会報『ブラジル特報』 2013年7月号掲載


                              独立行政法人国際交流基金サンパウロ日本文化センター


ブラジルにおける日本との文化交流の始まり
 日本とブラジルの文化交流は1908年の笠戸丸に乗った781名の日本人移民の方々がサントス港に降り立った時から始まったといえます。
 初期移民の方々は様々な困難を乗り越え、多くの入植地を建設されました。その際、相互扶助や子弟教育の観点から日本人会や日本語小学校が創設されました。もっとも古いものは1915年創設の大正小学校であるといわれています。これらは入植地内のものであり、積極的にブラジル人社会と交流が行われたわけではありません。ただ、これら入植地に設置された日本人会や日本語小学校はその後の日本とブラジルの文化交流の地域拠点へと成長してくこととなります。
 その後、残念ながらブラジル政府による外国語教育禁止政策やブラジルと日本が第二次世界大戦の敵対国となったこと等により、両国の文化交流は停滞期を迎えます。

第二次世界大戦後の文化交流
 第二次世界大戦後の文化交流は、1954年のサンパウロ市創立400年祭をきっかけに再開されます。サンパウロでは財団法人聖市400年祭典日本人協力会が発足し、サンパウロ市への桂離宮を模した日本館の寄贈や、日本祭や現代日本絵画展の開催、文化体育使節団の派遣など、まさに両国文化交流の再開にふさわしい行事が多数行われました。これは戦前とは異なり、積極的にブラジル社会へ日本文化を発信し、日本とブラジルの文化交流を進めていく契機となりました。
 その後、聖市400年祭典日本人協力会は1955年にサンパウロ日本文化協会に移行します。このサンパウロ日本文化協会は日系人の相互親睦と文化的地位の向上をめざし、日本文化紹介と日本・ブラジル文化交流事業の促進を目的として設立され、ブラジル各地に点在する日本人会や文化協会などの日系人組織及び日本とブラジルの文化交流の拠点として活動を始めます。1958年の日本移民50年祭では、サンパウロ日本文化協会が中心となって芸能など様々な行事が実施され、日本・ブラジル間の文化交流がますます盛んになっていきました。
 サンパウロ日本文化協会はその後、日系コロニアの統合機関として2006年にブラジル日本文化福祉協会と名称変更し、現在もなお、両国間文化交流における重要な地位を占めています。

 一方で、ブラジル人が発起人となって設立された日伯文化交流組織もあります。聖市400年祭でともった両国間友好の灯を絶やさせないため新たな組織を立ち上げることが決まりました。1956年聖市400年祭委員会総裁であったギリェルメ・デ・アルメイダ氏を初代理事長として、日伯文化普及会が設立されます。
 日伯文化普及会はポルトガル語、日本語、ブラジル文学、日本文学をはじめとする講座を開設するなど、日系コロニアの統合機関という一面も持つブラジル日本文化福祉協会とは異なり、文化交流を中心とした活動を行うこととなります。その後、日伯文化普及会は1978年に日伯文化連盟と名称変更し、ポルトガル語や日本語教育、日本文化講座を通じた交流などの活動を広げていきます。現在ではブラジルで最大の受講者数を誇る日本語講座を持ち、我々国際交流基金サンパウロ日本文化センターと連携して「JFまるごと日本語講座」を開設するなど、様々な日本文化講座を通じて文化交流を実施する組織として活躍しています。

国際交流基金事務所の設立
 国際交流基金はそれまでアルゼンチンのブエノスアイレスに事務所を設置していましたが、日本とブラジルの文化交流が進展するにともなって、サンパウロを中心とした対ブラジル事業の需要が高まり、1976年にサンパウロに事務所を移転することになりました。
 これまで、日系移民の方々が在外公館との協力の下、様々な文化交流事業を実施されていましたが、国際交流基金サンパウロ事務所が設置されたことは、日本政府が外交政策として常時文化交流事業を実施する体制を整えたという意義ある出来事でした。
 また、国際交流基金はブラジルに日本文化を紹介するだけでなく、日本研究者や文化人、日本語教師を日本に招聘する事業を実施しています。このことにより、これまで日系人の方を中心にブラジルに日本文化を紹介することがメインとなっていた日本・ブラジル文化交流に、日系、非日系を問わず、ブラジル人に日本文化を体験してもらうという交流が始まりました。
 1998年、サンパウロ事務所がサンパウロ日本文化センターと改称してからは、新設された多目的ホールを活用して常に公演や講演会、展示会などを実施し、日本文化の発信基地として活動の幅を広げて参りました。

狂言 サンパウロ公演 2012年7月



日本・ブラジル文化交流の現状

 これまで見てきたとおり、日本とブラジルの文化交流は初期の日系移民の方々の草の根的な交流から、戦後の交流拡大を経て、国際交流基金サンパウロ日本文化センターによる外交政策としての相互交流へと発展してきました。今日の日本・ブラジル文化交流は、ブラジル各地の日本人会や文化協会を中心に地域的な広がり見せ、国際交流基金サンパウロ日本文化センターをはじめとした数多くのチャンネルを持つ複合的な文化交流が特徴となっています。
 具体的には、日本人会や文化協会を中心に、ベレン市やボツカツ市など各地で日本文化関連のイベントが実施され、また、そうした団体付属の日本語学校において、日本語教育が実施されています。特に最近は非日系人の学習者が増えており、日本語を通じた日本文化の普及活動が進んでいます。これらは、まさに文化交流の地域拠点であり、地域的な文化交流の広がりを支える重要な要素となっています。
 前述のブラジル日本文化福祉協会では、文化祭や「さくら祭」、日系文芸賞など数々の日本文化紹介イベントを実施しています。また、日伯文化連盟では約1500人の日本語学習者を抱え、日本語講座や日本文化講座などを通じた交流を推進する一方、ポルトガル語講座に日本人の留学生を受け入れるなど、ポルトガル語学習を通じたブラジル文化紹介も行われています。
 国際交流基金では、過去に漫画家の手塚治虫氏、歌舞伎公演団や大野一雄舞踏公演団など、文化芸術を中心に日本から多くの専門家を派遣して、積極的な文化交流を推進してきました。最近では京料理の専門家を招いた日本食文化のレクチャー・デモンストレーションや狂言の公演、現代日本のポップカルチャーを紹介する「キャラクター大国、ニッポン」展など多様な日本文化を紹介しています。今年9月には「日伯食と書文化交流2013」委員会との共催で書のパフォーマンスとともに日本とブラジルのシェフが料理の競演を行うという新しい形の文化紹介事業を実施予定です。
 このように、今日、ブラジル国内のさまざまな地域で、多くの団体を通じて、多様な分野にわたる文化交流が数多く行われており、これらは、100年以上にわたる日本とブラジルの交流の積み重ねが実ったものといえます。

京料理紹介事業 ブラジリア、サンパウロ 2010年2月


日本・ブラジル文化交流の意義
 ブラジルはbrICSの一翼を担い、今後、2014年のサッカー・ワールドカップ、2016年のリオデジャネイロ・オリンピック大会など国際的な大規模スポーツ・イベントの開催を控え、文化的にも経済的にも国際社会の中で重要な地位を占める大国となりました。そのようなブラジルと継続的な交流を維持することは極めて重要なことです。特に文化交流は、経済交流や政治的な交流と異なり、利害なく分かち合える貴重なリソースであり、両国相互理解の基礎となるものです。
 ブラジルは地理的に日本から最も遠い国のひとつですが、両国の間では盛んに交流が行われています。良好な二国間関係を維持・発展させていくために文化交流は重要な役割を担っています。
 今後も国際交流基金サンパウロ日本文化センターは、数多くの団体のご協力を得て、日本とブラジル間の文化交流の推進に努めてまいります。

  
キャラクター大国、ニッポン 7都市巡回 2013年6月
写真提供はいずれも サンパウロ日本文化センター