演 題:「“ブラジル移民110周年とデカセギ30周年”を再考する」
講 師:  アンジェロ・イシ 武蔵大学社会学部教授

 

最初のブラジル移民船笠戸丸がサントスに到着したのが1908年6月18日だったので、今年2018年はブラジル移民110周年の年であるが、ブラジル日系人の“デカセギ30周年”については、VARIGなりJALなりの、どのフライトで最初の“デカセギ”が日本に着いたのかは不明だ。恐らく1985年ごろが最初だろうが、この辺はあいまいなまま2008年の百周年の時便宜的に“デカセギ20周年”と称されたので、これがこのまま継承されて30周年となっただけだ。

今回の講演会のテーマは、110周年と30周年の両方を再考する、となっているが、時間も限られているため110周年のほうは質疑応答の時にお話しし、この講演は30周年に焦点をあてたい。社会学者である自分は、アンジェロ・アキミツ・イシという日系三世のブラジル人であるが、今では「在日ブラジル人一世」と自己規定している。こうした在日ブラジル人の立ち位置というか自己分析が始まったのは、実は最近のことなので、まず、日系ブラジル人の日本在住の歴史を4段階に区切って、捉えてみたい。

  1. 1990年以前この段階では邦字紙では「(日本への)Uターン」という表現が使われており、日本への出稼ぎUターン現象とされていた。
  2. 1990年代1990年の入管難民法改正に伴い、在日ブラジル人が急増した時期。
    漢字表現の出稼ぎ、でなく、カタカナのデカセギと表記すべきと主張した一人が自分であった。ポルトガル語でも、DekasseguiからDecasséguiとなって、権威ある大国語辞典Houaissにも掲載され、特殊な固有名詞でなく一般的な普通名詞となった。日本で働いてブラジルの家族へ送金することが、主な目的であった時期。
  3. 2000年代デカセギから在日ブラジル人へ。
    ポルトガル語ではDecasséguiと共にimigrante(日本への移民)とも表記されるように。この時期になると、短期出稼ぎ志向ではなく半永住志向となって、日本でマイホームを購入する在日ブラジル人が急増。(ピークは2007年で32万人)
  4. 2010年以降在日ブラジル人から在外ブラジル人(の一員)へ。
    ブラジル国外(米国、中南米、欧州、日本ほか)に在住する2百万人以上のブラジル人との連携も模索。日本での永住志向が深まるが、「マイホームは買ってもお墓も購入、とまでは至っていない」。(在日ブラジル人数は、2016年17.3万人となったが、その後漸増で2018年現在、約20万人)
    JICA横浜・海外移住資料館にて6月16日から9月2日まで開催された企画展示「日110年の絆―在日ブラジル人 -在日30年をむかえた日系人の歴史と日常― 」は極めて意義ある展示だったので、ざっと振り返っておきたい。この企画が可能になったのは、五反田のブラジル総領事館が主導し、財政面もカバーしたからだ。この写真展では、初期(1990年前後)の在日ブラジル人たちの日常風景(国際電話が出来る公衆電話の前の行列シーン、あるいは、粗大ゴミのなかから使える家電を拾っているシーン、など)を切り取った写真が展示されていて、関係者は感動した。また、この機会に『1991』(サブタイトル:日本におけるブラジル人メディアの歴史)という実に貴重なルポ・エッセイ本(173頁)が出版・無料配布された。著者はAlternativa誌編集長Ewerthon Tobaceで、1991年にポルトガル語新聞が発刊されてから今日に至る、在日ポルトガル語メディア略史だ。出版資金を総領事館が拠出してくれたからこそ刊行できたのだ。

 

日 時 2018年9月14日(金)14:00~15:30
会 場 IDB米州開発銀行アジア事務所会議室(内幸町 富国生命ビル16階)

アクセスマップ
都営地下鉄三田線「内幸町」駅 A6出口・・直結
JR山手線・京浜東北線・東海道本線「新橋」駅 日比谷口・・徒歩6分
東京メトロ千代田線・日比谷線「霞ヶ関」駅 C4出口・・徒歩3分
東京メトロ丸ノ内線「霞ヶ関」駅 B2出口・・徒歩5分

参加費 無料
定 員 45名
(定員となり次第、締め切りますので、お早めにお申し込み下さい。)
主 催 日本ブラジル中央協会