会報『ブラジル特報』 2007年
3月号掲載

             中馬 潤子 (JICA 東北ブラジル健康なまちづくりプロジェクト公衆衛生専門家)


はじめに

ブラジルはGDPが世界第10位(2005年、世界銀行)の経済大国だが、この国の地域間格差は著しいものがあり、先進国並みの水準の南部地域と、アジア、アフリカ並みの水準の北部、東北部が同時に存在している。また経済格差を示すジニ係数の順位も常に上位にランキングされている。このような地域間格差や階層間格差が作り出した貧困の格差が、ブラジル社会の発展の大きな妨げになっているといっても過言ではない。

JICA (独立行政法人
国際協力機構)は、このようなブラジルの開発から取り残された東北ブラジルペルナンブコ州において、1960年代から保健医療分野に関する技術協力を実施してきた。今回はその開発援助の歴史を振り返ってみることにしたい。

熱帯病対策への協力

JICAは1984年から1991年にペルナンブコ連邦大学をブラジル側実施機関として、「ペルナンブコ大学免疫病理学センタープロジェクト」を実施した。このプロジェクトでは、住血吸虫症、フィラリア症、リーシュマニア症、シャーガス病などの熱帯病の流行地である当地において、日本の慶応大学が協力機関となり技術協力が行なわれた。日本人専門家の派遣(延べ70名)、機材供与(約5億円)、ブラジル人研修員(23名)の日本への受け入れを通し、現地の研究者の人材育成を行ない、今ではこの免疫病理学センターはブラジル国内のみならず、諸外国からも注目される研究所のひとつとなり、幅広い研究成果を上げ成長し続けている。現在も中南米およびポルトガル語圏アフリカの熱帯病の専門家育成の拠点として第三国研修を実施するなどJICAとの協力関係は続いている。

地域社会への貢献を目指して

先に述べたプロジェクトでは、熱帯病の研究者や専門家が数多く育成され、治療や診断の能力が向上するなど、多くの成果をもたらした。しかし、これらの成果である研究者の能力の向上が、はたして地域住民の健康に直接裨益したのかという点においては疑問が残った。なぜなら、研究成果を貧困層へ裨益させるための視点は前プロジェクトでは枠組みの中に位置づけられてはいなかったためである。そこで、今度は地域社会の公衆衛生問題に取り組むために、ペルナンブコ連邦大学と州の保健局を実施機関として1995年より「東北ブラジル公衆衛生プロジェクト」が開始された。富裕層である大学の教員や学生をフィールドに動員し、ブラジルの貧困がもたらす現状を彼らが目の当たりにすることで、その対策をともに考えようとするものだった。まず、大学内に公衆衛生センター(現在は公衆衛生社会開発センターに名称改め)を設置し、保健分野のみならず社会学、文化人類学、コミュニケーション、経済など複数の分野の専門家が参加できるような形で協力が進められた。「縦割り」的な概念が強い社会の中で、いかに地域のニーズに適した「横断的」支援ができるかがこのプロジェクトの課題であった。

具体的な活動としては、乳児死亡率改善のためのプロジェクト、コミュニティヘルスワーカーの養成および再教育、産前・産後検診の普及活動、疫学監視体制の整備等が実施された。プロジェクトでは他にも貧困世帯の雇用創出など100を超えるサブプロジェクトが実施され、このような活動を通して大学と地域の関係はより密接となり、地域のニーズに行政や大学などがいち早く対応できるようになったことは大きな成果といえよう。本プロジェクトでは延べ39名の日本人専門家が活動を行なったが、従来行なわれてきたような日本の経験や技術を開発途上国の人材に技術移転するというだけのものではなく、彼らのオーナーシップを最優先しながら一緒に地域に出向いて、ともに悩みながら当事者である彼らが継続して問題を解決していけるように支援したことが特徴のひとつとしてあげられる。このプロジェクトで設立した公衆衛生社会開発センターは、現在では保健分野のみならず地域開発のリファラルセンターとして、ユニセフやユネスコ、その他の国際機関や研究機関と連携をとりながら着実に活動の幅を広げてきている。

「東北ブラジル健康なまちづくりプロジェクト」における新しい取り組み


2003年12月から実施されている「東北ブラジル健康なまちづくりプロジェクト」は、保健医療案件として位置づけられているものの、何らかの特定の疾病や分野を対象としているのではなく、「健康なまちづくり」という活動を通して東北ブラジルの社会格差の是正に取り組む全く新しいタイプのプロジェクトである。
「健康なまちづくり」が展開された後に成果として期待される健康指標の数値の変化は、十数年のスパンで生じるであろうことから、プロジェクト期間5年間の目標は「ペルナンブコ州において、住民と行政がともに健康なまちづくりを行なうしくみができる」こととした。そしてこれまでの3年間、6つのパイロットサイトであるサイレ市、バーハ・デ・グァビラーバ市、サンジョアキン・ド・モンチ市、ボニート市、カモシン・デ・サンフェリックス市、イタンベ市において活動を展開してきた。具体的には、住民と行政の能力向上を目指し、健康なまちづくり活動をコミュニティでファシリテートできるスーパーバイザーやファシリテーター(会議の進行・調整役)の養成、行政職員の研修を実施した。また、まちづくり活動の拠点となる「健康な公共政策連携促進センター」を各パイロットサイトに設置した。養成したスーパーバイザーやファシリテーターらによると、「コミュニティでの活動は亀の歩みのようにゆっくりだけれども、住民が自分たちの潜在能力に気づきはじめ、行政に頼るのではなく、自分たちでやり遂げた達成感を感じることができるようになったのは大きな成果だ」と話してくれた。私も時々パイロットサイトをモニタリングのため訪問するが、自分たちの活動を得意げに話す彼らにいつもたくさんのエネルギーをもらっている。また、このような活動はブラジル国内外でも広がってきており、「健康なまちづくり」を実施している市町村や大学、研究機関との交流からの学びもまた活動の活性化に役立っており、周辺の市町村からの協力要請も少しずつ増え、活動も注目されはじめてきた。

プロジェクト終了まで残すところ2年弱となったが、今年度はさらなる活動の活性化と普及を目指し、コミュニティで活動するスーパーバイザーやファシリテーター、健康なまちづくり推進員等の人材育成事業を主軸として支援していく予定である。同時に大学内の公衆衛生社会開発センターを拠点とし、「ペルナンブコ健康なまちづくりネットワーク」を新たに立ち上げることにもなっている。このように「健康なまちづくり」が自立的に継続するためのしくみが完成することで、プロジェクト終了後もこれらの活動が広がり、5年後、10年後にこの地域の住民の生活の質が改善され、ひいては東北ブラジルの社会格差が緩和されることを私たちは目指している。



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第3回健康なまちづくりセミナーで、活動の発表を行なったスーパーバイザーたち

おわりに

約40年の長きにわたり実施されてきたペルナンブコへの協力について、簡単に振り返ってみた。今後はこれまで日本の協力のもとに達成されてきた成果を生かした、新しい形の協力のあり方を模索すべきときが来ているのではないかと考える。