会報『ブラジル特報』 2014年5月号掲載

   
川原崎 隆一郎(月刊誌 『ピンドラーマ』 代表)


 四年毎に開催されるサッカーのワールドカップ (以下W杯)が、1950年以来64年ぶりにサッカー王国ブラジルに帰って来る。記念すべき第20回大会の開幕まで残すところ2か月(本稿執筆時点)。筆者はサンパウロに住んでいるが、日本の人たちからは例外なく、今年はW杯で盛り上がってるでしょう、といわれる。盛り上がっていないといえば嘘になるが、2002年の日韓共催大会は準備万端整って、さあいらっしゃい、という感じで盛り上がっていたのではないかと、日本にいなかった筆者は勝手に想像するが、そういう意味では盛り上がっていない。
なぜか日課のように観ているテレビのスポーツ討論番組では、未完成のスタジアムとスタジアム周辺のインフラの問題がほぼ毎日取り上げられている。取り上げられる理由は、ご想像どおり、完成していないものがまだまだあるからだ。
身近な話をすると、サンパウロでは開幕戦を含む6試合が、サンパウロの人気チーム、コリンチアンスの新設スタジアムで行われる予定だが、まだスタジアムが完成していない。昨年12月完成を予定していたが、2度にわたる建設作業員の死亡事故で工事が遅れている。街中の道路工事を見れば、作業員1人が働き23人がそれを眺めるという光景が当たり前のこの国で、工事の遅れ自体は驚くに値しないが、世界中が注目する中で死亡事故がらみで工事が遅れ、大会に間に合わないのでは? となるとちょっとやかましくなる。最初の事故は1127日。観客席の屋根の最後のパーツを持ち上げるクレーンがパーツもろともスタジアムに向かって倒壊した。この事故で作業員2名が死亡。地盤の緩いところに据え付けられていて、地盤沈下のために倒壊したらしい。笑い話ではないが、この高さ114メートルのクレーンより大きいクレーンがブラジルにないため、倒壊したクレーンを持ち上げて撤去できず、分解して撤去しないと工事が続けられないということだった。10月末時点で90%完了、年末に間に合うといっていたのが (真偽は確認のしようがない)、4月末に延びた。だが、クレーンの分解と撤去が異常な速さで年明けに完了したのには驚いた。やればできるんだな、と。安心していたところへ329日、誤って装着していた安全ベルトが外れて作業員が8メートルの高さから転落して死亡。再び工事は一時中止となり、完成は515日ということになっている。完成といっても、試合ができる程度に完成、で未完のまま使用するという報道もある。いずれにせよ事故が再び起こらないことを祈るのみである。
ちなみに、当スタジアムの建設費用は、当初試算の8億レアルが10億レアルに跳ね上がっていて、うち3千万レアルがペトロブラスの石油輸送パイプラインの除去費用なのだが、工事を増やす(費用を嵩ませてピンハネを増やす) ためにわざわざパイプライン上に建設する設計を行ったとの悪い噂も流れている。ついでに、ブラジルのスタジアム建設費が、過去のワールドカップで最も高くついているという比較があるので紹介すると、観客席1席にかかった建設費は、ブラジルを100とすると、南アフリカが90、日韓が86、ドイツが58とのことだ。

初めてピッチ中心に芝が植えられたイタケランスタジアム、(20121128日-撮影者:AFP 千葉康由)

ブラジルW杯開催が決定した時、公費は投入しないとFIFAもブラジル側の運営組織もいっていたはずなのだが、元代表選手で現下院議員のロマーリオ氏によると、投入される公的資金は280億レアル (1兆円以上) だという。同氏によれば、2010年南アフリカ大会は77億レアル、06年ドイツ大会は107億レアル、02年日韓大会は101億レアルの公的資金が投入されたとのことだ。ちなみに、本人が優勝した1994年米国大会は公的資金は1セントも投入されていない。
現時点で建設が完了していないスタジアムは、サンパウロ以外ではクリチーバのみとなったが、先日もポルトアレグレ市議会でスタジアム周辺の臨時施設の費用を公費で賄うか否かで紛糾していた。どこのニュースを見ても具体的な内容に触れていないのだが、どうも報道陣向けのテントや機材などの調達費用のようである。その他にも、W杯で普段の何倍もの乗降客がある空港のインフラ、バスや道路などスタジアムへのアクセスなど、スタジアム以外のインフラに関しては、3月初旬時点で、予定の18%しか完成していないとの報道もあり、筆者には事細かく各開催都市のインフラの詳細を調べている時間はないが、もし調べたとしたら、膨大なレポートができるのではないかと思う。

ブラジル対イングランド戦でのネイマール(201362日-撮影者:APF 千葉康由)

 サッカー周辺の話を長々としてしまった。代表選手はほとんどが欧州でプレーしていて、ブラジル国内の問題に毎日間近に接することもないため、それ程わずらわしくなかろうというのは幸いである。今年の欧州チャンピオンズリーグでベスト8に進出したチームの先発選手の3人に1人はブラジル人選手で、代表またはそれに匹敵するレベルの選手たちである。この中で最も注目され、代表の中心選手としてW杯で活躍が期待されるのが、バルセロナ (スペイン) 所属弱冠22歳のネイマールである。昨年のコンフェデレーションズ杯で初めて観た人は驚いたのではないかと思うが、ブラジルでは2009年、17歳の時から名門サントスで試合に出場し、数々のタイトル獲得に貢献している。見ている者を驚かせる奇想天外な発想のプレーの数々は、世界のサッカー史上でも特殊な才能を持った選手だと認めさせるのに十分である。筆者は1993年から間近でブラジルサッカーを見ているが、彼以上の才能を持った選手は見たことがない。間違いなくロナウジーニョ、カカー以上である。
ブラジルのメディアも、欧州のメディアも、ネイマールに対して手厳しい報道が多いが、巨額の移籍金で世界のトップクラブへ移籍したことに対するやっかみが多分に入っているのだろう。考えてみてもらいたい。バルセロナで活躍したブラジル人選手は、ロマーリオ、ロナウド、リバウドが有名だが、最初から欧州トップクラブのバルセロナへ移籍した選手は一人もいない。数年他のクラブでプレーして欧州サッカーに慣れてから移籍している。欧州のスピードと激しさに対処できないのではないか、との心配をよそに、移籍後わずか12か月でネイマールは活躍し始めた。
世界最高のセンターバックといわれるチアゴ・シルバを主将に、欧州の強豪クラブに所属する優秀な選手たちを擁するブラジル代表は、地元の利もあり、有力な優勝候補のひとつだ。率いるL・フェリペ・スコラリ監督は2002年優勝監督、コーディネーターのカルロス・A・パレイラは1994年優勝監督だ。
スコラリ監督が身上とする手堅過ぎるサッカーと本人の独裁者的傾向には批判も多いが、点を取られなければ必ず1点は取れるのがブラジルサッカーだと彼は考えていると筆者はみている。過去の戦績を調べると、第1回大会から全大会出場の代表は104試合戦い、無得点に終わった試合はわずか11試合だけだ。華麗なサッカーで世界を魅了しながら試合にも勝てたのはペレの時代だけで、リベリーノの時代もジーコの時代も華麗なサッカーで守備を疎かにしたため敗れている。
ブラジル人も世界中の人々もブラジルサッカーに華麗さを求めているようで、1994年代表(ロマーリオの時代)は優勝したにもかかわらず守備偏重だったため激しい批判にさらされた。2002年代表 (ロナウド、リバウドの時代) は守備重視しながらも攻撃にタレントを擁し完璧な勝利を収めたが、クライフ氏 (オランダ)などに強烈に批判された。
この10年ほど迷走した感のある代表だが、ネイマールが成長、オスカール、パウリーニョなど、要所に優れた選手を配し、昨年のコンフェデ杯でも見せたように、守備攻撃ともにスピードとテクニックと強さを兼ね備えたサッカーができる代表になったと筆者はみている。十分に優勝を狙える。ただ、「コンフェデ杯に優勝した国は翌年W杯に勝てない」 というジンクスがあるが、前大会はスペインが 「ユーロに勝った国はW杯に勝てない」 というジンクスを破った例もあるので、 「ジンクスは破られるためにある」 と考えて応援しよう。
地元の利ということでは、半世紀以上前に6か所 (ポルトアレグレ、クリチーバ、サンパウロ、リオデジャネイロ、ベロオリゾンテ、レシーフェ)だった会場が、今回は12か所 (ブラジリア、クイアバ、サルヴァドール、ナタル、フォルタレーザ、マナウスが加わる)に増え、ブラジル中を移動する大変さに加えて、ブラジルの67月の南北の寒暖差(北は常夏、南は冬)が、特に欧州の選手たちには厳しいことだろう。

 ところで、昨年のコンフェデ杯の時、世界中に報道されたが、W杯反対のデモが全国で起こった。「W杯に使う金があるなら教育医療に使え」 というデモだ。W杯中にも起こるだろう。上述したように、公金は使わない、が建前だったのだから。私が日本でサッカーをしていた時のブラジル人元コーチは、「代表に優勝してほしくない」 といっている。優勝すれば何も悪いことはなかったかのようにまたすべてが元に戻ってしまうから、とのことだ。同様の考えの人はかなり多いようだ。そんな人々を代弁するかのような歌が最近インターネットで流れているのを見つけた。“Desculpe, Neymar”(「ゴメンね、ネイマール」 Edu Krieger作)という曲だ。

「ゴメンね、ネイマール。君達の応援はしないよ。・・・・・金儲けのために汚いことをする泥棒達に僕たちは率いられている。・・・・・ 美しい記念碑的なスタジアムはあるけど、学校も病院も崩れそうになってる。・・・・・」 <spanstyle=’font-size:10.5pt;font-family:”MS Pゴシック”;mso-bidi-font-family:”Times New Roman”;mso-ansi-language:EN-US;mso-fareast-language:JA;mso-bidi-language:AR-SA’>といった内容の歌詞だ。
64年前の大会、観衆<spanlang=EN-US>20万人のマラカナン・スタジアム (リオデジャネイロ) でウルグアイに決勝で敗れ涙をのんだブラジル代表。何としても地元で優勝したいと思っているはずだ。ブラジル代表のリーグ戦の試合のチケットも、ブラジル代表が勝ち進むであろう試合のチケットも全部売り切れで、代表の試合はすべて超満員になるだろう。同時に、「目覚めた」 民衆たちはデモを行うだろう。そしてW杯の後、今までのブラジル人のように、<spanlang=EN-US>W杯は大成功だった、優勝してよかった (バカヤロウ、負けやがって)、とやり過ごした問題を忘れて喜ぶ (悲しむ) のだろうか?