徳田 修
(㈱リベルコン・ジャパン代表取締役)
中南米査証の専門会社を目指して
私とブラジルとの出会いは45 年前になる。ブラジル系旅行会社に就職したことがきっかけとなった。学生当時、ブラジルに関する知識は乏しく「コーヒー」や「リオのカーニバル」程度のものだった。就職活動中のある企業説明会で「当社はアマゾンにもネットワークがある」と聞き、妙にそれが心に残り志望動機となった。思えばそれからブラジル一筋、約半世紀になった。
就職後、私の担当業務は旅行の立案や手配ではなく、業務渡航に関わる就労査証や現地法人の設立、留学査証や永住権の取得などであった。とてもニッチな分野で当時、ブラジル査証を専門業務とする会社は私が知る限り一社も存在しなかった。そこで一般の旅行会社とは一線を画す、ブラジル査証に特化した会社を起業した。
当然ながらブラジル側にパートナーが必要となる。同様の業務を専門としていた日系弁護士会社の「リベルコン社」と業務提携を結んだ。これを機に社名も「株式会社リベルコン・ジャパン」へ変更し、おかげさまで今年創業35 年周年を迎えた。現在はブラジル以外にもアルゼンチン、チリ、パナマなどの中南米査証や書類認証、翻訳も行い、在日ブラジル人のお客様へ領事サービスの代行や日本への帰化相談にも応じている。また、Jリーグ発足前よりブラジル人プロサッカー選手やコーチ、そのご家族が来日する際の日本国査証の取得や航空券手配もサポートしてきた。
度々の入管法改正
ブラジル入国法令はこれまでも度々改正されているが、最近の大きな改正と言えば日本国籍者に対して短期滞在査証が免除となったことだ。2016 年のリオデジャネイロ・オリンピック開催時において一時的に訪問査証を免除したことを契機に2019 年6月17日より正式に査証免除となったものである。この査証免除は日本・ブラジル両政府間の相互免除によるものではなくブラジルの一方的措置であったが、G7 広島サミットの際に岸田首相がルーラ大統領から求められていた相互免除の要求に応じ、当面3年の期限付きで本年9月30 日より日本もブラジル国籍者に対し短期滞在査証の免除に踏み切り、ようやく相互免除が実現した。これにより両国間のさらなる人的交流が期待されるが、不法滞在者の増加等が懸念される。しかしながら査証免除における滞在目的は相互に限定的であるため、その目的によっては査証が必要となるケースがある。
ブラジルスタンダード
これまで数多くの査証業務を取り扱ってきたが苦慮したのは、時折ケースバイケースで判断される事例があること。あるケースでは問題なく許可されたのに、同じ内容の別のケースでは許可されない。許可されない方は納得できないが、それを当該機関に説明しても埒が明かない。審査担当官の移動や法令の運用が急遽変更されたことに起因するものである。従って、以前こうだったので今回もこうであろうと考えることは適当ではない。最近では随分システマチックになってきて、逆を言えば以前のようなケースバイケースで特別に扱ってもらうことが期待できなくなってきた。
プロサッカー選手の訪日サポートにおいても様々な問題を経験した。一般的にプロサッカー選手との契約は定められた選手登録期限ギリギリで合意に至るケースが多い。合意と同時に日本査証の手配がスタートするのだがそれは時間との勝負になる。越えなければならない手続きのハードルがいくつもあり、いつもハラハラドキドキ、ブラジルとの時差で昼夜区別なく確認作業が続く。
また、シーズンを終えて一時帰国した選手が次のシーズンに向けて再来日する場合も気が抜けない。当方のスタッフがブラジルの空港で選手を待つのだが、待てど暮らせど選手は現れない。選手とようやく連絡がついたと思ったら、選手から「パスポートが見当たらない」、「母親が急病になった」と言われ万事休す、その日は出発出来ず再手配となった。
後日確認するとそれらはあくまでも口実で、一日でも長く家族と居たいということだった。確かに一時帰国が短期間となってしまえば、家族をとても大切にする彼らの気持ちは理解できなくはない。がしかしである。
アウターコロナ
世界中で人の動きが止まったコロナ禍において当社もかなりの影響を受けた。5類感染症に移行された今、止まっていたプロジェクトは再開され業務渡航も徐々に増えてきた。日本とブラジル、中南米との関係は多岐に渡る。その関係は今後も経済、文化などあらゆる分野において力強く支えられていくであろう。乗り越えなければならない課題は存在するが、お互いになくてはならないパートナーであることに間違いはない。
当社の豊富な業務経験と正確な情報、質の高いサービスで今後も相互の発展に寄与することが出来れば幸いである。