会報『ブラジル特報』 2009年11月号掲載
岸和田 仁(協会理事)
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作家エウクリーデス・ダ・クーニャが生まれたのは1866年、リオ州カンタガーロだ。日本の作家でいうと、夏目漱石(1867年生まれ)や森鴎外(1862年生まれ)とほぼ同世代だが、没年は二人よりもはるかに早い。彼が亡くなったのは1909年8月15日であった。
妻の不倫に憤激した作家が、彼女の年下の愛人ディレルマンド・デ・アシスに決闘を挑んだが、逆に銃殺されてしまったのである。享年43歳。この決闘については、加害者側の情報ばかりで再構成されたため、被害者に不利な証言が多く、その真相を巡っては、現在でも論争が続いているほどだ。まさに彼の死に様もポレミックである。 その悲劇的な死から100周年ということで、今年8月から10月にかけてブラジル各地でこの作家の業績を再評価する記念イベントが行われている。リオでは「ブラジル文学アカデミー」主宰の連続シンポが開催されたが、筆者が注目しているのは、新版のダ・クーニャ全集がノヴァ・アギラル社から発刊されることだ。文芸評論家パウロ・ホベルト・ペレイラが、彼の遺稿、関連資料の山に分け入って精査した結果、これまで未刊の詩が15、書簡は22も発見されており、自ら編集する今回の全集に収録されることになっている。没後100年たっても、書簡や詩の新発見があるとは、素直に驚いてしまう。もっと必死で探したら、未刊の小説が見つかったりするかもと思いたいところだが、彼の知的業績が奥深いからこそ、今日でもブラジル人の関心を惹き付けていることに注目すべきだろう。 という次第なので、この機会に彼の主著『ウス・セルタゥンイス(奥地)』(初版1902年)をざっと再読してみたが、あらためてこの叙事詩的ノンフィクション作品の壮大な内容に圧倒されてしまった。何しろ、文章の量が半端でない。手元の29版(1979年)で416頁、英訳版では索引も入れれば532頁だから、再読といっても、あちこちちぎり読みするだけで何時間もかかってしまう。この著書は、周知の如く、19世紀末バイーア奥地で繰り広げられた「カヌードス戦争」をエスタド・デ・サンパウロ紙の特派記者として現地取材した著者が、従軍記事を再構成し、そこに土地や住民についての地理学・人類学的考察を加えた作品である。アントニオ・コンセリェイロ率いる、この千年王国運動を狂信的邪教徒集団と決め付けたブラジル政府軍は、“反乱鎮圧”の軍事行動を展開するが、1897年はカヌードス住民の抵抗戦が“ベトナム戦争化“した年で、2万人以上の死者を出している。このブラジル文学史に金字塔を打ち立てた分厚いノンフィクション作品は、このほとんど内戦といえる事件を詳細に記録しただけでなく、当時の最新の社会学・人類学の知見を総動員してその土地と住民を詳述し、ブラジル人とは何か、を問うた怪物的著作である。 ダ・クーニャは、わずか三歳のときに両親と死別したため、叔父の庇護を得て苦学の道を歩み、工科大学に入ったものの経済的理由で続けられず、学費タダの陸軍士官学校を卒業している。ここで土木、建築など理工系の学問ばかりか、地理学、社会学といった社会科学も修得しているので、この文理両面の知見が彼の著作を生み出したのだろう。とはいえ、肩に力が入りすぎた、骨太の文体でバイーア内陸部の住民たちを詳しく叙述する彼の知的モチベーションは、どこから来るのか。筆者は、彼の父親がバイーア出身であったことと、彼自身サルヴァドールの小中学校で初等教育を受けた、という事実に注目している。ともあれ、彼の詩論(カストロ・アルヴェス論ほか)やアマゾン論など、他の著作も合わせ、総合的な再評価が為されているが、せめて主著だけでも邦訳がほしいところだ。 |