆さん、この河を渡るとブラジルです。でもパスポートは必要ありません!」と。
ホント国際的です。何せ道中に何度かあったバス乗車時の点呼は、時にポルトガル語、時にスペイン語と、麻生田さんの面目躍如で、車内ははやくもブラジルな空気です。 折しも広島ではG7に欧米の首脳が集まっており、それに加えてグローバル・サウスのインド首相やブラジルのルーラ大統領やウクライナのゼレンスキー大統領まで。
そのG7(私にとってG7とはソ、シ、レ、ファのGドミナントコードですが)が成功だったかどうかをコメントするのは、このツアーレポートの本旨でないので控えまするが、少なくとも世界中から専用ジェット機でCO2を撒き散らし、数万人の警官警備に多額の税金を投下し、それでも「環境問題」「国家間の紛争問題」「SDGS(持続可能な発展)」「LGBT(性的マイノリティ問題)」「人種や人権差別問題」「少子化、老齢化等の人口問題」など山積する問題を議論したのだそうです。 ではでは、個人的にはG7に出席した各国の首脳諸氏に、是非私たちの乗った大泉行の観光バス車内をよくよく観察してくれよと言いたかった! そして如何に廉価にして平和な集まりを実行することが出来るのか学んで頂きたい。 何しろツアー参加者の年齢は5歳から85歳、国籍色々、人種色々、人生色々島倉千代子。 バス車内には国家間紛争も環境破壊も性的マイノリティや高齢者への差別偏見もすべて無し。警備関係費用ゼロ。税金無駄遣い無し。
これで参加費8500円。しかもブラジル・レストランでのランチ付き。 次回のG7開催の参考にして頂きたい、と関係国首脳に強く訴えたいと思わないでもないでもないでもないと思ったことでした。

話変わって。「東京には空が無い」と智恵子は言ったが、バスの車窓から外を見上げると、高層ビルなど無いので
空が大きくて広い事が良くわかる。360度に広がる空。東京近辺の住人は偶には大泉町のような地方へescapeを試みたいね。

 

レストラン・ブラジルでランチ

レストラン・ブラジル前で集合写真

最近、ブラジルを代表するシュラスコ(シュハスコ)がブームみたいですよね。 1994年に青山、表参道脇に開店したシュラスコの有名店、「バルバコア」などは、確かにチョイとばかり高級路線ではありましたが、それでも当時は

4500円位あれば何とかなったもんです。 しかし今や、表参道以外に、丸の内、新宿、渋谷、六本木、高輪そして虎ノ門とトレンディな街の有名ビル内に支店を展開し、お酒も含むと8000円以上にはなってしまうという、あまりお気軽に立ち寄るような場所では無くなりつつあります。 まあ、ブラジルでも「バルバコア」や「フォーゴ・デ・ション」などの有名シュラスカリーアは、やっぱり0高級レストランですから、ブラジル人の間でも、特に誕生日などのお祝いなど特別な機会、つまり晴れの日に家族、友人が集まる場所になっていますよね。

しかし、元々はブラジル南部の牧童(ガウーショ)が草原で野営する時に、その焚火で牛肉を焼いたのがシュラスコの起源だと思うので、昨今のお洒落なシュラスカリーアは日伯共々、「ちょっと野趣に欠けるなー!」と感じる事が多々ありますよ。その好例が新丸ビル内にある「丸の内店」かな? 店名も「バルバッコア・クラシコ丸の内店」です。クラシコなんて、まあお上品、セレブ感一杯、随分前に一度行きましたが、シュラスコの野性味が感じられなくて、私個人的には「何だかなー!?」な印象で、おそらくもう二度と行かないと思います。バルバコアさんの名誉(??)の為に付け加えると、私、開店直後から今でも青山店の雰囲気は大好きですよ。 どうしてわざわざ、しかもくどくどとバルバコアに就いて書いたかというと、そうです、大泉ツアーのハイライトの一つ、レストラン・ブラジルのランチに関係あるのです。

大泉町で初のブラジル・レストランという謳い文句です。否定しません。バルバコアと同じころに開店し、すでに30年ですから。そして大泉という場所柄、ブラジル人による、「of the people , for the people,by the people」と言う、ゲティスバーグ宣言もかくやのレストランです。 ツアー当日は不在でしたが、個人的に創業者の岩田カルロスさんとは旧知の仲です。とても温厚な人柄です。 でも昨今の「パスポート無しで行けるブラジル」というブームを、当時の岩田さんは想像できたのでしょうか? よく頑張られたんですね。先見の明があったのでしょうね。

さて、やはり食べる事は旅行の大きな醍醐味の一つですよね。 当日のメニューは サラダバー、コシーニャ(ブラジル風コロッケ)、エスペット・ミスト(具はピカーニャ、チキン、ソーセージ、ベーコン、パプリカ。

普通のシュラスコは60センチ位の長剣に刺さってますが、これはミニ・シュラスコ、あるいはジャイアント串焼きかな。

それにライスと定番の茶色いフェイジョンが付いてきます。このライスとフェイジョン(arroz com faijao)こそブラジル人の日常を代表する定番中の定番のソウルフード?ですよね。 以前、格闘技が盛んな時代にブラジル人選手が大活躍して日本人選手をやっつけまくった時がありました。 その頃、あるブラジル人格闘家が「ニホンジン、ヨワイネ~!

モット、フェイジョンタベナイトダメネー!」などとお話なさいまして(ほざきやがって!)ドヤ顔してたのを悔しい思いで聞いていたのを今頃思い出しました。 まあそれはそれとして、私はフェイジョンを久し振りに懐かしく頂きました! デザートはたっぷりの卵と砂糖代わりの練乳を使った、少し硬めでとっても甘い「ブラジル風プリン」。

Caféと一緒に頂いて、ペルフェイトなブラジリアン・ランチでポンポコリンも一杯になりました。 僕達のテーブルの4人は大人しく定番ガラナで乾杯しましたが、ビールやカイピリーニャで盛り上がっている、正しいブラジル食マナーを実践しているテーブルも散見されました。 ところで、デザートのブラジル・プリン(プヂン)ですが、なにやら最近、これが第三次プリンブームの主役になっているのだそうですよ。嬉しいね。凄いね!

 

ブラジリアン・プラザ

昼食後、ブラジリアン・プラザに移動。 そこで大泉町観光局の職員さんや、大泉で生活しプラザの活動を支えている数名のブラジル国籍の方からプラザの説明をして頂きました。 皆様お疲れ様、そして有難うございました。

プラザはもともと、1990年代初頭から急速に増加した日経ブラジル人向けのショッピングセンターでした。 大泉町周辺は、ピーク時には数万人の日系ブラジル人が集まっていましたが、その後のリーマンショックや日本の景気低迷もあって日系ブラジル人の数も現在約5000人へと縮小しました。その影響で、最盛時の来客数が一日に1000人を数えたショッピングセンターも閉鎖に追い込まれ、その後プラザを訪れる人は一日100人程度に落ち込んでしまったそうです。そんな中で、以前は繋がっていた日系人コミュニティも疲弊し分断され、住民の老齢化、子弟の教育問題、非正規雇用問題など解決しなければならない問題が山積し始めました。そこで有志が知恵や資金を出し合って、かつて日系社会で重要な役割を果たしたブラジリアンプラザをもう一度、コミュニティの中心として再スタートさせようとRE-START運動が始まったと説明を受けました。

具体的には、建物の一階に日本からブラジルへの移民資料と、すでに30年に及ぶ日本での日系ブラジル人コミュニティの歴史資料や多くの関連書籍を展示した資料室(Museu da Imiguracao Brasileira)兼図書室。 そして2階には、派遣切りなどで仕事を奪われた人々の再スタートを援助する為に、彼らが利用できるシャワールームを備えた宿泊施設などがあるそうです。そして食事の提供、生活支援などを通しての就業支援をするのだそうです。素晴らしい活動ですね。

観光協会の説明に現れたメンバーの一人、橋本秀吉さんは日系三世ですが、もう30年以上も在日ブラジル人支援の活動を草の根レベルで続けている奇特な人です。彼の日本での活動に就いて、近い内に当協会のHP内の「伯学コラム」に

紹介したいと思います。 自分の事より、苦労している同胞の事を優先する滅私奉公の、昔の野武士みたいな良き変人です。彼の話では在日ブラジル人社会も老齢化が進み、日本で人生の最後を迎えた方や、これから先迎える方が増えているそうで、その中には亡くなっても供養するお墓のない人も少なからずいるそうで、そうした方々に安価(時には無償で)共同のお墓を八王子で提供しているそうです。 橋本さんの後には、日系ブラジル人関連の仕事で財をなされたHさんがいらっしゃいます。同氏は在日ブラジル人への恩返しとして、ブラジリアン・プラザの再建にも大きな貢献をされたと聞きました。なかなか真似のできる事ではありませんね。 そして、プラザには沢山の書籍が置いてありますが、当協会の小林相談役も沢山の蔵書を寄贈されています。

 

◎チーズ工場見学

ブラジリアン・プラザの後は、ビルマール(Vilmar de Souza Farias)さんの経営するチーズ工場「ビスミルク」の見学です。 オーナーのビルマールさんは、来日後しばらく工場勤務などをされていたそうですが、2002年というからもう20年も前に、自身の故郷であるミナスジェライス州の名産ミナスチーズ(queijo minas)の製造販売を始められたと聞きました。 とても陽気、元気な方で、チーズ作りや販売の仕事が楽しそうでした。 TVなどのメディアでも随分と紹介され、群馬県ではちょっとした有名人みたいです。 来日して様々な事業を起こして成功されているブラジル出身者が日本中に居りますが、ビルマールさんも含め、そういった人たちは人間として逞しいなあと感じます。

ガッツが違うんだろな。 やっぱり異なった環境に置かれたら才覚、ガッツのある方は行動を起こすんだな。 考えてみたら、例えばサンパウロでは「今なら」簡単に豆腐も納豆も手に入ります。 その昔、日本から移民された方々が、やっぱりガッツを持って故郷の味を作り始められた結果だなあ。 「艱難辛苦、汝を玉にす。」などと言われるし、ブラジルでも「adversidade faz um homen」と言うし。 かつて日本からのブラジル移民もそうだったし、そしてビルマールさんも、おそらく色々なご苦労を乗り越えて今日があるんだな。 ホントに凄い、こういった人々を私はとても尊敬します、と言うか素直に頭が下がります。 閉塞した今の日本で多くの若者は未来の道が見えにくい。 私がもし今13歳の中学生なら、進学やめて、すぐにビルマールさん、あるいはビルマールさんみたいな方を探して弟子入りしたい。 その方々は自分で道を開くやり方を知っている人だもんね。こうした人に会えるのも大泉ツアーならではでしたね。

さてさて、ミナスチーズは製造過程で発酵させないので、とてもさっぱりしたチーズとしてブラジルでも一番親しまれています。私が大好きなpao de queijo(チーズパン)を作るのにも使われてますよね。

ビルミルクの工場では何種類かのチーズを試食して買う事も出来ますので、大勢の方が試食後、チーズをお土産に買われていました。 工場では隣町の太田市にある牧場から原料の牛乳を使用しており、地産を実践しておられます。活きたSDGsです。 ミナスチーズのロゴマークは「乳牛」のイラストですが、その模様がブラジルと日本の地図になっている事に気づきました。楽しいアイデアね! ビルミルク見学楽しかったです。

ビルマールさん、スタッフの皆様有難う御座いました。

 

◎Supermercado TAKARA

チーズ工場から徒歩数分の所に、周辺に住む日系ブラジル人やペルー人御用達のスーパー・タカラがあります。

おそらく、単純に「パスポート無しでブラジル旅行」の気分で大泉町を訪問した方にとって、大泉町最大のアトラクションがこの「スーパーマーケット・タカラ」かも知れません。ブラジルの多種多様、これでもかという食品が販売されており、正にブラジルに迷い込んだような錯覚を覚えます。ブラジルに一定期間滞在された方には懐かしい品々が沢山あります。 ツアーの朝、家を出る時に、ウチのオクサンから「フランスパン(pao frances)と、リングイッサは絶対忘れずにお願いします。」と注文を預かりました。日本でフランスパンと言えばちょっとおしゃれなクロワッサンやバゲットやバタールが思い浮かびますが、この「ブラジルのフランスパン」は美味しいのに日本ではほとんど売られておりません。

特にシュラスコの焼いたお肉をこのフランスパンのお腹を割ったところに挟み込んで食べるのが、オシャレじゃないけどシンプルにうまいのです。リングイッサは生肉、ハーブやスパイスを腸詰にしたもので、我々が普通に見かける燻製、加熱などの加工を施されたソーセージとは違い、とてもジューシーで美味しいです。シュラスコにも欠かせません。

で、フランスパンと、上の写真のように蛇がとぐろを巻いたような形をしたリングイッサは早々に買い物かごに放り込みましたが、店内をブラブラと見回っているうちに、ポンデケイジョやらフェイジョアーダの缶詰やらゴイアバーダやらも買い物かごに侵入して参りました。 ゴイアバーダはビルミルクのチーズ工場で「ロメオとジュリエット」の説明を聞いた影響です。随分昔の事ですが、初めてブラジルに行った時にチーズとゴイアバーダのマリアージュを「Romeu e Julieta」と言うんだよと教わりました。まあなんとロマンチックなネーミング!と感心した記憶があります。 花の蜜を吸うハチドリの事を英語では、そのブンブンと聴こえる羽音から、ハミングバード(humming bird)と呼びますが、これはこれでなかなかに美しいネーミングながら、ブラジルでの名前「Beija Flor」には、その名のロマンチック度合において格段の差があるといつも思っています。 「花にキスする鳥」ですよ、Flower Kisserですよ。 で、そんなロマンチックなネーミングセンスを持つロマンチックなブラジル人が放つ「Romeu e Julieta」もそのロマン度においては負けてません。 でも時々観るBSNHKで放送されている「ちいさなイタリアの村」とかいう番組で、フルーツジャムとチーズの組み合わせをそう呼んでいたような記憶があります。小説の舞台はイタリアだから、こっちが本家かも、かも、かもです。

で、どうやら真にオーセンティックなRomeu e Julietaはブラジル以外で味わうのは、ホントはとっても難しいそうなのです。なぜなら用いるチーズは必ず正しきQueijo Minasでなけらばならないからだそうです。 で、大泉町は「パスポート無しでも行けるブラジル!」ですから、我々は日本に居ながらにして、「truly authentic Rome e Julieta」を味わえる光栄に浴することが出来るという訳ですよ。皆さん良かったね!

東京へ帰国します。

TAKAEAにサヨナラして帰りのバスに乗ります。 萩生田さんのポルトガル語による参加者の点検が終わり、いざ

Toquio, Japaoに帰国です。 氏の説明によれば、ツアーコンダクターの最高の喜びは、帰国した場所に出発した人数と同じ人数の旅行者を連れて帰る事なんだそうです。ですから今回も、41名が無事帰国出来て良かったですね。

時間通りに出発し、予定通り高速サービスエリアで十分な休憩を取っても、途中の高速道路が空いていたせいで計画よりも半時間ほど早く帰国出来そうでした。しかし時間厳守を本分とする(???)ブラジルの団体は、それに満足せず、コンダクターが予め仕込んでおいた、東京に近いトンネル内での追突事故による渋滞の為、なんと出発地に予定時刻ピッタリに到着。トヨタのJust in Timeシステムも裸足で逃げだしそうな、お見事なコンダクターぶりでありました。 お疲れさまでした。 ツアーにご参加の皆様方も大変お疲れさまでした。 なんだかこの秋には「マンジョカ芋堀ツアー」をしようかなどという話も出ているようで、計画が実行されればまた皆様とお会いできるのです。お楽しみに。

Muito obrigado e ate a proxima!

Akira Iwao com forte abraco.