会報『ブラジル特報』 2009年5月号掲載 細川 周平(国際日本文化センター教授) |
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昨年は日本人ブラジル移民百周年だった。その年に何とか自分でもけじめをつけたくて、書きためてあった文章を『遠きにありてつくるもの』(みすず書房)にまとめた。幸い、今年の2月、第60回読売文学賞の研究・翻訳部門を受けることができた。私にとっては初めての受賞であるし、読売文学賞を移民関係の書物が受けるのはこれが初めてだった。とても名誉なことだと感じている。日系ブラジル文化を研究し始めたのが1991年、それ以来、ブラジルで資料閲覧、提供、生活の援助を惜しまなかった各方面の人に、心から感謝している。 文学賞を受けたのだが、私は決して文学の専門家ではない。これまでに日系ブラジル社会の歌の歴史、映画の歴史について著作を著してきた。広い意味での芸能、娯楽を専門としてきた。人文科学のなかでは周辺的な分野だ。反対に文学は最も人材が厚く、理論も資料も充実していて、私が攻め入る余地はない。そう思っていたし、今でもその気持ちは変わらない。 この本には「日系ブラジル人の思い・ことば・芸能」と副題をつけたが、「思い」に比重がかかっている。学者言葉は漢字やカタカナで構成するのが、暗黙の約束事になっていて、「思い」を掲げるには勇気が必要だった。当初は心情、感情、情緒などを候補に考えが定まらずにずいぶん時がたった。「思い」を3つの中心概念のひとつにする案は、弘中千賀子『異郷の歌』、陣内しのぶ『合鐘の記憶』という2冊の遺歌集を追い込みの時期に読んだときに思いついた。特に弘中の短歌「ブラジル語もて思考する子と日本語にて思いを述ぶる吾とのうつつ」を発見した時に、心は決まった。日本語は彼女にとって「思考」ではなく「思い」を表現することばだった。この微妙な違いが、親子の意思不通の原因になっている。ポルトガル語をいくら熟達しても、「思い」を述べるにはいたらない。これは仰天するような発見だった。 サンパウロで2007年8月、2冊の出版記念会に出席し、息子さんと母親についておしゃべりすることができた(もちろんポルトガル語で)。この歌の副主人公をじかに知ったのは、歌の鑑賞を深めることになった。飛躍すれば、短歌の鑑賞とは作品に「思い」を近づけることではないかとうっすら気づき始めた。思いの重さがわかると、二冊に収録された数多くの作、そして他の短詩がわかりやすくなった。郷愁については10年以上前にあらまし書いていたが、しめきり直前になって「思い」の概念まで広げ、「ふるさとへの思い」と定義し直し、引用する短詩にも新たな工夫をほどこした。ついでに学者向けの議論を削除した。そのおかげで、過去の郷愁論、故郷論になかった視点と文体を打ち出すことができたと自負している。 和語は定義しづらい。学術用語に馴染まないのはよくわかる。しかし漢字やカタカナの概念が一見、定義しやすいのは、別のことばに置き換えやすいというだけで、おうおうにして、「それで本当はどんな意味?」と問い詰めるとうやむやになってしまうことが多い。「思い」はほかのことばには置き換えにくい。説明しづらいが、同時に説明しなくてもわかるという側面が大きい。今度の本ではその利点に賭けることにした。また短詩は技法の質は問わず、詠み手に即して感情移入的に解釈した。批判的な読みとは正反対の素朴でばか正直な読みで、文学の専門家から「甘い」という批判が出ることを覚悟していた。今のところ、そのような声は聞こえてこない。黙過されたのかどうかはわからない。 (『遠くにありてつくるもの ―日系ブラジル人の思い・ことば・芸能』 |