日系モンゴロイドのフジモリ大統領失脚の後を受け、2001年にペルーで先住民出身のアレハンドロ・トレド大統領が当選、ラテンアメリカ先住民の政治活動は新しい局面に入った。選挙戦で彼はスペイン人に征服された先住民インカの後裔という面を強く打ち出し大統領の座を勝ち取った。トレド氏の国家運営能力は高くなく、さしたる成果も上げることは出来なかったが、この事実は他のラテンアメリカ諸国の先住民指導者に力と希望を与え先住民復権の動きが最近活発となって来ている。2005年に初の先住民出身大統領エボ・モラレス氏を選んだボリビア、2002年の選挙で5人の閣僚を送り込んだCIONAIE(先住民族連合)の影響力の強いエクアドルといった先住民数の割合の高い国々の動きが、従来から先住民色の強いメキシコ、ペルーといった国々に加え注目されている。
ラテンアメリカでは体型、肌の色、目の色、髪の毛等、さらには蒙古斑を持つモンゴロイド系の日本人に似た身体的特徴を持つ先住民の多いことに驚ろかされる。そこで先ず現生人類がいつ、どこから、どう旅をしてラテンアメリカ、そしてブラジルに到来したのかを最近の遺伝子学による研究を主として説明することとしたい。時代は現生人類の旅立ちから最終氷河期
(LGM:Last Glacial Maximum)の終焉前後までとする。
現世人類の起源を論ずる際、出アフリカ起源説と多地域進化説の相対する二つが存在する。遺伝子学による女性のミトコンドリア
DNAと男性のY染色体を用い数学者、統計学者の参加を得て書き上げた追跡系統樹細胞遺伝子の研究により人類アフリカ起源説は今や学説の主流となり、従来強かった多地域進化説は今や極めて劣勢にある。卑近な例では100万年前のジャワ原人、60万年前の北京原人がそれぞれ進化、現世人類の南方モンゴロイド、北方モンゴロイドとして東南アジア、東アジアに移動したという説は力を失い、20万年前にアフリカで現生人類の一つの遺伝子系統(ミトコンドリア・イヴ)が誕生したという説が有力となっている。出アフリカ起源説では出アフリカ・イヴの系統の現世人類が8万5千年前にアフリカを出て紅海を渡った。一つの流れは西インドから海岸採集民として東インド、マレーシア、中国広東省、韓国、日本、北方シベリ
アと歩を進め南方モンゴロイドの始祖となったとされている。他は、北西インドからヒマラヤ山脈の西を越えてモンゴル、バイカル湖方面に移動し、これが北方モンゴロイドとしてユーラシア中部、東北部(北アジア・シベリア)に居住するに到ったとしている。海岸採集民の一部が海岸線からアジア大陸を北に登り、前述のヒマラヤ西回りと合流したことも考えられる。いずれにせよ、二つのモンゴロイドの流れが前後して、あるいは単独で北東シベリア、ベリンギアのユーラシア大陸側からアメリカ大陸に移動したとするのが通説となっている。
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ブラジルの古代岩絵1―斎藤敏雄氏提供 |
では、モンゴロイドは何時ユーラシアからアメリカへ渡ったのだろうか。
1万9~8千年前に最後の大氷河期(LGM)があり、遺伝子学者からLGM以前(4~2万年前)に人類がアメリカ大陸に渡ったとする研究成果が発表されている。これに対し従来説は、LGMの最後1万2千年前ごろ氷が解け水位が上がってきたベーリング海峡のわずかな幅の陸回廊を通ってモンゴロイドがアメリカに渡り大型動物を追って南下したと主張している。その後、北アメリカ・ニューメキシコ州クロヴィス遺跡の尖頭器について1万1千5百~1千年前という測定値が出、年代的な疑問が露呈された。現在では新学説が優勢でチリ南部のモンテベルデ遺跡の調査結果はその居住跡、人工遺物は1万2千5百年前、すなわちクロヴィス遺跡より約1千年前と測定されている。これは地理的要素も考慮するとモンゴロイドはクロヴィスに到着する頃に、既にアメリカ南端のモンテベルデに居住していたこととなる。
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ブラジルの古代岩絵2―斎藤敏雄氏提供 |
自然人類学の立場を離れて1990年代初めに、人類遺伝学者松本秀雄博士はガンマー・グロブリン(血液抗体)のGm型遺伝子からこれを追跡した。その研究結果は約4~2万年前にモンゴロイドはアメリカに到達しているとしており、前後しての欧米遺伝子学者によるミトコンドリアDNA分析結果も之に近い年代予測となっている。
なお、
2万5千年前から1万1千年前のLGM前後の間、海面水位が低くベリンギアに大陸(ツンドラ地帯)が存在、温暖化で水没するに際し、既にそこに居住していたモンゴロイドが避難、アメリカ大陸に南下したとする説もある。以上は陸路からの考察であるが,北アラスカ方面から太平洋西岸に沿った海路による移動説もあり、この場合の南下移動速度は陸路よりもはるかに速いとみなされる。この他、オーストラリア、ニューギニア、ポリネシア諸島更には日本を含めた東アジア太平洋沿岸からの南米への上陸説もあるが遺伝子分析ではLGM以前の時代では可能性は低いとされる。
さて、ブラジルへのモンゴロイド移住は
LGM以前にあったのであろうか。筆者の大学同級生でブラジル永住の丸国穂氏と、同じくブラジル勤務経験の長かった斎藤敏雄氏が65歳過ぎに一念発起し、ブラジルのペルナンブコ大学大学院に2001年から03年まで短期留学、ガブリエラ・マルチン教授の下、ブラジル先史を研究した。両氏は教授の指導の下、ブラジル東端のレシフエから西へ1千キロ、ピアウイ州ペドラフラダにある4万8千年前の炉床跡(炭素年代測定法による)、3万5千年前の岩絵回廊を訪れている。この地域はセラ・ダ・カピバラ国立公園指定地域であり、1991年にはユネスコ世界文化遺産として登録されている。両氏は現在も教授と引き続き情報交換を行っており、ブラジルの学者達はこの年代考察から、ベリンギア経由でなくアジアから南太平洋経由のモンゴロイド渡来の可能性も議論しているとのことである。残念ながら上記のブラジル遺跡研究は、発掘手法の問題等があり未だに欧米学会の認知するところとはなっていない。最近サンパウロ大学の人類進化学者ネーヴェスが、ミナスジェライス州で以前に発見された1万1千5百年前の女性の頭骸骨を再調査研究しているとの情報もあり、今後の進展如何ではブラジルにおける古い先史時期の先住民の存在の認知が期待される
ところである。
以上のとおり、最近の現世人類研究は遺伝子
学が主流となっているが、泣き所もある。すなわち、ミトコンドリア
DNAをはじめとする遺伝子分析は人の移動を辿るには有効だが、受け継ぐ遺伝子はわずかで、ひとが何時どのように変ったかを知るのには充分でない。その意味では、従来からの考古学による検証も依然として重要である。年代判定についても炭素測定法は4万年を超すと正確度が急減するといわれており、これと並行してより精度の高い分子時計(DNAや蛋白質が時間に対し一定の速度で変化するメカニズムを利用)が使われている。いずれにせよ、科学的分析手法が今後一層進歩する事が予測されるが遺跡の人骨、人工遺物を地層で年代判定するという考古学の手法は此処でも引き続き重要なものと考えられる。
小文は2000年10月号・11月号の(社)ラテン・アメリカ協会『ラテン・アメリカ時報』に掲載された筆者の寄稿文「ラテン・アメリカとアジアのモンゴロイド」(上・下)以降の最近の学説の動きを略述解説した面もあり、その後の関連参考書籍として次の3冊を挙げさせていただく。
『人類の足跡
10万年全史』 ステイ―ヴン・オッペンハイマー著
草思社 2007年
『最初のヒト』アン・ギボンス著
新書館 2007年
『
1491 -先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見』 チャールズ・C・マン著 日本放送出版協会 2007年
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