藤井康喜(東洋紡ブラジル社長)

 

繊維事業の盛衰
1955 年、東洋紡は、綿花と日系人材を有するブラジルに、戦後初の海外現地法人を設立し、サンパウロ市で紡績・織布事業を開始した。62 年にアメリカーナ市の 370,000 平米の敷地内に新紡績工場が完成、63 年にはジュセリーノ・クビチェック元大統領の訪問を受けた。64 年にはアメリカーナ事業所内に織布工場を建設、その後も増設を続けた。73年にサンパウロの染色工場が完成、74 年にはアメリカーナでニット地の生産を開始した。同年、サルト市から工場用地747,800 平米の無償譲渡を受け、当時、日本で開始していた繊維以外の事業を含む複合事業所を建設する予定で、76年に合成皮革工場の操業を開始したが、既に建屋が完成していたフィルム工場は、装置の輸入許可が下りず、景気後退もあって、事業中止を決定、未使用の土地をサルト市に返還した。77 年、アメリカーナに縫製工場を建設して、アパレル事業に進出、81 年には、靴下工場を建設した。84 年、イタリアのベネトンと商標デザイン使用契約を結び、ブラジルでベネトン製品の製造販売を開始、ショップ展開まで手掛けた。日本と同様に、ブラジルでも、紡績・織布・ニット・染色・縫製・小売と、川上から川下まで、広く繊維事業を展開していたが、次第に、安価な輸入繊維製品の波に押されて、2016 年に繊維事業から完全撤退した。

酵素と生物農薬
日本の東洋紡では、レーヨンの廃液処理に酵母を使用していたことに端を発して、医療機関で使用される体外診断薬用の酵素を製造販売している。そのうち、植物由来の酵素を安定供給するために、90 年、サルトの酵素工場が操業を開始し、原料となる植物をブラジルで確保し、サルトで酵素中間体を製造して、日本の工場に供給する事業を行ってきた。
シーズン性がある酵素中間体生産の閑散期を埋めるために、キノコの栽培や、天敵昆虫の飼育にも挑戦した後、カビの胞子を利用した生物農薬を製造するようになり、2010年に製品登録を取得して販売を開始した。当初は認知度が低かったが、安価で環境に優しく効果も高い弊社の 生 物 農 薬「EcoMetaPower」 と「EcobassUltra」、および原料の胞子が、近年、俄かに注目を集め、ディストリビューター、商社、生物農薬メーカー、化学農薬メーカーなどからの引合いが殺到している。繊維や酵素の事業で培った品質管理、キノコ栽培で導入した設備や、繊維事業撤退後、空き家になっていたアメリカーナの建屋など、持てる有形・無形のインフラをフル活用して、増産を続けている。

エンプラ、ライスレジン
東洋紡は、日本の自動車部品に使用される高機能なエンジニアリング・プラスチックを製造しており、世界各国でエンプラ事業を展開してい る。2010 年 代 に入 り、BRICs が 注 目され、14 年にアメリカーナ事業所にエンジニアリング・プラスチック工場を建設した。ところが、ブラジルの自動車販売台数は、12 年の 380万台から 16 年には 205 万台まで激減、その後、徐々に回復したが、COVID-19 のパンデミックで、20 年には 206万台に低下、そして、半導体などの供給不足により低迷が続いている。元々、東洋紡は日系メーカーの要求品質に応えることで、エンプラ事業を拡大してきたが、ブラジルでは、現地の部品メーカーを開拓することにより、売上を伸ばしてきた。現在は、生物農薬生産で使用したコメを再利用して、ライスレジンの開発に取り組んでいる。

人と地球に求められるソリューション
1882 年に渋沢栄一によって設立された東洋紡は、「順理則裕」(なすべきことをなし、ゆたかにする)を経営理念とし、素材とサイエンスで人と地球に求められるソリューションを創造し続けるグループをめざしている。
世界の人口は今後も増加し続ける。ブラジルの農業は、世界の食糧需要を支える上で、重要な役割を担っている。東洋紡ブラジルは、生物農薬で農業生産性向上の一助となり、世界の医療現場で使用される診断薬の原料酵素、そして、環境にやさしいプラスチックで、世の中のお役に立ちたいと考えている。