菅原直志(東京都議会議員)
私は20 才の一年間を、アマゾンの奥地、ポルト・ヴェーリョで過ごした。30 年前の話だ。
派遣元の日本ブラジル交流協会は、日本の若者をブラジルで修業させる団体として設立された。私の研修先は、地元の日系人会が運営する日本語学校。学校と言っても、寺子屋のようなモノ。校舎も、教科書も、月謝も決まっていない。最初の仕事は、画用紙とペンを買ったこと。何もない学校だが、日系人の熱い想いは並々ならぬものがあった。その思いに支えられた一年間だった。
アマゾン川の支流、マデイラ川右岸の港町にしてロンドニア州の州都。この川は砂金が採れる。この金を狙ってガリンペイロが集まる。ガリンペイロ達は、船上生活をしながら、24 時間体制で採掘をする。一度だけ連れて行ってもらった。
川底に大型ドリルを突っ込み、土砂を汲みあげる。金と水銀が吸着する性質を使って、金だけを手に入れるのだ。問題なのは水銀。彼らは、水銀をマデイラ川に捨てていた。下流の町に住む私たちは、川魚を食べることを禁じられていた。当然だ。(おかげで、中間研修で立ち寄ったサンパウロ・リベルダージの「和美」という店で食べた焼き魚定食が忘れられない。)
金の取れ高だけが価値基準の無法地帯。ブラジル全土から流れてきた無法者がたどり着く。町の中心部を歩くと、「ouro(金)」の看板が並ぶ。ざっと3軒に一軒は金の売買の店。当時のポルト・ヴェーリョは、「ガリンペイロ(金堀り)」が町を闊歩していた。辺境の街と言えた。
日伯の文化の違いだけでなく、ガリンペイロの持つ価値観の違いに戸惑う毎日。
そんな街で学んだ言葉がある。「しょうがないさ」という言葉。ポルト・ヴェーリョの人々は、よく使った。不思議にもこの言葉の持つニュアンスは、決して後ろ向きではない。「違いを受け入れて前を向く。」その転換点となるのが「しょうがないさ」という言葉。それを理解した時、私の研修生活も意味あるものに変わったように思う。
多様化する社会には摩擦が生まれる。違いを攻撃するのではなく、一致点を見出す生き方。ブラジルの持つたくましさの源泉を見た思いがした。その経験は、今でも、私を支えている。