1 概観
(1)笠戸丸のブラジル到着
日系ブラジル人の歴史は古い。1908年6月18日、笠戸丸に乗って781名の日本人がサンパウロ州サントス港に到着したのが最初の移住者であった。サントスというと、サッカーの王様ペレ、ネイマール、三浦知良選手が活躍した伝統あるサッカーチームを有する港町である。同じ港町の山口県下関市や長崎県長崎市とも姉妹関係を結んでいる。笠戸丸到着時の地元の新聞は、こうした日本人が下船する際、塵一つ落ちていない状況を称賛したそうだ。清潔・礼儀を重んじる日本人らしい逸話であると思う。当時、日本は景気も良くなく、若手の雇用があまりなかった。他方で、ブラジルではコーヒー農園で大量の労働力を必要としていたことが移民の背景である。最初はコーヒー農園に入って過酷な労働に従事し、その後は、サンパウロ州やパラナ州を中心に綿花・トウモロコシ・養鶏・野菜作りなどに従事した。初期の移民の方は、言語・風俗・習慣が全く異なり、マラリアなど日本では馴染みのない風土病のリスクがあり、気候も全く異なるブラジルで筆舌に尽くしがたいご苦労をされたと言われている。特に、サンパウロ州内陸部にあるカフェランジアの平野植民地では、マラリアで幼い子も含め多くの命が奪われた。
その後、世代を経て、2世、3世の時代になってくると、大学で勉強して、医者・弁護士・エンジニア・商業・教師等の職業に就く人も出てくるなど、今日、日系社会はブラジル国内で大きなプレゼンスを示すに至っている。こうした日系人の方々のおかげで、日本はブラジルで特別な存在である。勤勉、正直な姿勢がブラジルで高い評価を受けており、日本・日本人はブラジル人の信頼が厚い。2016年リオ・オリンピック開会式で、日本代表団の入場に際し、観衆よりひと際大きな拍手が起こったことを記憶の方も多いであろう。ブラジルでは、日本人として本当に誇りを持って仕事をすることができる。
(2)ブラジルのサイズ
それにしてもブラジルは大きな国である。面積は851.2万㎢で日本の22.5倍であり、世界第5位である。人口も約2.1億人で世界第6位である。筆者が勤務した在サンパウロ総領事館が管轄するサンパウロ州は人口が約4600万人、ブラジルのGDP(国内総生産)の約3分の一を生み出す重要である。
(3)ブラジルにおける日系社会の存在
このサンパウロ州には、全ブラジルに200万人の日系人がいると言われている中で、その60%の120万人が居住すると言われている。サンパウロは日系のほか、イタリア系、レバノン系など数多くの移住者及びその子孫が含まれる人種のるつぼといえる。リオデジャネイロのポルトガル語はポルトガル本国の影響が強いのに対し、サンパウロのポルトガル語はイタリア系が多いため母音を比較的はっきり発音するポルトガル語となっており、同様に母音をはっきり発音するスペイン語圏に勤務経験のある筆者にとってより馴染みやすいポルトガル語であった。また、サンパウロ州では日系とイタリア系が多いこともあり、日系・イタリア系が結婚する場合も少なくないようだ。
90年代以降の日本への就労目的の日系人の流出等もあり、近年日系人口が減ったのではないかと言われるサンパウロ市のリベルダージ地区も、週末になると大勢の非日系の観光客で賑わい、日本レストランや日本食材店は長蛇の列で大盛況である。サンパウロ市で毎年7月に開催される「日本祭り」は、太鼓などの日本の伝統文化、各県の郷土料理の紹介、日本政府・企業のプロモーションなどオールジャパンで日本の魅力を紹介するイベントであり、3日間で約20万人の集客である。サンパウロ州内陸部には日系人が多く住む町が多数あり、そこでは、数千人、数万人規模の集客がある「日本祭り」が数多く開催されている。2019年においても、10月にはサンパウロ州内陸部のアメリカーナで第1回日本祭りが開催されたほか、同じくサンパウロ州内陸部のプロミソンにおいては11月に第1回灯籠流しが開催され、同じ11月にはサンパウロ州に隣接する南マットグロッソ州の州都であるカンポ・グランデ市でも第1回日本祭りが始まるなど、いわゆる「日本祭り」の拡散現象が見て取れる。
日本では、人口減少・超高齢社会の結果、地方のお祭りの担い手となる若者人口が減少し、こうしたお祭りが消滅するケースもあると承知しているが、ブラジルでのこうした現象には正直驚いた。
筆者が当地において接触した非日系のブラジル人も、小学校のクラスでは4分の1が日系人であったとか、いとこが日系人と結婚しているなど身近な生活体験として日系社会の存在を強く認識しているケースが少なくない。日系人への評価が高いので、市長や議員としても日系人が活躍している。例えば、人口15万人を超えるサンパウロ市近郊のスザノ市のアシウチ市長も日系人である。こうした中で、筆者としては日系社会への支援・連携を在サンパウロ総領事館の最重要課題の一つとして取り組んだ。日系社会は移住100周年の2008年に盛大な祝賀行事を行ったが、その機会に日系のアイデンティティを再認識し、日系社会の活動が活発になっていったとの指摘もある。
筆者在勤中、昔の日本が残っていると感じた経験がしばしばあった。ある日系ブラジル人が日本に行ってファミリーレストランを訪れた際、若い店員に「さじをください」と言ったが、その若い店員には通じなかったそうだ。確かに、「大さじ、小さじ」とか「さじを投げる」といった表現で「さじ」を使うことはあっても、スプーンのことを「さじ」ということは今の日本ではあまりないかもしれない。そのほか、次のような話も聞いた。「便所」という日本語がある。三世の日系ブラジル人の中には、一世の祖父や祖母と一緒に生活していた人も多いが、祖父や祖母とのコミュニケーションを通じて「便所」という日本語を教わっていた。こうした三世の日系ブラジル人が初めて日本に行って驚くのは、「今の日本では『「便所』という言葉はあまり使われないのですね」という反応である。確かに、今の日本では、御手洗いとかトイレとは言うが、「便所」という言葉はあまり使われないのかもしれない。なお、三世の日系人で祖父や祖母と一緒に生活していた人は、日本語を聞くのは理解できるという人が多い。祖父や祖母が日本語で三世の孫に話しかけ、その孫がポルトガル語で応えるといった会話をしていたようだ。ところが、四世となるとこうした一世の祖父や祖母との接点がなくなるので、日本語の習得がますます難しくなってくるとの傾向がみられるようだ。
2 主要日系団体の現状
(1)ブラジル日本文化福祉協会
サンパウロ日系社会においては、いわゆる主要日系5団体がある。日本文化の普及を中心に活動するブラジル日本文化福祉協会(文協)、サンパウロ所在47都道府県人会の連合体であるブラジル日本都道府県人会連合会(県連)、病院・福祉施設を経営しているサンパウロ日伯援護協会(援協)、日本語普及を中心に活動する日伯文化連盟(アリアンサ)、進出日本企業が中心になって構成するブラジル日本商工会議所(カマラ)の5団体である。伝統的にその中心的な存在は文協である。他の主要日系団体である県連が約20年前に始めたサンパウロ日本祭りで活性化し、援協が病院経営で成功を収めている等の動きがある中で、文協は会員数が減り、会費収入が減少するなどの課題を抱えていた。こうした中、2019年4月より、レナト・イシカワ氏が文協会長に就任し、文協の立て直しを図っている。同氏はビジネスマン出身で、日系のサンタクルス病院の建て直しでの功績が評価されての会長就任である。
同会長は、今後の文協の運営において、①地方日系社会との連携、②若手日系人の日系社会活動への参画、③ビジネスとの連携を重視している。こうした方針を踏まえ、会長就任前から、ブラジル国内地方日系社会への訪問を繰り返し、ブラジル日系社会における文協の求心力を高めている。また、副会長職の一人に若手日系人の代表格であるマルセロ・ヒデシマ氏を置き若手日系の活動強化に努めている。更に、ビジネスとの連携に関しては、COLGATEなど多国籍企業での豊富な経験のあるジョージ・オクハラ氏を副会長の一人として配置しビジネスとの連携強化に努めている。オクハラ氏は当地における豊富なビジネスネットワークを活用して日系企業家の講演会等文協の多くの事業を実施しており、文協の新しい動きとして注目されている。こうした取り組みの結果、赤字であった文協の収支も2019年は10万レアルの黒字になり、着実に成果が上がっている。なお、文協は、サンパウロ州地方都市で「BUNKYO RURAL(地方文協)」を開催し、若者の農業ビジネス起業・就労を促しており、こうした取り組みがサンパウロ州政府よりも評価されている。2019年9月にサンパウロ州内陸部アダマンチーナでBUNKYO RURALが開催された際には、ジュンケイラ・サンパウロ州政府農務長官も出席した。
(2)日伯援護協会
サンパウロ日伯援護協会(援協)も文協と並んで重要な役割を果たしている日系団体である。戦後にブラジルに到着した日本人移住者の支援を目的に設立され、現在では、病院経営、高齢者福祉施設経営等の活動を行っている。
順調な病院経営による利益を高齢者福祉施設に配分することにより、高齢者福祉施設を支えている。ブラジルも今後、高齢社会の到来が予想されているところ、日本のノウハウを取り入れた同協会の高齢施設の運営はブラジルでも必ずや役に立つであろう。また、援護協会の自閉症患者への治療は自立を促すことを重視した治療であり、ブラジルで一般的に行われている薬に依存した治療とは異なり、ブラジル国内でもこうした治療が注目されている。更に、日本企業や大学とも連携して、日本製の医療機器のブラジルでの展開に協力している。
なお、山形県川西町のダリアの花卉栽培専門家の協力により、援協が運営する高齢者施設「イペランジア・ホーム」(サンパウロ州スザノ市)に見事なダリア園が整備されている。こうした努力もあり、イペランジア・ホームでは、毎年3月上旬にダリア祭りを開催し、スザノ市の代表的な祭りとして多くの来場者でにぎわっている。援護協会の地域貢献の一例である。
(3)ブラジル日本都道府県人会連合会(県連)
県連はサンパウロの47都道府県人会の連合体である。1988年のブラジル日本人移住80周年を記念して開始された、ブラジル国内の日系移住者ゆかりの地を巡る「ふるさと事業や1998年のブラジル日本人移住90周年を記念して始めた日本祭り開催を通じて、県連も活性化してきた。も1世から2世以降の世代に交代するに従い、女性会長が増えてきている。また、若手が会長に就任する場合もあり、県人会の活性化に努めている。現在、各都道府県人会会長も2世以降の会長が増えている中で、移住者を送り出した「母県」とのコミュニケーションが難しくなっている県人会もあるとも聞いており、こうした面で県連がサポートすることが期待されている。なお、県人会の中には、会員数の減少に悩んでいるところもあり、例えば、宮城県人会、埼玉県人会、東京都友会は合同で新年会を開催するなどの取り組みが行われている。
サンパウロにある47の各都道府県人会は、各都道府県にルーツのある日系人の方が集まって母県を含む日本文化の普及、母県の観光の魅力などのPR、会員相互の親睦などを目的として活動している。県人会創立周年や県人ブラジル移住周年の際に、祝賀の式典を開催し、母県より慶祝団の訪問を迎えることが多い。慶祝団は、県知事、県議会議長等により構成されることもあり、さらに、民間の団体、芸能団なども含まれる場合もある。5年ごとにこうした周年行事が開催されることから、例えば、愛知県知事や岩手県知事は5年ごとにサンパウロを訪問されている。
筆者はサンパウロ在勤中、福島県、和歌山県、長崎県、岐阜県、岩手県、愛知県、大分県、熊本県、北海道、宮崎県、沖縄県の周年行事に出席させていただいた。こうした周年行事式典には総領事館の出席が期待されており、筆者も可能な限り出席した。母県の慶祝団は、筆舌に尽くしがたい苦労の末に、県の同胞の子孫が繁栄を築いておられる様子に感激し、受け入れの県人会は、母県よりの慶祝団の来訪により母県にも大切にされているという思いを新たにし、母県との絆を再確認する感動的な場となっている。いずれにしても、県人会は全員ボランティアで組織されており、いろいろ苦労されながらも、式典等を然るべく執り行っている状況にある。県人会は、独自の比較的広い会館を持っている県人会もあれば、そのようなものを持っておらず、県人会の周年行事を開催する際には大きな会館を持っている県人会の会館等を利用する場合もある。北海道協会や宮城県人会などは比較的大きな会館を持っており、こうした会場を様々なイベントに貸し出している。県よりの慶祝団には、芸能チームが参加していることもあり、各県人会も県の周年行事に際して慶祝団の来訪を非常に楽しみにしている。
以下、筆者が関わったいくつかの県、県人会の動きについて参考例として触れておきたい。
2018年9月にブラジル愛知県人会創立60周年記念式典がサンパウロで開催され、大村愛知県知事が出席された。愛知県は現在、最も多くの日系ブラジル人が住んでいる県である。愛知県は2010年の生物多様性条約名古屋議定書が採択されたゆかりの県であることを踏まえ、外国のカウンターパートと名古屋議定書実施のための覚え書き(MOU)署名を積極的に行っており、大村知事がサンパウロを訪問された際、サンパウロ州ともMOUに署名した。愛知県もサンパウロ州も両国を代表する産業地帯であるが、両自治体とも産業地帯であるからこそ環境配慮を重視している旨述べている点が印象的であった。また、愛知県に拠点を置くトヨタ等多くの愛知県企業がサンパウロ州に進出している等愛知県とサンパウロ州は深い関係にある。
山口県人会も活動が活発な県人会の1つである。山口県人会は会館に寄宿舎を新設し独自収入を上げているほか、県費留学経験のある若手メンバーが積極的に県人会活動に参加している。サンパウロ総領事館管轄内には、サンパウロ州サンベルナルド・ド・カンポ市のみずほ村やマット・グロッソ・ド・スル州バルゼア・アレグレなど山口県移住者が中心となって入植した町も点在する。下関市はサントス市と姉妹関係を結んでおり、2018年9月に前田市長のブラジル訪問時にサントス市を訪問し交流を深めた。
富山県もブラジルとの交流が深い県である。サンパウロ州内陸部のミランドポリスの第三アリアンサは、富山県人が中心になって開拓した移住地である。富山県はサンパウロ州の教員を富山県に招聘し、日本の教育制度を学んでもらいつつ、富山県在住の日系ブラジル人子弟のサポートを行っている。また、富山県はサンパウロ大学学生に奨学金を供与する等人材育成面での協力も行っている。富山県高岡市はミランドポリス市と姉妹関係を結んでおり、ミランドポリス市に現職教員を派遣しつつ、日本語教育を行なっている。
サンパウロ州サンミゲル・アルカンジョ市のコロニア・ピニャルは福井県との関係が深いこともあり、福井村とも呼ばれ、2018年7月も藤田副知事が訪問する等の交流がある。また、福井県出身の歌手の五木ひろし氏も訪問したことがある。毎年9月にびわ祭りが開催されている。
県人会が今後とも母県との連絡を円滑にしていくためには、日本語でコミュニケーションのとれる人材が不可欠となるところ、こうした人材の育成が必要となる。こうした観点から、いくつかの県が実施している県費留学制度経験者が県人会活動に積極的に携ることや日本政府の日本語教育支援も重要になってくる。長野県・鳥取県・富山県は、サンパウロ州内陸部の第一・第二・第三アリアンサと関わりが深いことを踏まえ、各々に現職教員を派遣して、日本語の指導等に当たっている。日本から遠く離れたブラジルで、かつ、その中でも特に内陸部に入った場所での勤務は苦労も多いのではないかと思われるが長年にわたって協力を継続していることはありがたい。
日本よりブラジルに移住した日本人の出身県別の統計では、熊本県出身者が一番多い由であるが、ブラジル日系社会で最大勢力は、現在では沖縄系である。沖縄県人会は2018年8月、沖縄県人移住110周年式典等を開催し、当地最大の県人会のプレゼンスを示した。サンパウロ日系主要5団体のうち、文協、援協、日伯文化連盟のトップを沖縄系が同時に務めていた時期もあった。
(4)日伯文化連盟(アリアンサ)
アリアンサは、日本語を教えている機関であり、1,000名を超える生徒を抱えている。日本への関心の高まり等もあり、ブラジルでの日本語学習熱も高まっている。特に、非日系ブラジル人の学習熱が高まっている由である。なお、当地においては、日本語能力試験実施などを国際交流基金が、日本語指導のボランティア派遣を国際協力機構(JICA)が、日本語教師の研修などをブラジル日本語センターが実施し、各機関が連携してブラジルでの日本語普及に取り組んでいる。
(5)日本語新聞
当地日系社会で長年にわたって発刊されてきたサンパウロ新聞が2018年末をもって紙媒体から撤退した。ブラジル日系社会も日本語が堪能な1世の多くが鬼籍に入り、日本語新聞の購読者が減っていた中での撤退であった。最後に残った日本語新聞であるニッケイ新聞は、ウェブ版やポルトガル語版「Jornal Nippak」の充実化を図ることで、販路の開拓に努めている
(6)在日日系ブラジル人社会
現在、日本には約20万人の日系ブラジル人が生活している。こうした人材が、人手不足の課題を抱えている我が国製造業等で活躍し、貴重な労働力として我が国経済を支えている。日系ブラジル人の日本での就労は30年の歴史があるが、当初は、受け入れの地元社会・自治体や日系ブラジル人にとって、共生は難しい課題であったと聞いている。多くの日本人にとっては、日系ブラジル人は日本人の血を引いているものの外国で生まれ育った「外国人」と受け止められている面もあった。こうした日系ブラジル人との共生には当初は慣れていなかったのではないかと思われる。日本語もできない日系ブラジル人も多く、子供の学校の問題、地域コミュニティとの共生には苦労したと聞いている。こうした中で様々な摩擦が起き、被害を受けられた方がおられると思うと心が痛む。しかし、30年が経過して、かつてと比べると共生は進んできたと言われている。例えば、群馬県は大泉町、太田市、伊勢崎市等に日系ブラジル人が多く在住することもあり、ブラジルとの関係が深い。筆者は、着任前、大泉町を訪問し現地を視察した。町として日系ブラジル人との共生に意を用いていることに強い印象を受けた。また、埼玉県上里町には、成功した日系ブラジル人である斉藤俊男氏がいる。出稼ぎ労働者の経験を経て、農業等で成功した。そのネギが非常に美味で普及したことから「葱王」と言われるまでになった。また、ビジネスのみならず、人材育成にも意を尽くしており、日系ブラジル人を中心とした子弟を対象とした学校を運営し、在日ブラジル学校協議会理事長を務め、在日ブラジル人教育問題に熱心に取り組んでいる。更に、静岡県はブラジルとの縁が深い県であるが、浜松市を中心として日系ブラジル人が多く住んでいる。浜松市はこうしたブラジルとの深い関係を踏まえ、ブラジル・パラリンピック委員会と協定を締結し、東京パラリンピック前のブラジル選手団の事前合宿の場所としての受け入れを決めた。その他、ブラジル・オリンピック柔道チームなどの事前合宿も浜松市で予定されている。島根県では、近年、出雲市の工場が大量の日系ブラジル人を採用したことから、急に大きな日系ブラジル人コミュニティが出現し、地元では如何に共生を図るかに尽力している。今後、日本はより多くの外国人材を受け入れることになる中で、日系ブラジル人との30年の歴史は先駆的例として参考になるであろう。
1990年の入管法改正により、3世までの日系ブラジル人に日本での就労の機会が認められたが、日系社会からはその後、3世までと同様4世についても日本において就労の機会が得られることを要望する強い。そこで、2018年7月1日より、将来の日伯関係の交流の担い手となる若手人材の育成を目的として4世に対する新たな査証制度が始まり、日本語能力等一定の条件のもとで、日系4世が日本で文化活動などを行いつつ就労することが可能となった。ただ、日本語能力等の条件のハードルが高い等の、利用者が伸び悩んでいる状況にある。
なお、サンパウロには、国外就労者情報援護センター(CIATE)があり、就労目的で訪日する日系ブラジル人に対し、研修や日本語の指導を行なっている。長年にわたり、二宮正人サンパウロ大学教授が理事長を務めている。
(7)池崎リベルダージ文化福祉協会会長
日系人の中でも、特に日本文化の継承にこだわりを見せるのが、池崎博文リベルダージ文化福祉協会会長である。サンパウロ市のダウンタウンにあるリベルダージは、古くから日系人が中心になって作った街である。筆者が2017年10月に着任して間もなく池崎会長にお目にかかった。恰幅の良い体格で、ニコニコした笑顔で握手しながら腕を前後に大きく振る姿が印象的であった。サンパウロ州内陸部のバストスで育ち、サンパウロ市に出て来られてから化粧品ビジネスで成功したビジネスマンである。同会長は、毎年9月にサンパウロで一大美容ビジネス展示会である「ビューティーフェア」を開催し、4日間で約20万人を集める規模と聞く。米中に次ぐ化粧品マーケットと言われるブラジルで大きな存在感を示している。同会長は、伝統的な日本人街であるリベルダージにおいて年々、日本色が薄くなることを懸念し、なんとかリベルダージが日本人街であったことを後世にも残そうと奮闘している。92歳とは思えない若さで今も精力的な活動を行っている。リベルダージのシンボル的な存在であったニッケイ・パレス・ホテルが中国系に買収されそうになった時は、リベルダージに日の丸をなんとか残そうと自ら同ホテルを買収した。また、2018年のブラジル日本人移住110周年に際しては、サンパウロ市やサンパウロ州と掛け合って、「リベルダージ広場」を「リベルダージ・日本広場」へ、地下鉄「リベルダージ駅」を「日本・リベルダージ駅」へと改名することに成功し、リベルダージに後世に渡り日本の痕跡を残す取組を行っている。池崎会長は4月には花祭り、7月には七夕祭り、12月には東洋祭り及び餅つき大会等リベルダージにおける様々なイベントも企画しており、今日、週末でも多くの人でごった返すリベルダージの盛況は池崎会頭のこうした努力なしには語り得ないであろう。正にリベルダージのサムライである。筆者としてもこうした池崎会頭のイニシアティブを可能な限りサポートした。
(8)日系社会を支援する非日系ブラジル人
非日系のブラジル人の間でも、日系社会に熱心に協力して下さる方も多い。例えば、ブラジルで最も著名な漫画家の一人であるマウリシオ・デ・ソウザ氏は、日系社会の影響の強いモジ・ダス・クルーゼス育ち。周りに多くの日系人がいたことから、日系社会に対する愛着が非常に強い。また、手塚治氏とも親交が深かった。ソウザ氏は、特に、在日ブラジル人子弟の教育問題に関心が高く、こうした子弟が日本の学校に早く馴染めるよう、同氏がプロデュースした人気のアニメ・キャラクターのモニカを使った漫画で日本の学校の規則・習慣等をわかりやすく解説している。在日ブラジル人子弟の中には、日本語の習得がなかなかできなかったり、ブラジルとは全く異なる学校制度もあり、日本の学校に馴染めない子供も少なからずいると聞いている。総領事館においても、就労ビザで日本に赴く日系ブラジル人にモニカの漫画を配布してきた。また、マウリシオ・デ・ソウザ氏は、毎年のように訪日し、在日日系ブラジル人コミュニティを訪問し、日本各地の子供たちを激励している。その他、ブラジルの銀行の中にも、伝統的に日系社会への支援に熱心な銀行がある。ブラジル国内第2位の規模を誇る銀行ブラデスコである。日系社会のプレゼンスの大きいサンパウロ州内陸部マリリア市発祥の銀行であり、日系人を対象とした多くの融資を行い、正直・勤勉な日系人は確実に債務返済をして、結果的にブラデスコの成長に結びついたと聞く。こうした日系社会との長年の付き合いもあり、現在、日本祭り等数多くの日系社会のイベントのスポンサーとなっている。2019年に93歳で亡くなられたブランドン・ブラデスコ名誉会長に対し、筆者は生前、ブラデスコの成功の秘訣は何かと質問したことがある。これに対し、同名誉会長は「仕事。仕事。仕事。これは自分が日系人から学んだことだ」と述べていたのが印象的であった。
(9)南マットグロッソ州及びマットグロッソ州
在サンパウロ総領事館が管轄している南マットグロッソ州も日系社会の活動は活発である。州都であるカンポ・グランデ市は、沖縄系移住者の多い町であり、かつてボリビアと結ぶ鉄道建設に従事していた沖縄系日系人が多く住んでいたと言われている。こうした経緯もあり、カンポ・グランデ市ではかねてより沖縄郷土料理である沖縄そばが人気を集めている。現在ではカンポ・グランデ市を代表する料理としての地位も得て、沖縄そばレストランの集まるフェイラ(市)が設置されており、にぎわいを見せている。
毎年8月には沖縄そば祭りが開催されるほど沖縄そばが地元で定着している。沖縄そばのレストランの集まるフェイラには、巨大な沖縄そばのオブジェがある。カンポ・グランデ日本人会は2020年に創設100周年を迎える歴史のある日本人会である。同州内にあるもう一つ大きな日本人会はドウラードスで、カンポ・グランデから南に車で2〜3時間の距離にある。2019年は、日本語モデル校が30周年を迎える等日本語の教育にも熱心であり、筆者が同年11月にドウラードス日本祭りに出席した際には、同校の生徒がボランティアとして一生懸命手伝っていたのが印象的であった。
在サンパウロ総領事館が管轄するもう一つの州がマットグロッソ州であるが、日系人の数はそれほど多くないが、ここでも日本人会が活動している。
3 日系社会の我が国にとっての重要性及び日系社会への支援・連携の意義
(1)日本のブランドイメージ
ブラジルにおいて日系人の方々は、筆舌に尽くしがたいご労苦を経た上で今日、高い信頼を獲得している。当国でビジネスを展開する日本企業も、こうした日系人が築いた日本に対する信頼、日本ブランドへの高い評価のおかげで、ビジネスが成功しているとの指摘もある。また、日本企業は日系人材の活用についても意を用いてきた。レナト・イシカワ文協会長は、かつてNECブラジル社長を務めていたこともある。また、現在もミゾグチ南米ホンダ社長らのように現地の責任者に日系人を置いているケースもある。その他、日本企業はエンジニアやスタッフとしても日系人材を活用している。
ブラジルにおける日本・日系人に対する賛辞には格別なものがある。「日系人は約110年前にブラジルに来たが、もう100年早く来てくれたら、この国ももっと違った国になったであろう」とか、「これだけの国土・人口・資源のあるブラジルであるので、人口2億人のブラジル人が全部日本人に取って代わったら、ブラジルは米国や中国よりも強い国になるであろう」と言ってくれるブラジル人もいた。冗談半分ではあろうが、それぐらい日本人の能力・勤勉性を評価していることを物語っている。
(2)日系人が持ち込んだスポーツ
日系社会のおかげで、他国と比べてブラジルにおける我が国伝統文化の浸透度は高いものがある。講道館の資料によると、ブラジルにおける柔道人口は200万人で世界一の人数であり、日本の10倍以上である。ブラジルがオリンピックで獲得したメダルのうち、最もメダル獲得の多い種目は柔道である。現在のブラジル・オリンピック委員会(COB)のワンデルレイ会長及びサンパイオ事務局長も柔道出身者が務めている。こうした柔道のブラジル社会への浸透は日系人の尽力の賜物であろう。現在、ブラジル柔道男子チームの監督を日本人女性が務めているのも、ブラジルの日本柔道に対する信頼の現れとも言える。また、ブラジルに野球を持ち込んだのも日系人である。こうした経緯もあり、ブラジル人は当初、野球は日本発祥のスポーツと信じていたとのことである。今でこそ、ブラジル野球代表は非日系人が主力であるが、かつて選抜メンバーはほとんど日系人であった由である。現在でも、ブラジル野球連盟の役員は会長をはじめほとんど日系人が占めている。
その他、二年に一度、米州各国を持ち回りで、日系国際スポーツ親善大会(コンフラ)が開催されており、2020年年2月にはサンパウロで開催され、日本政府を代表して鈴木外務副大臣が開会式に出席された。50年を超えるコンフラの歴史の中で、我が国政治レベルが出席するのは初めてであり、日本政府の日系社会重視の現れと言える。数多くの競技がサンパウロ近郊の日本カントリークラブで開催された。同クラブは日系人のクラブで多くのスポーツ施設を有するほか、若手日系人の人材育成でも定評のあるクラブである。
ブラジルではゲートボールが盛んであるが、サンパウロで2018年9月に開催された第12回世界ゲートボール選手権大会には、ゲートボール発祥の地である北海道芽室町の代表者も出席した。同大会では、サンパウロの日本カントリークラブ所属のゲートボールチームが見事優勝した。
日本人は野菜を多く食し、スポーツを愛し、健康な生活を送る民族とのイメージをブラジルで定着させたのも日系人のおかげである。日系人とともに、日本ゆかりのスポーツを推進し、日本に対する肯定的なイメージを維持・強化することも重要であると考える。
(3)日本文化・ビジネスの推進
ブラジル各地では多くの日本祭りが開催され、日本文化が紹介されているが、こうした日本祭りで欠かせないパフォーマンスが太鼓である。今では、日系人のみならず、多くの非日系のブラジル人も太鼓パフォーマンスに参加している。茶道、華道、武道等の日系団体も活発な普及活動を行っている。こうした日本文化の浸透により、ブラジル人が我が国の精神文化に対する理解を深めることができるのも日系人の貢献であり、日系人と連携して草の根レベルで日本の文化を浸透させていくことは効果的である。また、今日、ブラジルでは日本食が空前のブームとなっており、サンパウロでは既に焼き肉のシュラス・コレストランよりも日本レストランの方が多いと言われているばかりか、シュラスコ・レストランの前菜のテーブルには寿司・刺身が並んでいる。こうした日本食ブームの背景には長年にわたって日系社会がブラジルにおいて日本食普及の努力を払ってきたことを抜きには語れない。日本食の普及により、日本食材のブラジルへの輸出の増加、日本酒の輸出の増加等につながるとともに、訪日観光の誘因にもなっており、経済効果も高いことが窺われる。寿司・刺身が空前のブームになると、醤油の需要も大きく増えている。ブラジルでは以前は、生魚を食べることはむしろ野蛮な食べ方とのイメージがあったとのことであるが、現在では何の違和感もなくブラジル人が寿司や刺身を美味しそうに食べている。外食時には、特に子供が日本食が好きだからということで、家族が日本食レストランを選んでいる光景もあるようだ。
総領事館は、広報文化活動を行うにあたって、日系の各文化団体と連携している。例えば、2019年11月末にサンパウロのユダヤ人クラブ「Clube Hebraica」で日本文化週間を開催した際には、茶道、華道、琴、折り紙等の当地日系団体と連携して実施した。また、2019年1月に第11代大樋長左衛門陶芸家が当地を来訪された際には、日系茶道、陶芸団体と連携して、我が国文化の発信に努めた。
サンパウロの岐阜県人会は、毎年、総領事館において絵画展を実施するなど、文化活動を継続している。同県は在日日系ブラジル人が多い県でもある。岐阜市はサンパウロ州カンピーナス市と姉妹関係を締結している他、中津川市がサンパウロ州レジストロ市と姉妹関係を結んでおり、市長の往来等が活発に行われている。
(4)日系社会による日本への支援
日系社会は我が国にとって、困難に陥った時に手を差し伸べてくれるありがたい存在でもある。戦後、我が国が苦しかった時代には、自分たちも苦しい生活をしていたにもかかわらず、祖国日本の力になりたいと日本救済のための寄付や募金活動により、「ララ物資」として日本に届けられ、あらゆる物資が不足していた敗戦後の日本を支援した。現在、毎年日本で開催されている海外日系人大会は、こうした海外の日系人の支援に感謝を表すために開催されたのが契機であり、毎回、皇室にご参加いただいている。2011年の東日本大震災の際にも、ブラジル日系社会よりは6億円の義援金をいただいた。
なお、長年にわたり800名以上の若い日本人を研修のためにブラジルに派遣している「ブラジル日本交流協会」も、研修生の派遣にあたり日系社会の支援を得て研修の受け入れ先を調整している。こうした研修を通じて、多方面で活躍するブラジル・ファンの日本人が育成されていると聞いており、日系社会が日本人のグローバル人材育成に貢献している。
(5)我が国皇室と日系社会
日系社会の我が国皇室に対する敬意の念は非常に強く、2019年には天皇陛下御即位・令和幕開けを記念する日系団体主催の祝賀会が当地で開催された他、10月22日には即位の礼を記念する祝賀会も日系団体主催で開催された。我が国皇室もブラジル日系社会を特別に大切にしていただいている。上皇陛下は3回ブラジルを訪問され、天皇陛下も3回ブラジルを訪問されている。秋篠宮皇嗣殿下も2回訪問され、さらに、2018年の眞子内親王殿下などその他の皇族も訪問されている。眞子内親王殿下が、ご来訪を歓迎する日系人に対し、自ら握手され、親近感を示しておられるお姿が、当地日系社会では非常に印象深い記憶として残っている。
(6)ブラジルよりのインバウンド増加
ブラジル人はSNS好きで知られているが、日本にいる多くの日系ブラジル人も、日本のさりげない日常風景・食事・自然・文化等をSNSで積極的に発信し、こうした情報がブラジル国内でもSNSを通じて拡散することで、我が国についての豊富な情報がブラジル国内でも伝わっているものと思われる。こうした情報の流通が、我が国に対する好意的関心、我が国を観光する誘因になっていると考えられる。コロナ禍以前のことではあるが、近年、桜の時期の3月、4月を中心に我が国を訪問するブラジル人が増加傾向にあった。特に、日系ブラジル人は自らのルーツを求めて日本の地方を訪問する傾向があり、外国人インバウンドを如何に地方都市に誘致するかが課題となっている中で、重視すべきインバウンド層である。また、日系ブラジル人ユーチューバーの発信力・影響力を踏まえ、ユーチューバーを宣伝媒体として活用する日本企業も出てきている。新型コロナウイルスの影響により、2020年のブラジルからのインバウンド観光は落ち込む見込みであるが、長期的にはブラジルからのインバウンドの潜在性は注目されている。2020年度、日本政府観光局(JNTO)は、ブラジルを準重点市場に位置付け、ブラジルでの訪日観光プロモーションを強化する方針を打ち出した。
(7)ブラジル農業における日本のプレゼンス
日系人は、農業、医療、教育、スポーツ、芸術、法曹、エンジニア等の数多くの分野でブラジル社会に貢献し、高く評価されている。特に、最初の移住者がコーヒー農園で働きその後も多くの日系人が農業に従事した歴史もあり、農業分野での貢献が顕著で、日本人はブラジルでは農業の神様とも言われる。サンパウロ近郊のグリーン・ベルトと呼ばれる地帯では、多くの日系農家が野菜作りに従事し、大消費地のサンパウロに野菜を供給した。日系人のおかげで、ブラジル人は野菜を食べるようになり、食生活が豊かになったと言われている。また、ブラジルのコーヒー豆を入れるジュート製の袋もかつてはインドから輸入していたとのことで、日系人がアマゾンでジュート栽培に従事するようになってから輸入する必要がなくなったとのことであり、こうした形での貢献も大きい。農業生産の貢献の上に更に、農業分野での日本のプレゼンスを確固としたのがセラード開発協力である。70年代始め、日本で大豆調達先を米国からのみならず多角化していこうとの計画が持ち上がった際、土地もふんだんにあり、水資源も豊富で、巨大な日系社会の存在があるブラジルに目をつけ、不毛の大地であったセラードが日本の資金・技術協力によって一大大豆の生産地となり、今やブラジル経済を牽引する重要産業となった。現在、日本にとってブラジルは米国に次ぐ大豆の調達先となっている。また、今後ますますアジアにおいて食料需要が高まってくる中で、ブラジルは世界の食料安全保障に貢献できる数少ない国の一つとなったことに鑑みても、セラード開発協力の貢献は大きい。近年、大豆の対中国輸出がブラジル経済を引っ張っていることを鑑みても、セラード開発の重要性が改めて認識されるところである。ジャパン・ハウスSPにおいては、2019年11月、北岡JICA理事長が日本の対ブラジルODA60周年記念式典で、ブラジルにおけるセラード開発協力や交番協力について紹介した。
(8)ブラジル被爆者平和協会
サンパウロではブラジル被爆者平和協会が活動を行っており、被爆体験を語るイベント等活発な活動を行っている。また、広島県は南米被爆者健診団を派遣し、在ブラジル被爆者の健康診断にあたっている。2019年、長年の同協会の活動が実り、被爆者の日系病院での治療費に関し、被爆者が立て替えることなくこれら日系病院が直接日本側に請求する制度が整った。
2020年2月のサンパウロ・カーニバル・コンテストは、「人類の知」をテーマに開催された。右コンテストに参加したサンバチームの一つであるアギアジオウロが、当地広島県人会や長崎県人会の協力を得て、「人類の知」が誤って使われた例として広島の被爆を取り上げ、警鐘を鳴らす山車を出して見事優勝を果たした。当地日系団体がブラジル社会と一体となって、「核兵器のない世界」に向けた我が国の願いを発信することができた。
(9)姉妹都市関係
サンパウロ州内の自治体と日本の自治体との姉妹関係も、活発に継続している例のほか、新規に姉妹関係を締結する動きもある。例えば、岐阜県中津川市は長年にわたってサンパウロ州レジストロ市との交流を続けており、2018年10月も中津川市の公式訪問団がレジストロ市を訪問した。また、サンパウロ州マリリア市は2018年11月、同市市長が大阪府泉佐野市を訪問し、姉妹関係を締結した。マリリア市に派遣されていたJICAボランティアがきっかけとなって姉妹関係が締結されたと聞いている。
2019年4月、モジ・ダス・クルーゼス市長は訪日し、企業進出等で縁の深い岐阜県関市や富山県富山市を訪問し交流を行った。
サンパウロ州内陸部にあり、古くから日系人の町として知られているバストス市は長年にわたって北海道遠軽町と姉妹都市関係にあり、2018年7月には遠軽町長がバストス市を来訪し、友好関係の再確認を行った。
兵庫県はサンパウロ州と隣接するパラナ州と姉妹関係にある。また、神戸市は、かつて移民船が出向した港であり、当時の移民収容所は現在、「海外移住と文化の交流センター」に衣替えされ、日本出発前の移住者の生活が忍ばれる様子が展示されている。
2019年8月には、サンパウロ市との姉妹都市交流50周年を記念して、中尾大阪市副市長(当時)をはじめとする代表団が来訪し、サンパウロ市との交流、大阪のプロモーション等を行った他、在サンパウロ大阪なにわ会とも交流を持った。大阪なにわ会は所有している会館を様々な行事などに貸し出したりして収益を得ているほか、剣道教室を運営する等の活動も行っている。
かつては活発な交流を継続していた姉妹関係も年月が経ち、首長が交代とことにより、関係が疎遠になる場合もある。ブラジル側自治体は日本からの企業進出の期待、日本の技術供与への期待があるのに対し、日本の自治体側では、当該ブラジル自治体を通じたビジネス促進、当該ブラジル自治体の日系団体との交流、地元の若手を派遣してグローバル人材育成を図ることなど、それぞれの関心分野がある。WIN-WINの関係で活発な交流が行われることを期待しつつ、筆者としても可能な限りの側面支援に努めた。
(10)日系病院の役割
日系病院であるサンタクルス病院及び援協が経営する日伯友好病院は、日本の大学との交流も活発であり、こうした大学と交流を行いつつ、日本の医療機器をブラジルに導入・普及するための窓口ともなっている。筆者としても、こうした日系病院と日本の大学との連携の側面支援に努めた。なお、これら病院は、新型コロナウイルス対策でも重要な役割を果たしているほか、サンタクルス病院はJICAの協力も得て、健康的な日本の病院食のブラジルでの普及にも尽力している。
(11)日系学校
ブラジルには、その教育制度の下で、日本的教育要素を取り入れた学校がいくつかある。筆者はそのうちの大志万学院、アルモニア学園、ピオネイロ教育センター(赤間学園)を視察する機会を得た。こうした学校では、いずれも優秀な学生を輩出しておりサンパウロでの評価も高く、日本人として率直に嬉しい。日本人は教育を重視する国民であることはブラジルでも大変よく知られている。ブラジルには欧州諸国からも多くの人が移住してきたが、欧州の人は移住して入植地を作るとまずは教会を創るが、日本人は入植地を作るとまずは学校を作るとの逸話も残っている。なお、2019年4月に東京で開催された「天皇陛下御即位三十年奉祝感謝の集い」で素晴らしいスピーチをした日系4世の宮崎真優さんは大志万学院の出身である。
(12)存在感を増している中国・韓国
総領事館が、ブラジル各地で「日本祭り」を主催し日本文化普及のための努力をしている日系社会と連携して、日本のソフトパワーをブラジル国内隅々にまで広めることは非常に重要であると考えている。今日、ブラジルでは、中国の特に経済的プレゼンスが大きくなっている。ブラジルの輸出の約3割が既に中国向けである。送電線網・発電所等インフラ分野への中国の投資は目覚しく、近年、ブラジルの多くの州知事や市長が中国詣でを繰り返している。また、顔認証カメラ等ハイテク分野でも中国企業の進出は顕著である。スタートアップ分野でも中国企業の躍進が目立つ。ブラジル人にとっては、昔から、中国製というと、安いが粗悪な製品というイメージが強かったが、こうした伝統的見方は現在大きく変わりつつある。更に、新型コロナウイルス禍においては、ブラジルに対して多くのマスク、医療機材などを贈与・販売することによってもプレゼンスを示した。また、韓国のブラジルでの躍進も目覚しい。スマートフォンでは韓国メーカーがマーケットの5割以上を占め、ヒュンダイはビッグ4(VW、GM、FIAT、FORD)に次ぐマーケットシェアーをトヨタやホンダといった日本勢と争っている。文化面でも、K-POPが特に10代ブラジル人女性の間で爆発的な人気である。新型コロナウイルス危機においては、韓国の大量検査、テクノロジーを駆使した対策が封じ込め成功例としてブラジルにおいても大きく報じられ、注目された。かつては、ブラジルにとってアジアというと、日系人の存在もあり、ほとんど日本というイメージであったのが、こうしたイメージが現在では大きく変わりつつある。このように中国・韓国がブラジルでプレゼンスを大きく拡大する中で、我が国が引き続きブラジルにおいてプレゼンスを確保し、拡大するためには、日本企業のブラジルでのビジネスを側面支援しつつ日本企業の存在感を高めたり、我が国の現代の魅力を紹介するためジャパン・ハウスSPを通じて我が国の魅力・政策を発信することに加え、何と言っても日系社会と連携しつつ、パブリック・ディプロマシーを展開し、親日層を拡大することが重要である。
4 日系社会への支援・連携
こうした圧倒的な日系社会のプレゼンスの中で筆者としては以下の点に留意して日系社会への支援・連携を進めた。なお、こうした施策を進めるに際しては、2017年5月に「中南米日系社会との連携に関する有識者懇談会」の堀坂浩太郎座長(上智大学名誉教授)より外務省に提出された報告書を踏まえつつ、支援・連携に努めた。
(1)日系社会行事への出席
まずは、地方日系社会も含め日系団体が主催する「日本祭り」などのイベントに可能な限り出席し、また可能な範囲での支援を行うことである。こうしたイベントには、いわゆる「日本祭り」の他、先人の慰霊法要、県人会創立周年行事、各地日本人会創立周年式典など様々な形態がある。
当地日系人と接触していて筆者が強く感じたのは、多くの日系人が日本人の血を引いていることを誇りに思い、なんらかの形で日本とのつながりを求め、そして日本がいつまでも世界から尊敬される国、光り輝く国であって欲しいということである。「ふるさとは遠きにありて思ふもの」とも言われるが、日系人の方と接しているとその思いを強くする。こうした「日本祭り」などのイベントに総領事館のプレゼンスがあるだけでも地元日系社会は評価してくれる。総領事館のプレゼンスが、日本とつながっているとの安心感を持っていただけるようである。また、日本の城の模型や日本の人形等、日本文化関連の総領事館所有グッズを「日本祭り」開催の機会などに主催団体に貸し出したりもしている。
筆者が出席した地方日系団体の行事の中でも、特に印象に残っているのが、アウバレス・マシャード市で約100年にわたって行われている、先人の霊を弔う招魂祭である。サンパウロから内陸部に向かって車で6時間以上かかる場所にあるが、毎年7月に開催され、一度も雨が降ったことがないという。筆者は2018、2019年に出席した。しかしながら、100回目の2020年の招魂祭は、新型コロナウイルスの影響でオンライン開催となった。
(2)若手日系人の日系社会への参加
筆者が2番目に重視した点は、若手日系人の日系社会の活動への参画である。日系の世代が3世、4世、5世と世代を経るに従って、ともすると日本語や日系社会との接点が希薄になりがちである中で、当国における日系社会の伝統を継承していくためには、若手日系人が日系社会の活動に参画することが重要である。
- こうした中、当地日系社会においてリーダー的な役割を務めているのがマルセロ・ヒデシマ氏である。同氏は文協の副会長を務めつつ、日系若手主導のイベントで指導力を発揮している。同氏のイニシアティブの下、ブラジル各地で文協統合フォーラム(FIB)が開催されてきている。これは、若手日系人が中心になって地域の日系社会を含めた様々な問題につき議論する場である。また、毎年5月に文協において開催される「文化祭り」も同氏のイニシアティブの下で始まり、日系若手が中心となって企画している。マルセロ・ヒデシマ氏は、「project network」も進めている。これは、日本で就労していた日系ブラジル人子弟がブラジルに戻ってから、ポルトガル語が十分にできない等のためにブラジル社会のネットワークに入れないなど困難に直面している問題についてのシンポジウムを開催するなどの活動も行っている。こうしたネットワーク活動に対しても、総領事館は支援している。
- その他の日系若手グループとしては、ブラジル-日本青年会議所(JCI)がある。若手日系人で構成されており、近年特に活発に行っている活動が「大掃除」である。これは、2014年のサッカーワールドカップ・ブラジル大会の際に、日本人サポーターが試合後にスタジアムを清掃して注目を浴びたことに触発され、日本の清掃文化・衛生文化をブラジルにおいて普及すべく行っているもので、最初の2年間はサンパウロの伝統的な日本人街であるリベルダージで行われ、3年目の2019年はサンパウロ近郊で日系社会の影響の強いモジ・ダス・クルーゼス市で開催され定着しつつある。総領事館も第1回より積極的に参加しており、日本企業も掃除道具を提供するなどの協力を行っている。JCIは、その他地方の日系社会の活性化を念頭にリンスフォーラムを毎年サンパウロ州内陸部リンス市で開催しているほか、在サンパウロ日本駐在員にブラジルのことに触れてもらう企画「ブラジリアン・マインド」を実施している。ASEBEX(元日本留学生ブラジル協会)も若手日系人のグループで、日本で留学するための様々な奨学制度等のスキームにつき紹介しつつ、奨学金を獲得するための方策につき講習会を開いている。また、ABEUNI(サンパウロ学生福祉連盟)は、日系の医学生が中心となって貧困地区に無料の医療・生活相談を提供するボランティアとして立ち上がったグループであり、現在では非日系のメンバーも含めて活動を行い、地元で評価されている。筆者も何度かこうした活動を視察する機会を得たが、熱心な学生の姿勢に感銘を受けたところである。
- 若手日系リーダーの育成の観点から、外務省は次世代日系人指導者育成招聘事業を行っており、こうした事業の参加者がその後、日系社会のリーダーとして活躍している。先に述べたマルセロ・ヒデシマ氏を含め同研修生OBが日系社会で活躍している。こうした次世代日系人招聘等の外務省招聘研修経験者の日系人で構成されるのが外務省研修生OB会である。裁判官、弁護士、ビジネスマンなど多様な職業人の集まりである。同会は毎月、懇親夕食会を開催して会員の懇親を深めているほか、ゲストスピーカーを招いた講演会を開催している。一時期、同研修制度が中断していたのが、数年前に復活したことを同会は高く評価している。こうしたブラジル国内でのネットワークのみならず、中南米全域にわたって同研修生OB会がネットワークを構築している。なお、このほか、JICA研修生OB会、AOTS(海外産業人材育成協会)研修生OB会、国費留学生OB会など日本政府関連研修生のOB会組織が活発に活動を行っている。
- また、我が国からの要人来訪に際しては、可能な限り若手日系人との懇談の機会をいただくこととしており、2018年5月に河野外務大臣(当時)が、また7月には眞子内親王殿下が来訪された際にもそのような機会を設定させていただき、若手日系人を激励していただいたことはこうした若手日系人にとっても忘れられない思い出となった。
- 若手日系人への日系社会活動への参画を進める上で、外務省は近年、日系若手によるプロジェクトへの助成も行っている。例えば、2018年度のプロジェクトである「110+10」は、日本人ブラジル移住110周年を契機として、今後10年を見据え、若手日系人がどのような取り組みを行っていくかにつき議論したものであるが、こうした取り組みなどの結果、現在、若手日系人の間で、日系人のアイデンティティ、日系人のレガシーについての議論が活発になっている。両親を含む先祖や他者へのリスペクト、規律、感謝の気持ち、強靭性等こうした日系のレガシーを再認識し、受け継いでいこうとの心強い動きが始まっている。調査によると、日系若手世代にも、日本の名字がブラジルでも信頼感があるということで、名字に日系の名字を嗜好する傾向があるとのことであり、日系人としてのアイデンティティを強く意識している証左であると思われる。6月20日は、「国際日系デー」とされているが、同日を記念して、サンパウロの若手日系人グループが2020年の同日にオンラインイベントを開催した。彼らは、2019年から2020年にかけて、ブラジルの日系人にどのような日本的価値観が受け継がれているかを議論するために17回のワークショップを開催し、同オンラインイベントで、8つの価値観(①協同、②誠実、③忍耐、④敬意、⑤学び、⑥親切、⑦責任、⑧感謝)を発表した。若手日系人が自発的にこうした取り組みを行っていることに大いに勇気づけられた。
- 一世の日系人の中には、日本語も話さず、日本への関心もあまりない孫を是非一度日本に連れて行きたいと語る方も多い。そして、一度日本に行くと、日本文化や日本語に関心を持つようになったと喜ばれる一世の方も少なくない。また、当国日系社会ではカラオケの根強い人気があるが、ちびっこカラオケ大会も開かれており、日本語を話せない日系の子供が日本語の歌を一生懸命歌っている姿を見ると、日本の文化・日本語の継承にも好ましい影響を与えていると考える。なお、日本の民謡についても若い日系人が継承する動きがみられている。
- サンパウロの若手日系グループは、マナウス市、クリチバ市等ブラジル国内各地方の日系社会を訪問して、それぞれの若手日系グループと交流しつつ、ネットワークを拡大し、ブラジルにおける若手日系社会の中心的存在として活躍するようになっている。
(3)地方日系団体との連携
- 3番目に筆者が重視したのは高齢化が進む地方の日系団体との連携である。サンパウロ人文科学研究所が2018年9月に発表した調査によれば、サンパウロ州には255の日系団体があり、そのうち44がサンパウロ市内でそれ以外の211の団体がサンパウロ州のその他の町に存在している由である。
日本の地方都市同様、サンパウロ州内の地方の日本人会は若手日系人が少なく、深刻な高齢化に直面している日本人会が多い。90年代以降の日系ブラジル人の就労目的の訪日により、日本人会の担い手である若手が、地方の日本人会では大きく減少したことが響いているとともに、サンパウロ州地方都市でも十分な雇用が確保できないことから、若者が進学や就職のためサンパウロ等の大都市に流出していることも一因である。日本人会も事実上休眠状態になっているところや止むを得ず近隣の日本人会と合併しているケースもある。 - 若者に地方都市に踏みとどまってもらうためには、地方都市の経済を活性化させ雇用を増やす必要があり、地方の活性化の先頭に立つ自治体と連携する形で、日系団体が地方の活性化に貢献することが期待される。地方では、日系の市長や日系人が市の経済開発局長を務めているケースもある。地方の日本祭りも当該自治体と連携して実施することが必要不可欠であり、また、自治体側も日本祭りがこれらの市にとって一年で最も大きな祭りである場合が多いことから日系団体に喜んで協力している様子が窺われた。こうした日本祭りが近隣の自治体からも観光客を集めることにより、地方の活性化に一定の役割を果たしているようだ。筆者が地方都市を訪問する際には、市長等自治体関係者にも接触し、日系社会支援に対する謝意を表明するよう努めた。
- 近年、就労目的で訪日した日系ブラジル人がブラジルに帰国後、地方の日系団体に戻り、これらの団体が活気を取り戻しているところもある。特に、こうした日系ブラジル人子弟が日系団体の太鼓などのクラブに入る等の動きが注目されている。また、地方の日系団体では会員数も減り、例えばこうした日系団体の日本語学校も生徒が減少するなどの状況にあるが、このような中でも、非日系ブラジル人が会員になったり、日本語学校の生徒になったりして運営を継続しているケースも見られる。日系団体の中には、非日系ブラジル人が活動に参画することに慎重なところもあるが、地方ではとりわけ、非日系ブラジル人に日系団体の活動に参画してもらって会を活性化することは避けられない状態となっている。サンパウロの秋田県人会は秋田県の伝統芸能である本庄追分の文化をブラジルでも根付かせようと、毎年、ブラジル本庄追分大会を開催し、老若男女、日系・非日系を問わない層が参加している。非日系のブラジル人が優勝することもあり、ブラジル大会優勝者が日本の全国大会でも上位に入賞する等レベルも向上している
- また、地方の日系団体にとって重要な存在がJICAボランティアである。日本語、野球、料理、介護、相撲、剣道など幅広い分野で、地方の日本人会も含め派遣され、日本の文化の継承・普及に貢献している。日本のボランティアが日系団体で活動することにより、これらの団体が活性化している。また、介護分野でのJICAシニアボランティアも日系社会で活躍している。ブラジルも将来、高齢化社会を迎えることが予想されているところであり、高齢化先進国である日本の介護の経験をブラジル日系社会と共有することは、ブラジルにとっても重要な意味がある。北海道の北見市の病院からは、JICA派遣により同病院職員がサンパウロのSBC病院に派遣され、緩和ケアの技術協力が実施された。
- 地方の日系団体の運営に当たって重要なのが、地方の日系団体の連合体である地方連合会長の役割である。サンパウロ州内には、内陸部に多くの日系社会が存在するが、地域ごとに当該地域の日系団体の集合体である連合会が存在している。
こうした連合会会長がリーダーシップをとって当該地域の日系団体を引っ張っているところは日系団体も全体として活発である。足繁く域内の日系団体を回るノロエステ(北西部)連合の安永会長、若手日系人の指導に定評のある汎ソロ連合の纐纈会長、アウタパウリスタ連合のミズノ会長、中津川市との姉妹関係や灯籠流しでレジストロなどを盛り上げる聖南西連合会の山村会長、カンピーナスを中心とする中西部日系連合会のハナダ会長などが、各地域のリーダーとして現地日系社会を引っ張っている。
- 総領事館では、功績のあったサンパウロ州内陸部の日系社会のリーダーを叙勲、外務大臣表彰、在外公館長表彰の対象とするとともに、こうした日系社会が主催する「日本祭り」等にも積極的に出席するよう努めるなどサポートしている。なお、筆者が印象に残っているのが白石一資元ノロエステ連合会長である。こうした連合会も、今や会議は日本語ではなくポルトガル語で行われているが、同元会長は発言する際、必ず日本語とポルトガル語で話して、何とか日本語を残そうとしている姿が忘れられない。
典型的なサンパウロ州内陸部の日本人町であったバストスは、多くの日系農家が養鶏を営んでおり、卵の生産で有名である。人口の上では日系人の比率がかなり減ったものの日系団体の活動は活発であり、毎年7月に卵祭りを開催している。地方の日本人会で、一時期停滞期が続きその後復活を果たしたのが、サンパウロ近郊の汎スザノ文化体育農事協会である。同団体は、就労のため多くの日系ブラジル人が日本に行ったこともあり、活動が停滞したが、敷地内にスザノ日伯学園を創設し、同学校の経営が軌道に乗った結果、今日では非常に活発な日系団体となっている。 - 2019年及び2020年には、日本で日系ブラジル人への支援に当たる学生やNPO(民間非営利団体)関係者をブラジルに派遣し、ブラジル日系社会の歴史や現状を研究する事業が行われた。こうした派遣に際しては、サンパウロ市のみならずサンパウロ州内陸部にも派遣されるが、内陸部の日系社会は現代の若い日本人の来訪を大変歓迎し、日本との絆を確認していた。
(4)日本祭りの拡がり
4番目に筆者が力を入れたのが、ブラジル全土における「日本祭り」の普及である。
- ブラジル日本都道府県人会連合会(県連)は47都道府県人会の連合体である。県連が主催する年間最大行事であるサンパウロ「日本祭り」は世界最大規模である。県連は90年代半ばより、ブラジル国内の日系移住者ゆかりの地を巡る「ふるさと巡り事業」や日本祭りを開催することにより、活動が活発化したとの評価もある。日本祭りでは、太鼓等日本の伝統的文化の披露、日本企業の展示・プロモーションに加え、各都道府県人会が出店して、ご当地料理を販売する。各県人会は、独自の会館を所有している県人会も多く、こうした会館の運営経費や県人会としての活動経費を捻出するために、日本祭りで各県人会がブースを設け、そこで郷土料理を販売して収入を得ている。例えば、福岡県人会は博多ラーメン、広島県人会は広島風お好み焼き、福島県は喜多方ラーメン等である。また、会館のサロンや駐車場を貸し出して収入を得ることにより、県人会の運営経費に充てている。
- 近年、総領事館のみならず、農林水産省、環境省、観光庁、JICA、JETRO(日本貿易振興機構)、国際交流基金等の日本政府・政府関係機関等が積極的に日本祭りに参加しており、日本食の普及促進、観光促進等の文化・広報活動を行っている。こうした日本政府の姿勢が日系団体からも歓迎されている。
- 更に、日本企業もブースを出して自社製品のPR活動を行い、ステージでは太鼓、阿波踊り、よさこいソーラン等日本の芸能が繰り広げられる。まさに、オールジャパンで日本を売り込む巨大イベントである。毎年3日間で約20万人の来場者を得ている。ここまでの来場者に恵まれているのも、ブラジルでの110年を超える日系人の歴史もあり、日本に対する関心・信用がブラジルにおいて極めて高いことが背景としてあげられるであろう。
- ブースによっては長い行列ができていることもあり、主催者側では、トヨタ生産方式(TPS)を導入して、各県人会ブース厨房の効率的な調理・販売を確保したり、効率的な来場者の流れを確保し行列をできるだけ減らす取り組みを行っている。また、2019年よりは、幾つかの県人会はブースでの料理の販売の支払いに、アプリを使うことによって行列を少なくする取り組みも行われている。
- 日本祭りの拡散の観点から、2018年1月に実施された中南米各地の「日本祭り」運営者を招聘した外務省のプログラムは極めて重要であった。サンパウロの日本祭りの経験を他の中南米各国の関係者と共有することができたほか、サンパウロ日本祭り運営者に中南米地域の「日本祭り」普及のリーダ-としての自覚が芽生えたことも成果であった。既に、各地で開催されている「日本祭り」は年々拡大する傾向にあるほか、新しく「日本祭り」を開催する日系団体も現れており、その勢いはますます高まっている。サンパウロ日本祭りの実施主体である都道府県人会連合会は2019年3月にジャパン・ハウスSPにおいて、ブラジル国内の日本祭り運営者を集めてシンポジウムを開催し、サンパウロ日本祭りの経験の共有に努めたが、2020年3月にはブラジルのほかメキシコからの参加も得て日本祭りに関する第2回シンポジウムを開催し、筆者も「日本政府の日系社会支援・連携政策」につき講演する機会を得た。こうした日本祭りを支える担い手として忘れてはならないのが、料理を担当する日系団体の婦人部の皆さんや多くのボランティアの存在である。日本祭りに来場する一般客の最大の魅力の一つが日本祭りで味わうことができる料理である。こうしたボランティアの献身的な貢献により、日本祭りがブラジルでここまで拡がる状況となっている。
(5) 日本政府と日系社会
ブラジル日系社会は、2014年8月の安倍総理(当時)ブラジル訪問を受けての日本政府の日系社会支援・連携の取り組みを高く評価している。訪問後、官邸主導の下で、中南米経済・文化交流促進会議が開催され、外務省のみならず各省の参加も得て、日本政府全体としての中南米政策の取り組みが強化された。JICAは日系社会ボランティアの数を倍増したほか、農水省は若手日系農業家研修を開始し、総務省は、都道府県が中南米日系社会との交流を実施する事業に補助金をつける事業も開始した。筆者は山口県や福島県が県人会子弟などに母県での研修の機会を与える総務省補助事業の報告会に出席したが、母県とのつながりを再認識する機会になった模様であり、非常に効果を上げていることが伺われた。サンパウロ日本祭りにも、現在では、在サンパウロ総領事館のみならず、農水省、環境省、JICA、 JETRO、 JNTO(国際観光振興機構)など多くの政府関係機関が参加している。都道府県人会連合会も、サンパウロ日本祭りに日本政府の各省が参加していることを高く評価している。また、安倍総理(当時)訪問後、各省政務レベルが中南米を訪問する機会も増えてきた。日系人の中には、こうした日本政府の中南米日系社会重視の姿勢により、日本の企業も含めオールジャパンとして日系社会に対する支援が強化されていると評価している向きもあり、また、日本政府の日系社会支援の高まりにより、日系社会が若手を含め活気付いて様々なイニシアティブが生まれていると評価している向きもある。
(6) 新型コロナウイルス感染危機の日系社会に与える影響
新型コロナウイルス危機は、様々な社会的・経済的影響を与えるが、当地日系社会に対する影響も大きいものがある。日系各団体は、これまで述べたとおり、多くの集客のもと様々なイベントを開催することにより、食事などの販売で収益を上げたり、会館のスペースをイベントに貸したりすることで、会館の維持管理費や団体としての活動経費に充てることを基本としていたが、こうしたイベントの実施が困難となり、今後の活動をどのように進めていくか非常に頭を痛めている。特に、日系団体の活動の担い手が重症化リスクの高い高齢者であることに鑑みればなおさらである。更に、これまでこうした日系団体の活動のスポンサーとなってきた多くの企業がコロナ経済危機によって大変困難な状況に陥っており、これまでのような支援が難しくなってきている。日系団体の活動が低調になることは、日系団体と共に、日本文化の普及・拡散を目指す我が国の中南米外交にも大きな支障を与える可能性があるところであり、今後の日系社会との連携のあり方につき検討していく必要がある。
こうした中、ブラジル日本文化福祉協会(文協)はオンラインでの講演会を実施したり、若手日系グループは、先に述べたとおり、6月20日の国際日系デーの日にオンラインでのイベントを開催したりしている。また、サンベルナルド・ド・カンポ市では、若手がオンライン・カラオケを実施し、自宅に籠もりがちな高齢者の娯楽の機会を作っている。社会との接点がなくなると、高齢者は急速に老化や認知症が進むともいわれているが、こうした若手の取り組みは重要である。これらの状況を見ていると、コロナ経済危機を契機として、日系社会の活動の主導権が、ベテランからオンラインの得意な若手に移行しつつある状況も看取されるところである。