会報『ブラジル特報』 2007年9月号掲載 立石 章 (国際経済研究所 研究部主席研究員) |
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1.中南米における左傾化の現状 改善しなかった高失業や貧富の差 ところが、新自由主義政策の副作用として失業が増え貧富の差が拡大した。そこへアジア(1997年)、ロシア(98年)の通貨危機が波及した景気後退(=失われた5年(1998~2003年)がきて、さらなる失業増や貧富の差拡大を招いた。依然として続く政治腐敗も国民の不満を高めた。 左派系政権が再び拡大-2つの左傾化 中南米各国の左派系政権は、その経済運営の違いから次の2つに分類される。 ①現実的穏健派(良い左派):前政権の新自由主義政策を受け継ぎながらも、社会政策の拡充など現実的な経済運営をおこなっている。チリ・バチェレ政権やブラジル・ルーラ政権など、新自由主義政策でそれなりの成果をあげてきた国々である。 ②時代遅れ派(悪い左派):前政権の新自由主義政策を否定する一方、かつてのポピュリズムと同様に、社会政策に偏ったバラまきの経済運営をおこなっている。ベネズエラ・チャベス政権など、新自由主義政策であまり成果があがらなかった国々である。石油収入などの不労所得があるが故に財政規律の重要さに対する認識が甘い。 2.右・左への政治変動は歴史の繰り返し 歴史的にみると、中南米では経済の大きな節目毎に政治変動が繰り返されてきた。19世紀初め、宗主国スペイン・ポルトガルからの独立後、大土地所有者(富裕層)を基盤とする右派政権はモノカルチャー経済に基づく経済運営を行ったが、大恐慌による世界的な景気後退から失業増や貧富の差拡大を招いて行き詰まった。 これに替わり登場したポピュリズム政権は(1940年代)、都市部の中間層や労働者を基盤とし、過剰な所得分配や輸入代替工業化政策を進めた。当初はそれなりに成功したものの、放漫財政や経常収支の悪化から行き詰まる。その後の旧支配層による修正ポピュリズムも行き詰まり、左翼運動が活発化した。軍事クーデタが頻発したのもこの頃である。 そして、政治的混乱を収拾すべく登場した軍事政権(1960年代)は、積極的な外資導入による国家開発、重化学工業化を推進した。一時は高成長も記録したが(例:ブラジルの奇跡)、二度のオイルショックによる世界的な景気後退の影響から対外債務の返済が困難となり、債務危機に陥った。また、放漫財政によって恒常化していたインフレ傾向は、ハイパー・インフレをも招いた。中南米経済が破綻した80年代、失われた10年である。 3.ルーラ政権の現実的な経済運営に期待 カルドーゾ政権で変貌した経済体質 ブラジル経済は、カルドーゾ政権8年間(1995~2002年)の新自由主義政策によって、産業保護下とは様変わりともいえる変貌を遂げている。1994年に導入されたドル・リンクのレアルプランが、風土病ともいわれた高インフレを劇的に収束させたからである。念願のマクロ経済の安定化が実現し、貿易の自由化や構造改革の推進による経済の効率化が進んだ。 外資規制や国家独占を撤廃して民営化を促進し、外資呼び込みの素地をつくると同時に、インフレの根本要因である財政赤字問題にメスを入れ、行・財政改革、年金制度改革などの諸改革を推し進めた。その結果、企業活動における基盤整備が進み、欧米企業を中心にブラジル向け投資が活発化した。これら外資が梃子となり、経済が活性化したのである。 ルーラ政権も現実的な経済政策を継承 2003年に誕生した左派系のルーラ政権は(2007年から4年間の第2期政権へ)、前年の大統領選では通貨危機を招いたほどの国際金融市場の懸念に反し、穏健で現実的な経済運営を行っている。カルドーゾ政権が確立した「インフレ・ターゲット」「変動為替相場制」「プライマリー収支目標の設定」の3本柱からなる経済政策を継承した。 ブラジル経済は、ルーラ政権の下でインフレを抑制し、低成長ながらも1993年以来のプラス成長が続いている。中国などの資源需要の高まりにともなう一次産品の輸出急増に加え、工業製品の輸出拡大も成長を下支えし始めた。輸出拡大が貿易収支の黒字化→経常収支の黒字化の好循環につながり、高金利を強いてきた巨額債務の負担軽減に寄与している。 域内大国ブラジルが、現在の穏健で現実的な経済運営を継続してさらなる成長を実現できれば、中南米地域全体の持続的成長にもつながる。それは、ふたたび左傾化した中南米が急進化(=経済不安定化)する歯止めともなり得る。 |