会報『ブラジル特報』 2009年11月号掲載

                          西田 明弘(南米安田保険(株)取締役)



 2009年6月3日、南米安田保険株式会社(以下南米安田)は、創業50周年記念式典を開催しました。今日まで支えて頂いた多くの方々に感謝するとともに、新しい歴史の第南米安田の前身は、日系移民の方々の支援のために設立された南米銀行、安田火災(当時)、富士銀行(当時)、日系移民の有力者の出資で設立した南米保険株式会社(以下南米保険)でした。また、富士銀行は、この南米銀行の出資者でもありました。

 第2次世界大戦後、急速な工業化の進展と外国資本の積極的な導入政策がすすめられ、外国企業の進出が盛んだったブラジルで、日本企業進出の口火を切ったのが、1954年の富士銀行の南米銀行への出資だったといわれています。

 この富士銀行が、南米銀行の保険分野進出の動きを察知し、親密関係にあった安田火災を南米銀行に紹介したことが、安田火災がブラジルに進出するきっかけの一つでもありました。 

南米安田の前身である南米保険は、日系唯一の損害保険会社として、1959年5月20日サンパウロで営業を開始しました。発足当時の社員はわずか9人で、取扱保険商品は火災保険のみでした。その後、自動車保険や運送保険などの保険営業認可を取得し、業務拡大へ邁進する日々が続いたとの記録が残っています。

 南米保険の営業開始に先立つ1959年1月、ブラジルの将来性を確信していた安田火災は、ブラジル支店開設と元受保険業務開始の認可を取得しました。外国保険会社新設停止措置をブラジル政府が開始する5か月前という絶妙なタイミングでした。

 その後、南米保険とブラジル安田火災とは、人材交流等を行い、「南米保険グループ」としてともに営業をしていました。

 1970年初めには、保険会社の数は約200社に膨れ上がった結果、過当競争に陥り、マーケッでは保険会社の弱体化が懸念され始めました。そのため、政府は保険会社の吸収合併を奨励する大統領令を発令し、南米保険グループは南米保険とブラジル安田火災の合併を決定、1973年に南米安田が誕生しました。

 激しいインフレが続いた1970年後半、保険業界は他業界と比較しても、高い成長率を記録しました。一方、自動車保険は収支が悪化し、インフレによる事業費率の増大により保険会社の収益率は低下していきました。南米安田は、業容拡大に合わせて事務効率化を目指し、保険証券発行システムを導入、1977年6月にはシステムで作成された第1号保険証券が発行されました。

 南米安田の歴史を紐解くと、様々な出来事がありましたが、本社ビルの完成は大きな転換期でした。本社ビルは、建設計画から実行にいたるまで長い年月がかかりました。「夢への実現」が本社ビル建設の最終決断を後押ししたと、当時の経営陣は語っています。

本社ビル建設予定地だったパライゾ地区は、サンパウロの目抜き通りのパウリスタ大通りから近く、多くのお客様にとって大変便利な場所でした。1992年ついに「夢への実現」にむけた工事がその場所で開始され、その2年後の1994年11月本社ビルが完成しました。南米安田に30年以上勤務する現役員は、本社ビルが完成した時の感動は今でも鮮明な記憶として残っていると話しています。

南米安田保険本社ビル(サンパウロ市)