会報『ブラジル特報』 2012年3月号掲載

             ヤマグチ・アナ・エリーザ(上智大学外国語学部ポルトガル語学科助教・NPO SABJA理事長)



 「日本在住の人数が多いにも拘わらず、在日ブラジル人の場合は強い内部組織が存在しない。ブラジル人同士の連帯があまりない」などという意見を日本人の多くの方からよく聞く。しかし、それは多くの日本人が、それらの組織の存在すら知らない、もしくは報道されてないだけだからと思われる。

 2008年の世界同時経済不況が起き、多くのブラジル人が職を失った。その中で、2009年1月に「SOSコミュニティ」という団体が誕生した。当時在日ブラジル人が抱えている問題を国に訴えるために、各地の多くのブラジル人に呼びかけを行い、東京と名古屋でデモ行進をした。しかし、当団体は厳しい状況に陥ったブラジル人社会に対して、緊急対応として作られた団体であった。その際に、「ブラジル人同士で力を合わせる時が来た」という呼びかけスローガンを掲げた。

 その後、同じSOSコミュニティのメンバーらはブラジル人内部の組織化が必要だと感じ、2月に在東京ブラジル大使館で「全国ブラジルネットワーク(NNBJ)」が設立された。当団体の主な目的は、①日本全国にあるブラジル人支援団体の連携、②在日ブラジル人の代表として、両国政府機関に対するスポークスマンとしての責任を担う、③市民または労働者としての在日ブラジル人の権利を守る、④在日ブラジル人のイメージ保持の保証である。このように、これまで日本全国に個別に活動をしたブラジル人と関わる団体が集結し、横の連携を持とうとした。そして3月に東日本大地震が発生した際に、駐日ブラジル大使、在外ブラジル人代表者評議会(CRBE)、全国のブラジル関連の支援団体代表者28人が集まり、3月26日に「Moviment brasil Solidário (連帯ブラジル)」が誕生した。当組織の設立は全国ブラジルネットワークの活動の一環であり、2008年のリーマンショック後と同様に、大災害後に信頼できるポルトガル語による情報を多くのブラジル人に伝達することを目的として、メーリングリストを作成した。それによって、多数の情報を一括して登録した団体に届け、その団体に関連した個人にも届くようにすることを可能にした。

 その後、土木会社を営んでいるある日系ブラジル人は、地震発生の一週間後に宮城県石巻市へトラックや重機を運んで現地入りし、遺体捜索や瓦礫撤去作業を行った。その後、彼を中心となって、連帯ブラジル活動が開始された。連帯ブラジルが可能になった理由は、多くの在日ブラジル個人個人が団結し、力を合わせたからである。もう一つは、当時ブラジル大使館のコミュニティ領事業務担当者が、活発に在日ブラジル人の声を大使館内に届くように努め、できるだけ多くのブラジル人とブラジル政府とが連携して一緒に活動しようという動きがあったからである。その後、ブラジル大使館を通じて、駐日ブラジル大企業からも寄付が集まるようになり、より活動が本格化した。

 brasil Solidárioの設立のきっかけは、お世話になった日本および日本人に何とか手助けや力になりたい、ブラジル人はただの労働者だけでなく、潜在的な力を持っているからこそ証明できる時が来たと信じていた人がいたからである。もう一つは、ブラジルコミュニティはただの「トラブルメーカー」ではなく貢献・協力できる在日ブラジル人として多くの日本社会に認識して欲しいという信念から発足したとの声が、多くのブラジル人関係者から聞かれた。以下に連帯ブラジルが行った3つの活動を紹介する。

 連帯ブラジルの最初の活動は、宮城県の3市町に400台(大人用300台、子供用100台)の自転車と5,000本の消毒用アルコールが届けたことから始まった。それ以外に、各地のブラジル人個人および支援団体から多くの物資を一緒に届けた。

 その後、7月13日に宮城県南三陸町で開催された「第四回福興市」に、応援としてシュラスコ(ブラジル式バーベキュー)屋台を出店した。2台のバスに60人以上の有志ブラジル人および日本人を載せ、各地に集まった物資やサンバイベントの楽器やシュラスコ用のお肉等を3台のワゴン車で運び、現地入りした。ブラジル人および日本人企業、団体からシュラスコ用に150kgの牛肉と鶏肉、480本のガラナ飲料、1,000個の箸と紙皿が寄付された。その収益金の165,200円は福興市実行委員会へ寄付された。

 それ以外に、被災者を元気づけるために13人のサンバダンサー、演奏者や2人のブラジル人歌手、1 人のピエロ等も参加し、イベントを盛り上げた。そして、ブラジル大使館の代表者やブラジル人研究者、新聞記者等幅広く日本で活動しているブラジル人が一団となり、支援活動に貢献した。

 また、連帯ブラジルは10月17日にサッカー元ブラジル代表のペレ氏が、宮城県名取市の被災者を励ますための訪問企画を実現した。その際に、500枚の電気カーペットと消毒用アルコールを寄付した。その際に、ブラジル連帯のメンバーと駐日ブラジル大使らも現地入りし支援活動を行った。
 上記の活動以外に、個別に支援活動したブラジル人団体が他にも多く存在している。
 
例えば、「Kanagawa brasil Solidário や「brasil Solidário Nagano」といった被災者を支援したいという思いから結束した団体や、もともと支援活動をしていた団体等、災害に対する支援をし始めた団体等も存在する。支援の内容は、米等の食料支援物資、子ども用の筆記用具、電化製品の寄贈、シュラスコの炊き出し、民家の瓦礫撤去作業、周辺の清掃等である。つまり、さまざまな側面からブラジル人コミュニティによる支援活動を行ってきたのである。

<「福興市」でボランティア活動をする日系ブラジル人>

 このように、Movimento brasil Solidárioは、「ブラジル個人および支援団体」、「ブラジル政府」と「駐日ブラジル企業」の共同態勢により設立された団体である。しかし、ブラジル政府やブラジル企業がそれらの活動を支え協力的であったとはいえ、何よりも在日ブラジル人コミュニティによる意識変容と内なる力、日本人の手助けになりたいという強い思いがなければ実現できなかったことを強調しなければならない。

 つまり、リーマンショック後、大災害は在日ブラジル人社会にも大きく影響し、在日ブラジル人の数が減少したが、彼らの日本社会との関わりは新たな局面に入り、強固な組織が生まれようとしている。

  今後NNBJという組織が、新たな形で活躍、強化されることを大いに期待し、その結果ブラジル人コミュニティを代表する組織に成り得ると信じている。