会報『ブラジル特報』 2008年9月号掲載

             鈴木 勝也(日伯交流年実行委員会副委員長、元駐ブラジル大使・当協会理事長)


 皇太子殿下は、6月16日から27日まで、ブラジルご訪問のため外遊された。私は、首席随員としてお供したので、概要を以下にご紹介する。なお、今回のブラジルご訪問は、1982年浩宮時代の時以来26年振り2回目だった。また、今回殿下はお独りで、妃殿下のご同行はなかった。

 2008年は、1908年に第一回日本移民約800名が笠戸丸で神戸港からサントス港に渡ってから100年目にあたり、これを記念するとともにこれからの日本ブラジル関係をさらに緊密化するため、同年を「日本ブラジル交流年」として両国で盛大に祝うことが両国首脳の間で合意されていた。日本側では、その実施のため、皇太子殿下を名誉総裁とする日伯交流年実行委員会が、またブラジル側でもアレンカール副大統領を長とする同様の組織が設立され、準備が進められた。ブラジル側の公式の式典は、笠戸丸がサントス港に入港した6月18日に首都ブラジリアでルーラ大統領臨席の下に行われたが、日系ブラジル人の多く住むサンパウロ市やパラナ州でも地元日系社会と州政府の共催で盛大な式典が行われた。

 殿下は、ブラジリアの公式の式典に出席された後、サンパウロ、サントス、パラナ州のロンドリーナ、ローランジアおよびマリンガ、さらにミナス・ジェライス州のベロオリゾンテと順次回られ、最後にリオデジャネイロを訪ねられた。8泊9日の間に8都市を訪ねた今回のご訪問は、どこでも行事が立て込みかなりの強行日程であったが、殿下はすべての日程をお元気にこなされた。

 今回の殿下のブラジルご訪問にお供して先ず感じたことは、ブラジルの官民がどこでも実に暖かく歓迎してくれたことである。現地日系人の歓迎は予想どおりだったが、一般のブラジル人がこれほどの大歓迎をしてくれたのは正直にいって驚きだった。その背景としては、日系人がこの百年間に誠実さと勤勉さで築いてきた良好なイメージがあると思う。しかし同時に、いわゆる「日本ブラジル黄金時代」にわが国の進出企業が残した足跡も大いにあると思った。近年は、中国人や韓国人もブラジルに沢山来るようになったが、ブラジル人のこれらのアジア人に対するイメージは決して良好とはいえないからである。もうひとつ感じたのは、連邦政府と州政府が実に暖かく迎えてくれたことである。ブラジリアの式典や晩餐会では、ルーラ大統領が先頭に立って誠心誠意殿下をもてなしたほか、元首並みの21発の礼砲で迎えてくれたし、ブラジル国内の移動については大統領専用機も提供してくれ、訪れた各州では、州知事が暖かく迎えてくれた。ブラジルは、多くの国からの移民で成り立っている国であるが、特定の国からの移民何周年ということで今回のように政府が記念式典を主催するなどということは、今まで聞いたことがない由である。

 今回の皇太子殿下のブラジルご訪問は、大成功であった。殿下御自身の優れた資質と御努力があったことは、いうまでもない。しかし同時に、わが皇室の対外関係における威力も、また改めて痛感した。今回の大成功を一過性のものとして終わらせることなく、さらなる日本ブラジル関係の緊密化を図ることこそが、我々に課された今後の責務だと痛感した次第である。また、遥かな地球の反対側のブラジルであるが、この地にこれほど親日的な国があるということは、資源の乏しいわが国にとって大切な在外資産であり、今後とも決して風化させてはならないと改めて感じた。私は、アジアとの関係が長かったが、アジア諸国との関係では避けて通れない過去や歴史の問題がないことも両国関係の救いだと常々思っている。