執筆者:桜井 悌司 氏
(日本ブラジル中央協会常務理事)

米国の金利上昇により、アルゼンチンのペソやブラジルのレアルの為替レートが悪くなっている。駐在員にとって為替問題は、ビジネスでも私生活でも最重要事項の1つである。駐在員によって、現地通貨で給与を受け取る場合もあるし、ドルやユーロや円で受け取り、現地通貨に交換する場合もある。いずれにせよ、現地通貨の下落や上昇は、即、駐在生活に影響する。為替で得をする人もいれば、損をする人もいる。為替レートは、世界の経済情勢やその国の経済情勢によって変動するので、すべて「運」任せと言えるが、個人としてもいかに対処するかによって損得が生じることになる。

サンパウロのショッピングセンター

具体的に筆者の例を挙げて具体的に説明しよう。最初のメキシコ駐在時にペソの大幅切り下げに直面した。1976年に突然ペソが、切り下げられ、1ドル=12.5ペソで固定されていたのが、1ドル=20.50ペソになった。長年、固定相場に慣れていたため、メキシコ人もどうしていいのかわからない状況であった。切り下げ直後は、ショッピングセンターに出かけても、価格は、切り下げ前と同じ水準であった。内心、メキシコ人には申し訳ないと思いつつも、ドル保有者にとっては、絶好のチャンスであったため、私たち夫婦も毎週末、喜々として買い物に出かけ、ハンドバッグや靴等を購入した。バザーや市場でも同じで、サラぺ等の民芸品や小さいお土産用の銀のスプーンやフォーク等を大量に購入した。メキシコでは、新婚でもこれあり、背伸びして良い住宅に住もうと考えた。その結果、住宅手当限度額を160ドル(当時のレートで56,000円)をオーバーするアパートに住んでいたが、ペソ切り下げのおかげで、幸運にも限度内に収まった。それにしても、人間は、急激な変化があると即時にうまく対応できないことをペソ切り下げで実感した。

 

その後、チリのサンテイアゴに1984年12月から1989年6月まで滞在した。チリ経済は安定成長を遂げていたが、それでも、ドルとチリ・ペソの間には、平行レート(闇ドル)が存在し、ドルキャッシュをペソと換金すると、確か10%くらいのプラスとなったことを思い出す。当時、チリとアルゼンチンとブラジルは、どこかの国の経済がおかしくなると、比較的経済良好な国から観光客が殺到するという関係にあった。チリからブラジルに出張する機会が、年に1~2回あったが、当時ブラジル経済は不調で、平行レートが存在していた。ドルキャッシュを持参すると、平行レートで相当有利に換金できた。その結果、当時、サンパウロの5つ星のシーザーズ・パーク・ホテルでも50ドル程度で宿泊できた。アルゼンチンの景気が悪かった時には、サンテイアゴからブエノスアイレスに出張や家族旅行をしたが、有名なフロリダ通りのレストランで、アルゼンチン牛肉のビフェ・チョリソも5ドルで食べられたことを思い出す。

 

ここまでは恵まれていたが、2003年12月から2006年3月まで、サンパウロに駐在した時代は、そうは行かなかった。ブラジル駐在時代は、反対にレアル切り上げの時期であった。メキシコのように急激な為替変動ではなく、徐々にレアルが対円、対ドルで切りあがっていったのである。ジェトロの場合、出張費は、円で決められており、円からドルに、ドルからレアルに替えることになる。当時、1レアルは40円程度であったが、駐在後半時には、1レアル50円まで切り上がったのである。その結果、給与は減額になるし、出張費などは、毎回レアルでの受取額が減少するのを苦々しく感じたものであった。もう少し身近な例で説明すると、ランチの値段である。当時、ジェトロの事務所は、総領事館も入居しているパウリスタ通りのトップセンタービルにあった。このビルには、日本レストラン・食堂が3~4つあった。当時、昼食の定食は、20レアル強であった。値段にして800円程度である。日本人の昼食に費やす平均金額とほぼ同じである。そのうち、少しずつ値上げされ25レアルから30レアルになっていった。レアルも切り上げになり、1レアル=50円ともなると、1250円から1500円に上昇したのである。日本の定食の1.5倍から2倍の金額となる。奥様から小遣いをもらっている駐在員も生活防衛のため、ポルキロのレストランに行くようになる。やや世知辛いが、最もわかりやすい例であろう。メキシコ時代、チリ時代に良い思いをした報いかとも思ったものだ。

 

しかし、最後に逆転劇がおこったのである。赴任直後、プライベート・カーとしてホンダフィットを4万レアル(160万円)で購入した。ご承知の通り、ブラジルでは日本と違い、自動車は耐用年数によって大きく減価しない国である。ましてや日本の誇るホンダの製品であり、ブラジルでも人気車種であり、私も懇切丁寧に運転した車である。マル2年フルに利用し、売ろうとしたところ、購入時と同じ4万レアルというオファーであった。1レアルは、50円まで切りあがっていたため、結局、200万円で売れたのである。2年間、運転し、減価せず40万円が手に入ったことになる。仲介してくれた人に、10万円を支払っても30万円が手元に残った。しかしよく考えれば、これが反対の事態であれば、どうなるか?1レアル=50円のレートで、4万レアルで購入し、売る時には1レアル=40円になっていれば、同じ4万レアルでも、40万円の損失となる。自動車が減価していれば、さらに被害が増えることになる。80年代にアルゼンチンでは、為替の影響でペソが強くなりすぎて、三菱コルトが500万円くらいになったこともあった。大借金して購入しても、帰国時にはペソの下落で大損した人も少なくなかったということをよく聞かされた。為替の恐ろしさを感じたものであった。

結論的には、サンパウロ駐在時は、為替差損を被ったことになる。結果的には2勝1敗だった。

 

為替変動は常に運・不運があり、得をする人もいれば損をする人もいる。通常、現地通貨が切り下がれば、駐在員は得をし、切り上がれば、損をすると思われがちであるが、必ずしもそうではない。要は、支払いや売り買いのタイミング時に、為替がどうなっているかによって決まる。現地通貨高でも通貨安でも得をする場合もあれば、損をする場合もあるのだ。また中南米諸国にありがちなインフレ事情も絡んでくるとますます複雑になって来る。中南米等発展途上国の駐在員は、常に為替変動に晒されており、それによって、駐在生活が快適になったり、厳しくなったりする。エクサイティングでもあり、恐ろしいことでもある。