会報『ブラジル特報』 2013年1月号掲載
文化評論
                  岸和田 仁(『ブラジル特報』編集委員、在レシーフェ)


 ジャブチ賞はブラジル出版界において最も権威ある賞である。「ブラジル書籍評議会」が選定した選考委員たちによってつけられた評点の最高点を獲得したものが、受賞者となるが、その発表は毎年一回(10月)行われる。編集制作、評伝、翻訳、ルポ作品、本の表紙、などいくつもの部門別になっているが、なかでも小説部門は、毎年の受賞者がメディアに大きく紹介されており、注目度の高い文学賞である。日本人には、“芥川賞のブラジル版”と説明したらわかりやすいかもしれない。もっとも日本のように、無名作家が一夜にして有名人になって取材攻勢に悩まされる、というようなことはないが。
 10月18日に発表された、今年のジャブチ賞(小説部門)受賞作品は、作家・大学教師オスカール・ナカザト(1963年生まれ)の小説第一作『NIHONJIN』であった。日系人としては初めての受賞者だったので、主要新聞などのメディアが大きく取り上げている。

 筆者も早速本屋で購入し、一読してみた。175頁の中編作品であるが、文体は平易で読みやすい。ヒデオ・イナバタという1920年代後半にサンパウロ内陸部に入植した移民一世を主人公とする、イナバタ・ファミリー史を、ヒデオの孫である「私」が語り手として、概ね時系列的に述べていく、という小説である。
 病弱な最初の妻に先立たれ、一世のヒデオは“やむなく”隣接入植者の娘と再婚、その子供たちが二世として“ブラジル化”していくなかで、家族内で様々な葛藤・軋轢がおきる。なかでも終戦直後の日系社会を混乱させた「カチ・マケ抗争」では、真面目な日本人移民の大半が加盟したようにヒデオはカチ組組織「臣道聯盟」のメンバーとなるが、次男のハルオ(「私」の叔父)は「日本は第二次世界大戦に負け、天皇も人間宣言したことで現人神でなくなった、このことは事実として認めるべきだ」との意見を地元紙に投稿したことからマケ組となっていく。その結果ハルオはカチ組トッコウタイに捕捉され、逃避先の農園で暗殺されてしまう。長女のスミエ(「私」の母親)は日本人の夫と三人の子供を放置して元恋人の“ガイジン”と駆け落ちする。「私」は、大学を出て教師になり、女性弁護士と結婚するが、日本へ出稼ぎに出かけることを決断する。

 まさに、ブラジル日系移民史のエッセンスといえるような、サンパウロ内陸部の日系社会で日常的に起きたストーリーが展開されているが、作家自身の祖父母の体験を取材したうえでフィクション作品に仕上げた、とのことだ。

 ナカザト氏は、1963年パラナ州生まれの日系三世。パウリスタ州立大学文学部で修士(比較文学)と博士(ブラジル文学)を修得し、現在はパラナ連邦技術大学で文学と言語学を教えている大学教授だ。これまで何冊か刊行した小話集では文学賞を受賞しているが、小説は今回が処女作という。

 さて、醍醐麻沙夫の初期作品群(通訳5人衆の一人平野運平の一生を描いた『森の夢』など)はじめ、「コロニア文学」と総称される日本語によるブラジル移民文学の蓄積を、ある程度かじった身からすると、なんとも文学教本的に器用にまとめられた小説だな、との感想を抱いてしまう。主人公たちの心の葛藤についての記述はあるものの、残念ながら心理描写に深みがない。小説というものは、文学性で勝負する純文学にせよ、ストーリー展開で楽しませるエンターテイメント文学にせよ、いささか“はみ出た”ほうが面白いのだが、まだ処女航海に出たばかりのポルトガル語表現による日系移民文学は、まだまだ発展途上といわざるをえない。


 今回の『NIHONJIN』が選考委員たちの高い評価を得たのは、ポルトガル語によるブラジル文学としては日系移民を正面切って取り上げた初めての小説であるからだろう。彼らにとっては、随分と新鮮な思いでこの小説を読み進んだはずだ。日系移民の歴史に関しては、ポルトガル語の著作・論文が多数書かれているが、小説・フィクション作品は、何故か、これまで書かれたことがなかった。移民100周年(2008年)から4年たって、ようやくブラジル文学の一画を占める日系ブラジル文学作品が生まれた、ともいえるだろう。

 ユダヤ系文学では、モアシル・シクリアール(1937~2011)という、国際的にも知られるポルトガル語表現作家が有名であるが、日系文学でもシクリアールに匹敵するような作家が出てほしいと切望するものである。今回の小説『NIHONJIN』がそうした文学潮流の先駆けとなるか、今後のナカザト氏の活躍に注目したい。シクリアールはユダヤ系二世であるが、ナカザト氏は日系三世だ。このユダヤ系と日系の“世代時差”は、ブラジル社会・文化への日系人の適合の時間的ズレを象徴しているのだろうか。