会報『ブラジル特報』 2011年5月号掲載 文化評論 岸和田 仁(協会理事) |
2003年に「ブラジル文学アカデミー」会員に選出されたことで、保守的な中央文壇でも認知されたモアシル・シクリアールは、大都市の中産階層や在ブラジル・ユダヤ社会を主なテーマとして書き続けた作家であるが、2月27日、ポルトアレグレで急死した。享年73歳。現代ブラジル文学の旗手とみなされていただけに、その死を惜しむ声が、ブラジル国内ばかり海外各地からも寄せられている。 彼自身の医学研究の集大成として2002年に書き上げた医学博士論文のタイトルが「聖書から精神分析へ:ユダヤ文化における健康、病気と医学」であることをみてもわかるように、ブラジル人アイデンティティとユダヤ性の間で煩悶しつつも「ユダヤ人であること」に真正面から取り組んだ知識人であった。 ラルグマンの作品は、20世紀初頭から1930年代にかけて、ポーランドなど東欧から多くのユダヤ系女性を性奴隷としてブラジルやアルゼンチンの“闇市場”へ人身売買したのが、ユダヤ系マフィア組織であった、という歴史的事実に基づいた小説であるが、はしがきで、シクリアールが医者になって間もない時、ユダヤ・コミュニティー養老院で仲間から孤立する“元ポラッカ”に出会ったと述べている。彼自身、関連資料を読み込んだうえで、このテーマで『水の回流』(1975年)という小説を書き上げているからだが、彼にとって“ポラッカ”は重いテーマであり続けた。 彼の作品で邦訳されたものは一冊もないため、シクリアールは日本ではまったく知られておらず、誠に残念なことだ。筆者が知る限りでは、西成彦立命館大学教授が2006年に発表した論文「ブラジルと日本語文学」(『国文学 解釈と鑑賞』2006年7月号所収)において、ブラジルのマイノリティ文学の旗手として紹介しているのが、日本語によるほとんど唯一の言及であろう。比較文学者の西教授は、「ブラジルの日系文学をふりかえるにあたって、ブラジルの日系人社会はいまだにスクリアールに相当する大物作家を産み出すにはいたっていないことを、まず指摘しておく」と“挑発”したうえで、ブラジルにおけるユダヤ系文学の推移と日系文学のそれとを比較しているが、この指摘は実に示唆的である。 |