image_photo_15 今は激動する時代と言っても決して言い過ぎではないだろう。安定的な世界ではなく、何が起こっても不思議ではない世界である。日本も江戸時代は、安定的な社会であったが、明治維新のころは激動する時代であったと思われる。その後も富国強兵や軍国主義路線をまっしぐらに進み、結局第2次世界大戦に突入し、敗北する。戦後は、経済大国の道を歩むことになり、世界でも稀にみる成功を収めることになる。その間、社会も安定し、安定が通常の状況と考えるようになった。その結果、あらゆる局面で、決めたことを少しでも変更しようとすると、大きな抵抗に会うことになる。身近な例で言うと、イベントなどで式次第を変えると大いに嫌がられる。急に指名して挨拶してもらおうものなら。固辞されるし、受けてもらっても前置きが長くなる。アポイントをキャンセルすると叱られる。社会のニーズが変わっているにも関わらず、前例に固執し、前例通りに進めようとする。日本国内だけであれば、問題は少ないが、外国が絡むと厄介である。私が今まで相手にしてきた発展途上国や新興国では、日々変化しており、変化や変更が普通である。そのような国から見ると日本人の変化・変更嫌いはかなり奇妙に見えるようである。どちらが世界で通用するかと言うと、圧倒的に発展途上国・新興国の変化・変更型スタイルであろう。なぜなら絶対多数であるからだ。そこで日本人が心しておくべきことは、日本を一歩でも離れると、変化・変更型世界が待っていることをしっかり認識することと、変化・変更に強くなることだ。

日本人は、ブラジル人やラテンアメリカ人や他の外国人と比較して、即興性に欠けるようである。即興性とは、ポルトガル語のImprovisacao、スペイン語のimprovisacionで、それほど準備せずに、その場で物事に対処できる能力を意味する。日本人は、何かを行う場合、十分な準備をする。なぜなら十分な準備をしないと失敗する可能性が高く心配だからだ。その点、ブラジル人等ラテンの人々(欧米人、アラブ人、中国人等も同様であるが)は、日本人ほどには準備しているようには思えない。適当量の準備で本番を迎えても堂々とやり遂げるのである。セレモニーなどを行う場合でも、日本人は徹底的にリハーサルを行う。ブラジルでは、それほどではない。日本人は、例えば、何かの機会に急にスピーチを頼まれた場合、一部の例外を除いて大いに困惑する。準備をしていないからである。ラテンの人も困惑すると思うが、一端引き受けるとあたかも準備してきたかの如く、スピーチを始める。セレモニーなども同様である。日本ではすべてシナリオや進行表に従い、その通りの手順で行う。ラテンの国々でも大まかな進行表に従うことになるが、それほど厳密ではない。日本流でやると失敗はまずないが、盛り上がりに欠ける可能性がある。ラテン流は、うまくいかない可能性もあるが、うまくいくと大いに盛り上がることになる。

どちらが良いかは一概に言えないが、日本人は即興性に欠けていること、ラテン人は即興性に富んでいることをしっかり認識しておく必要があろう。日本人がラテンの人々と仕事を一緒すると準備状況を巡ってイライラすることが多い。しかしラテン人の持つ即興性という特質を理解していれば、それほどイライラすることもない。

では、日本人は、ブラジル人やラテン系人の持つ即興性にどのように対処すればいいのだろうか?すべての事柄に対し、しっかり準備をすることである。十分な準備をすると日本人は安心することができる。そのうえで、可能であれば、臨機応変にやるのである。日本人は、準備せずに臨機応変に振る舞うことはまずできない。しかし、訓練を積めば少しずつ即興性が身につくようになる。

投稿者:桜井悌司 氏