演 題:リオデジャネイロの魅力-その豊饒なる音楽について
講 師:中原仁氏(音楽プロデューサー、音楽ライター)
J-WAVEの長寿番組「サウージ!サウダージ」(現ナヴィゲーターは滝川クリステル)のプロデュース・選曲を長年にわたって(当初から28年間!)担当してきた中原氏が初めてリオを訪問したのは1985年であった。それから、リオに“通勤”すること50回近くという中原さんが、ケイタ・ブラジルとの共著『リオデジャネイロという生き方』(双葉社)を5月24日刊行したので、この機会に、多様な音楽シーンにふれつつリオの魅力を縦横に語っていただいた。
リオは、街の中に音楽が満ち溢れている。様々な音楽流儀を受容し、リオ流に混淆し新展開してきた要因の一つは、1960年のブラジリア遷都まで首都であったことだろう。政治経済の中心であり、社会活動も文化活動も中心的に行われてきたからだ。また、景観の素晴らしい自然環境に恵まれていることも、リオ住民の心を豊かにし、カリオカ風ライフスタイルを形作ったが、音楽もその一環だ。
このような豊饒なる、リオの音楽シーンのいくつかを音と映像で紹介したい。
その1.アントニオ・カルロス・ジョビンの「Samba do Avião(ジェット機のサンバ)」
トム・ジョビンの代表曲で作詞も彼だ。「私の心が歌う。懐かしさで胸がいっぱい。リオの海、果てしない海岸、リオ、君は私のもの。キリスト像がグアナバラ湾に胸を開いて立つ。このサンバはリオのため。褐色の娘がサンバを踊る。体のバランスをとりながら、もうすぐ着陸」。ヴィニシウスとトム・ジョビンが通い詰め、「イパネマの娘」作詞作曲の舞台となったバー(当時はヴェローゾ、現在の店名は、「イパネマの娘」)を映像で確認しつつ。
その2.サンバ生誕100周年
最初にレコード録音されたサンバ「Pelo Telefone(電話で)」が登録されたのが1916年12月であったから、今年はサンバ誕生100周年だ。作者ドンガが、若きシコ・ブアルケと一緒に出演している1960年代末の映像をみながら、サンバに思いを馳せる。
その3.サンバ発祥にゆかりの地、Pedra de Sal
サンバのルーツについては諸説あるが、1888年の奴隷解放令によって奴隷制が廃止となり、多くの黒人がバイーア他から首都リオに流入し、彼らのなかからサンバが生まれたことは間違いない。そのサンバ発祥にゆかりのあるPedra de Sal(塩の岩)では、100年後の現在も、観客もサンバに入っていくRoda de Samba(サンバの輪)が日々繰り広げられている。
その4.リオで生まれた都市ポピュラー音楽Choro(ショーロ)
欧州のポルカが19世紀半ばリオに導入されて、生まれた都市音楽がショーロだ。ギター、カヴァキーニョ、ウクレレ、マンドリンといった弦楽器アンサンブルがベースで、完成型になっていない曲を、即興で繋いでいく。これも、リオの伝統音楽だ。
その5.現代のリオの音楽文化・夜遊び文化の発信地Lapa
1920年代から40年代にかけて歓楽街として栄えたLapaは、1970年代には荒廃が進んでいたが、1990年代末から、街をあげての復興が功を奏し、今では、野外ライブが毎晩のように行われる、リオ音楽文化の発信地に再生した。
その6.MPB(ブラジル・ポップ音楽)のシンガー
MPB歌手は多数いるが、ここではジョイス・モレーノが、J-Wave取材の際、自宅で弾き語りをするシーンを眺めながら、ポップな気分に。
その7.リオのストリートから生まれた現代のミクスチャー・ポップ
ニューヨーク発祥のヒップホップもリオ流に取り込み、サンバの“変化球”を展開するゼカ・パゴジーニョやアルリンド・クルスを鑑賞。
最後に、リオ五輪記念アンセムである「Os Deuses do Olimpo Visitam o Rio de Janeiro(オリンポスの神々がリオを訪れる)」に出演しているロドリゴ・サントーロや大女優フェルナンダ・モンテネグロらを動画で鑑賞。
といった、音楽&映像&話術の心地よいカクテルに参加者の心は、まさにリオへのサウダージに絡めとられることとなった。
日 時
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2016年6月30日(木)12:00~14:00 ※講演の後、13:15頃からブッフェスタイルの食事を開始。 |
会 場 | シーボニアメンズクラブ
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会 費 | 会 員 3,000円 非会員 4,000円 |