会報『ブラジル特報』 2006年9月号掲載
                       細江 葉子
(国連アジア極東犯罪防止研修所)


1990年代以降顕著となった来日外国人の増加にともない、犯罪者として逮捕・処罰される外国人数も増えている。定住者という身分で比較的容易に入国が認められる、中南米出身者を中心とする日系人がそこに占める割合も決して小さくない。彼らの中には処罰を逃れて出国する者もおり、日本国内、特に来日外国人集住地域における対来日外国人感情にも影響を与えかねない。外国人犯罪人の国外逃亡を防ぐ第一の関門は、いうまでもなく出国手続きの場である。一定の罪について訴追あるいは逮捕状が出された外国人に対し、入国審査官は24時間に限って出国確認を留保することができる(昭和56年12月23日付法務省刑総第869号刑事局長通達「改正後の出入国管理および難民認定法第25条の2の規定に基づく外国人の出国確認留保に関する通知等の取り扱いについて」)。では、来日し、滞在中に法を犯した外国人が日本から出国してしまった場合はどうなるのか。

日本の機関が外国に赴き、捜査や取調べをはじめ、現地で裁判関連文書の送達や証拠調べ等をすることは、「裁判上の行為」といわれる活動をすることである。外国で、日本の国家機関である裁判所が関与する法的効果をともなう行為である「裁判権」を行使することは当該相手国の主権を侵害するとみなされる可能性があり、実行は難しい。その場合、逃亡した外国人犯罪人の身柄を確保する方法として、正式には、外交ルートを通じて相手国政府に協力を依頼する、あるいは国際刑事警察機構(ICPO)を通じて依頼するという方法がある。ここでは現在注目されている来日外国人問題のひとつである、「帰国してしまった来日外国人犯罪人の取り扱い」に焦点を当てるため、相手国政府との協力に基づく外交ルートを通じた身柄の確保、さらには犯罪が認められた場合の刑の執行についてみていくこととする。

外交ルートによる身柄の引渡し請求は、基本的に条約に基づいて行われるが、現在日本と犯罪人引渡しに関する条約を締結しているのは米国、韓国のみである。条約を締結していないその他の国との関係においては、二国間共助取り決めをしている場合にはその取り決めに従って、取り決めがない場合には国際捜査共助法および逃亡犯罪人引渡法により、相互主義の保証として相手国に協力を請求することが可能となっている。現在日本がこれらの法律を根拠に口上書による共助の合意をしている国は21カ国あり、ブラジルもその一つである。この場合には、対象となる国と個別に外交交渉を行い、応諾を得る必要がある。条約が締結されていない場合には、自国民の取り扱いについては各国が定める引渡し事由に基づくため、原則として自国民不引渡しの立場をとる国に帰国した外国人犯罪人の引渡しを受けることは難しい。これは、日本国内にいる被害者の感情を考えても受け入れがたい状況である。しかし、日本以外の国にいながらにして日本で犯した罪に対する罰を受けさせることができる可能性が残っている。代理処罰制度である。これは、他国から逃亡してきた犯罪人の身柄を相手国に引き渡さない場合に、自国の刑法によってこれを処罰することができる、という制度である。相手国がこのような制度を持っている場合、日本から被疑事件に関する捜査によって得られた証拠等の情報を提供することを通して、相手国に犯罪人の逮捕、裁判、処罰を任せることが可能となるのである。

日本とブラジルは、現在、民事事件に関しては二国間共助取り決めを結んでおり、ブラジル国内の裁判所に嘱託して送達、証拠調べ等を行うための外交ルートはすでに確立されているということができる。民事事件の場合、まず、在ブラジル日本国大使館にブラジルの公証翻訳人によって翻訳された送達の嘱託書を原本に添付して送付し、ブラジルの外務省に依頼してもらう。ブラジル外務省はこれを連邦最高裁判所に託し、最高裁判所長官から連邦検事総長の意見が求められた後、異議がなければ対象者の居住する州の最高裁判所、さらに地域を管轄する民事裁判所へと嘱託し、最終的な管轄裁判諸の司法執行吏が直接本人に送達するのである。送達領収書は再び同じルートを逆に通って、日本大使館経由で日本国内の管轄裁判所へと送付される。

このルートを刑事事件に関しても応用することにより、二国間の共助取り決めを締結することは可能であると考えられる。また、二国間取り決めは実質的に国家間の合意であるので、国際法上は条約と同様の効力を持つ。このことから、共助取り決めの締結が実現した場合の効果も大きいと考えられる。しかし、ブラジルは原則として自国民不引渡しの立場をとっているため、近年増加している逃亡ブラジル人犯罪者を処罰する方法として、刑事事件について二国間共助取り決めを結ぶ効果に疑問が生じるのである。そこで、日本国内での処罰ではなく、ブラジル国内での処罰を求める代理処罰制度の実現が考えられる。

代理処罰制度の実現に向けては、前提となる条件が二つ挙げられる。一つ目は所要時間の短縮である。現在までに日本がブラジル政府に嘱託した民事事件の司法共助の実績によると、日本国内の最高裁判所が外務省に依頼してから実際に送達結果が国内の管轄地方裁判所に通知されるまでに平均24ヶ月、2年間かかっている。この数字は大都市のみに限ると18ヶ月程度にまで短縮されるが、刑事事件の場合にはさらに裁判の実施に必要な期間が加わるため、結論が被害者や日本国内の管轄機関にもたらされるまでにかかる時間はさらに長くなると考えられる。一連の過程がすべて日本国内で完結している場合にも時間がかかることを考えれば、この点についてはある程度許容されるとも考えられるが、基本的に日本国内に居住し、捜査や裁判の進行について情報を得づらい状況に置かれた被害者のことを考えると、所要時間の短縮に加えて経過についての情報の提供が求められる。二つ目は、日本とブラジル双方が納得できる、明瞭な基準に基づく制度の確立である。代理処罰制度に基づいて行われる捜査、取調べや証拠調べ、さらには裁判とそこで出される判決は受託国の国内法を基準とする。この制度を利用する場合、事件は日本国内で発生しているため、被害者をはじめ、被疑者以外の情報や証拠はすべて日本にあるということができる。そこで、日本の捜査機関が証拠として提供した情報をはじめ、日本にいる証人に対する取り調べなどから得られた情報の効果的かつ効率的な利用といった点、さらには証人や被害者を保護するという制度についても確立する必要がある。量刑についても、日本の刑法を規準とした場合と、ブラジル刑法を基準とした場合ではずれが生じる可能性は高い。

ブラジル国内で同様の罪を犯した場合との格差が大きくなることは人権の視点からも問題であるが、日本を出国すれば刑が軽減される状況を作ることも避けなければならない。これらの問題を解決するためにも明確な基準の確立が必要なのである。

明確な基準に基づく代理処罰制度の実現により、日本国内にいる被害者に対しては、加害者に対する確実な捜査、逮捕、処罰の実施が保障されることになる。また、来日外国人にとっては、日本からの出国に成功したとしても結局は逃げられないということが明らかになり、犯罪の防止につながることが期待される。さらには、加害者として母国で逮捕され、裁判を経て、結果として服役しなければならなくなった場合、言葉が通じる場所、文化的背景を同じくする場所、そして家族の近くで刑に服することにより、処遇の効果が上がり、再犯率が下がるという点も期待されるのである。