会報『ブラジル特報』 2012年5月号掲載
【文化評論】

                                      岸和田 仁 (協会理事)



 1912年8月10日生まれの国民作家ジョルジ・アマードがその生涯を閉じたのは、2001年8月6日であった。享年88歳だった。それから11年経った今年は、生誕百周年の年なので、この「ブラジルの国民的遺産」(評論家パウロ・フランシスの表現)を讃える関連イベントが行われている。
 まず第一弾は、孫娘であるセシリア・アマード監督による『砂の戦士たち』(原著1937年)の映画化だ。サルヴァドールのストリートチルドレンたちの“闘い”を活写したリアリズム小説は、1989年にテレビ(バンデイランチ局)で映像化されたが、今回は新進監督にとっては長編映画第一作であり、しかもサントラ担当はバイ—アを代表するミュージシャン、カルリーニョス・ブラウンだ、と話題性でも注目を浴びていた。昨年11月に一般劇場公開されたが、残念ながら商業的には成功とは言い難い。
 第二弾といえるのが、カーニヴァルだ。リオの名門サンバスクール、インペラトリス・レオポルディーナが今年のエンヘド(テーマ)としたのがアマードへの讃歌だった。彼の主要作品の主人公などを演出したパーフォーマンスは、上出来だったのに、上位入賞を逃してしまった。(審査委員会の総合順位では10位だった。)
 第三弾は、サンパウロの「ポルトガル語博物館」での特別展「Jorge,amado euniversal」(愛読された世界的作家アマード)だ。この博物館は、これまでも、ジルベルト・フレイレやクラリッセ・リスペクトール、ギマランエス・ロ—ザらの特別展を開催してきたが、3月開始の今回は、アマード特集だ。この展示会は、8月にも同じ内容でサルヴァドールで行われることになっている。

 一方、現在アマード全集を刊行中のCia.DasLetras社(文芸出版社)は、『アグレスチのチエタ』、 『ドナ・フロールと二人の夫』、 『ガブリエラ、丁子と肉桂』、
『テレザ・バチスタ』の4冊を特装箱に収めた豪華版を記念出版し、さらに、相思相愛のアマードとゼリア夫人(二人とも再婚!)の間で交わされた往復書簡を一冊にまとめ、8月に刊行予定だ。
 また、海外(欧州)でも「ブラジル文学アカデミー」の全面協力で、シンポジウムや展示会が開催されている。まずはフランス。パリ大学にて3月16日から19日まで、「ジョルジ・アマード研究」公開シンポが行われたが、そのあと英国、スペイン、ポルトガルでも同様の公開研究会が予定されている。

 関連イベントが予定されていない極東の島国に住む筆者としては、時間をみて、アマードの作品を本棚から引っ張り出して再読するしかない。もっとも、前期のプロレタリア文学作品群と、政治色が払拭された後期作品群を合わせると、刊行された著書は32冊(で世界各国の翻訳版や海賊版も含めると累計販売数は1億冊以上とか)もあるため、主なものだけを再読するといってもそう簡単ではない。
 そこで、彼の全体像を復習するのに便利なインタビュー本をまず再読することにした。フランスのアマード研究者・翻訳家アリス・レイラードの 『ジョルジ・アマードとの対話』(1990年)だ。これは1985年の11月から12月にかけて延べ15日間、アマードの自宅で行われた長時間インタビューをまとめたものだが、彼の少年時代からの文学遍歴はもちろん、彼の政治論、世界観が縦横無尽に語られていて、実に面白い。久しぶりに読み返すと、新たな発見があったりして、興味が尽きない。

 例えば、「ラテンアメリカ文学なぞ存在しない、あるのはキューバ文学やチリ文学、コロンビア文学といった、いくつもの文学であって、この呼称は植民地主義的なものでしかない」という発言。スペイン語圏の学者による「ラテンアメリカ文学」概説書には、ブラジルもハイチも全くふれられていない、まさしく植民地主義的な見方だ、と。彼自身はキューバのニコラス・ギリエン(詩人)やチリのパブロ・ネルーダ(詩人)、あるいはパブロ・ピカソとも親交があったので、特にスペイン語圏に反発があるわけではない。アマードとしては、黒人要素の強い、多様な文化を包摂するブラジルを、ラテンアメリカの一言に含めるな、ということだろう。あるいは、彼の小説が、前期の政治色が強い文学と後期のトロピカルな快楽肯定主義的傾向とに分かれているとの指摘に対し、「私の作品群は、処女作から最新作まで繋がっており、一つの統一体なのだ」と強調している。自分の作品に自信があるからこそ、の様々な発言にはあらためて感銘してしまった。
 とまれ、生誕百周年の機会に、日本でも彼の豊かな文学世界が見直されてほしいものだ。