1974年にブラジルで第1回日本ブラジル経済合同委員会(以後合同委員会)が開催されて以降、今年で15回目を迎えた。筆者は伊藤忠勤務時代の1997年までは日本側(経団連)メンバーとして、1998年以降はCAMPO社よりブラジル側(CNI)メンバーとして通算17回参加した。その間日本・ブラジルのその時々の政治、経済情勢が合同委員会にも色濃く反映されてきた。70年代はブラジルの奇蹟で日本からの対ブラジル投資ラッシュに沸いた時代であったが、その後いろいろな課題が顕在化し合同委員会の論議となった。80年代はブラジルの失われた10年、90年代は日本経済のバブルが弾け、ブラジルから日本企業の撤退が続く中で行われた合同委員会は低調で2国間の経済交流を維持するのに精一杯の内容で有った。
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第15回日本ブラジル経済合同委員会 |
2000年代になりブラジルがレアルプランによりインフレの鎮静化に成功し、中国をはじめ世界の新興国の発展にともなう資源ブームで、一躍ブラジルが最も堅実に発展する資源大国として世界の投資家の注目を浴び、日本・ブラジル関係も大きく変化した。その変化は今回(11月7,8日)東京で開催された合同委員会でも実感した。ブラジルからピメンテル開発商工大臣、ほか主要企業のトップ100人、日本からは近藤経産省副大臣、ほか主要企業幹部150人が出席した。合同委員会でのブラジル側スピーカーの発言からその共通点を列挙すると。
(1)過去の合同委員会では聞けなかったブラジル経済の堅実な発展に裏付けられた自信に満ちた発言が目立った。具体的な国名の名指しこそ無かったがブラジルはBRICSの中でも最も民主主義が定着し、政治が安定し、透明度が高く、安心して投資が出来る国である。日本は今こそ対ブラジル投資へのシフトを検討すべきタイミングだとアピールが相次いだ。
(2)日本とブラジルの双互補完の関係は、過去のブラジルが資源(一次産品)を輸出し日本が工業製品を輸出する先進国と新興国の補完関係ではなく、ブラジルは既に自動車、飛行機、通信器機,ほかの工業先進国であり日本からは技術移転をともなう投資を期待する発言が多かった。
(3)2014年にサツカーワールドカップ、16年にはオリンピツク-の開催国として、大型インフラ投資が増大しており、この分野でも日本の参加、特にリオデジャネイロ~サンパウロ間の高速鉄道への日本新幹線の参加に大きな期待が寄せられた。
(4)日本・ブラジル関係は過去も現在も極めて良好であり、150万人のブラジル日系移民、30万人の在日ブラジル人は血の繋がった両国の大きな財産であり、またブラジルが今日資源大国として発展を遂げることが出来たのも、日伯セラード農業開発等日本・ブラジル両国資源開発プロジェクトに日本が協力して呉れた賜物と感謝の意を述べるのも忘れ無かった。
(5)また、日本・ブラジル関係をさらに深化する為には、両国官民の人的交流促進が不可欠であり、その為に日本とブラジル間の直行便の早期就航の復活が急務と両国からの要望が相次いだ。
以上の発言より筆者の持った感想を下記する。
(1)日本とブラジルの関係は今や名実ともに対等。勢いではブラジルが圧倒的に勝り、日が昇る国と日が沈む国の差が出た。 (2)日本は過去日系移民が築いてくれた信頼と、戦後日本政府が実施した経済協力により、ブラジルとの信頼と友好関係を深めて来た。一方ブラジルは今や世界有数の安全な投資環境にあり、日本にとってブラジルは安全な投資先としてだけでなく、過去から積み上げてきた大きな友好の(含み資産)を持つ国である。この国との重層的な協力関係を再構築させる、今こそ絶好の機会だと考える。 (3)両国関係の再構築には人的交流の強化は不可欠であり、財界人のみならず政界、特に来年ブラジルのジルマ大統領の訪日が期待される中、日本からも首相のブラジル訪問が真に期待される。トップ外交は日本とブラジル関係をさらに強固なものにすると確信した。
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