演 題 :我らのマンゲイラを語る
講 師 :マンゲイラ元会長アルヴァロ・カエターノ氏(通称:アルヴィーニョ)
(リオの老舗サンバ・チーム、マンゲイラの会長を二期(2001年から2006年まで)務めたアルヴァロ・カエターノ氏が、横浜のサンバチーム エスコーラ・ヂ・サンバ・サウーヂの招待で初来日された。サンバ界の重鎮の話を聞く機会はめったにないので、その胸の内を語っていただく講演会を設定した。)
わがマンゲイラは、リオのカーニバルでは19回も優勝しているが、カーニバルにおけるマンゲイラのパレードには、15年前から、日本人の隊列が参加しており(註:細川多美子さん率いるBumba隊列のこと)、また、日本には、マンゲイラ大使(松下洋一郎さん)もいれば、姉妹サンバ・チーム(例えば、石山和男さん代表の、エスコーラ・ヂ・サンバ・サウーヂ)もある。このように日本との関係も浅からぬマンゲイラについて、これから語っていきたい。
配布資料とか写真とかは、全く準備していないが、私が心の中に浮かぶことを、即興で自由にお喋りするスタイルのほうが、皆さんに、マンゲイラというサンバ・チームがどんな活動をやっているかをお伝えできると思うからだ。
まず、少々歴史のお話から。リオのエスコーラ・デ・サンバの創設時期からいうと、一番古いのが、デイシャ・ファラール(Deixa Falar)で、二番目がポルテーラ(Portela)となり、わがマンゲイラは三番目に古く、1928年に創設された。正式な名前は、少々長くて、エスコーラ・デ・サンバ・エスタサゥン・プリメイラ・デ・マンゲイラだ。リオのセントラル・ド・ブラジル駅からだと最初の駅なので、「第一の駅」が正式名となった次第だが、レクリエーション・クラブとして発足したのだ。
創立者といえるのは7名だが、なかでも、サンバ創成期の名物歌手カルトーラが一番有名で、創立の時不在だった作曲家カルロス・カシャーサも実質的な創立者だ。
当局から禁止され抑圧されていたサンバが、1930年代になって認知され、いくつものサンバ・チームが生まれる。カーニバルでパレードを競い合うコンテスト方式になってから、マンゲイラも成長してきた。7名で始まり、80名100名の規模になってから、現在の会員数は、5千人となってきたが、分水嶺といえる年は1984年だった。
当時の州知事(ブリゾーラ)の決断で、サンバ・パレード専用固定会場サンボドロモが竣工した年で、マンゲイラは、スーパーチャンピオンになったのだ。(当時は、日曜日のパレードと月曜日のパレード、それぞれが別のコンテストとなっていて、マンゲイラとポルテーラがそれぞれ優勝し、その次の土曜日に、二者対決して、マンゲイラが総合優勝した。)
さらに、サンバ活動に加え、「公民権プロジェクト」と呼べる社会包摂活動を開始したのが1987年であった。ドラッグに走ったり、組織犯罪の下っ端に組み込まれたりしていた、ファヴェーラの子供たちの人間性回復を目指すもので、まずは、スポーツ振興から入っていった。それまではサッカーなどは高架道路の下のスペースでやっていたのだが、いつかリオでもオリンピックが来るだろうと期待して「マンゲイラ・オリンピック村」を1987年に創設した。(当時は2004年にリオ五輪を招聘しようと期待していた。)
これは45,000平方メートルという広大な土地に、競技場、プール、学校(保育園から大学まで)、保健センターなどを配置した、総合社会センターといえるものだ。子供たちが、このオリンピック村で、勉強し、スポーツも音楽も楽しめるように、環境を整えてきた。米国のビル・クリントン大統領も、我々のプロジェクトを訪問して支援してくれたが、これは我々には誇りに思っている。
私は、“Escola de Samba(サンバ・スクール)”が“Escola de Vida(人生スクール)”に自己変革してきている、と思っている。
このマンゲイラ総合社会センターで学ぶ生徒の数は、のべで2万人におよび、今回のリオ五輪に出場した選手のうち7名がここ出身であり、カンデラリア教会前の聖火台に聖火を運んだ14歳のラスト聖火ランナー、ジョルジ・アルベルト・ゴメスもマンゲイラ出身だ。
さらに、新たな「文化プロジェクト」として取り組んだのが、有名歌手アルシオーネの支持を得た「明日のマンゲイラ」と名付けた子供向けエスコーラ・デ・サンバで、1987年の創設以降、多くのパーカッショニストはじめサンバ・エンターテイナーが巣立っていった。
冒頭でお話した如く、日本でもマンゲイラの姉妹チームが活動しているが、カナダ、イギリス、オーストラリアにも同様のチームが活躍しているので、マンゲイラのサンバ活動は国境を越えている。
マンゲイラのチーム旗の色は、Rosa(バラ色)とVerde(緑色)だが、それぞれ、Amor(愛)とEsperança(希望)を意味している。このメッセージをお伝えして、私の結語としたい。
通訳:国安真奈氏
日 時
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2016年8月25日(木)14:00-15:30 |
会 場 | IDB米州開発銀行アジア事務所会議室(内幸町富国生命ビル16階)
アクセスマップ |
会 費 | 会 員 1,000円 非会員 2,000円 |
言 語 | ポルトガル語 (逐語通訳付き) |