執筆者:西岡 勝樹 氏
(日本旗章学協会会員)

 

はじめに

 ブラジルは2014年のサッカーワールドカップと2016年のオリンピック・パラリンピックを経験した。残念ながら開催国であり、サッカー王国を自他ともに認めるブラジルは、ワールドカップで優勝できなかった。また 開催自体が危ぶまれたオリンピック・パラリンピックは、事前の予想を大きく覆し、大いに盛り上がり成功裏に終わった。この二つの世界的なイベントにおいては、連日白熱した試合がブラジル全土で行われ、世界中のサッカーファンやオリンピック・パラリンピックのファンを魅了した。ブラジル国民はワールドカップ・オリンピック・パラリンピックの試合に夢中になり、一心不乱にブラジル国旗をはためかせた。その会期中、ブラジル国旗を見ない日はなかった。

何気なく眺めているそのブラジル国旗には多くの不思議がある。不思議な標語、カラフルな色使い、星座がちりばめられた天球。本当に不思議な国旗である。なぜこのような国旗が生まれたのだろうか。その国旗に見る不思議を紐解いていく。

 

図1:現在のブラジル国旗

出所:ブラジル大統領府(Palácio do Planalto)ホームページより。
http://www2.planalto.gov.br/acervo/simbolos-nacionais/bandeira/bandeira-nacional

 

ブラジル国旗 ~その歴史~

 ブラジルは1500年のその発見以後、ポルトガルの植民地であった。国旗としては当然ポルトガル本国の国旗が使われてきた。その歴史の過程で、ブラジルはポルトガル王室を迎え入れ、本国ポルトガルと連合王国を成し、その国旗を使った。しかし、それはあくまでも、本国ポルトガルの国旗であった。ブラジルがその独自の国旗を持つには、その独立を待つしかなかった。
1822年ブラジルは独立した。ポルトガル王室の分裂と言うかたちであり、その他のラテンアメリカ諸国のスペインからの独立とは違った。そのブラジル帝国の名を冠する国旗はやはり旧宗主国ポルトガル王国の影響を色濃く残すものであった。

 

図2の国旗は1870年から1889年11月15日までの帝政第二期の国旗である。ペドロ二世の治世下、20の県(州)を表す星が天球儀の周りに配されている。緑色の下地に黄色(黄金色)のひし形が特徴であり、現在の国旗に引き継がれているのが分かる。緑色はブラジル皇帝のポルトガル王家ブラガンサ家の伝統の色を表し、黄色は皇妃の家系であるハプスブルグ家の色を表すという。

図2:帝政第二期の国旗

図2 出所:Casa Imperial do Brasil ホームページより
http://www.monarquia.org.br/-/obrasilimperial/Bandeirashistoricas.html

 

1889年11月15日、ブラジルは共和制となった。無血革命と言われるが、それはあまりにもあっけないものであった。国旗もブラジル帝国国旗から共和制国旗が制定された。しかし、現在の国旗ではない。

共和制革命が起った1889年11月15日から19日までの、たった4日間だけの国旗が存在した(図3)。おそらく、現在のブラジル国民もその存在を知る人は少ないのではないだろうか。あまりにもアメリカ合衆国国旗に似ているので当時の共和制臨時政府大統領より拒否されたため4日間の短命に終わった。

図3:4日間だけの国旗

図3 出所:Portal Brasil Bandeira Nacional reflete a história brasileira ホームページより。
http://www.brasil.gov.br/governo/2014/11/bandeira-nacional-reflete-historia-brasileira

 

今日の国旗が出来るまで

  1889年11月19日、改めてブラジル国旗が制定された。今日の国旗である。但し、3回の改定が加えられ、現在の国旗になった(図1)。共和制革命当時の国旗の原型となったデザイン画というものが存在する(図4)。これはブラジル実証主義教会に保存されていたものであるが、数年前に何者かに盗まれたという。 現在、ブラジルでは、11月19日は国旗の日となっている。しかし、祝日ではないので、国民に認知されているか疑問は残る。

ブラジル国旗には、法令でその詳細が規定されている。数々の法令改定が行われているが、最初に現在の国旗の法令が発布されたのが、1889年11月19日発布の法令第4号であった。

図4:国旗の原型となったデザイン画

図4 出所:Portal Brasil Bandeira Nacional reflete a história brasileira ホームページより。
http://www.brasil.gov.br/governo/2014/11/bandeira-nacional-reflete-historia-brasileira

 

この法令は、国旗、国章、国印を国家シンボルと規定したものである。その第一条には国旗の詳細な規定がある。その第一条(Art 1)の和訳を下記に示す。

[第一条]
共和国によって採択された国旗には伝統に基づいた国の色、すなわち、緑と黄の配色が施される。国旗は緑色の下地に黄色のひし形、その中に青色の天球を象り、その天球の真ん中を白い帯が左上から右下に斜めに帯びている。その帯には、「秩序と進歩」の文字が記されている。21個(制定当時)の星が点描され、その星は南十字座が天文学上の状態をそのままにして、その位置関係、星の大きさも同じ状態の星座を20の州と1つの中立都市(現在の連邦特別区)として表している。(筆者訳)

その後、1942年9月4日発布法律法令第4,545号にて国旗のサイズ、縦横の比率、星の大きさなど規定された。また、1968年5月28日発布法令第5,443号、続いて、1971年9月1日発布法令第5,700号で大幅に改定され、さらに、1992年5月11日法令第8,421号にて現在の国旗の形に整えられた。そして、この法令で面白いのは、その第三条、第1項の条文にある。

[第一項]
国旗の中に映されている星座は18891115日、12恒星時、つまり太陽時の午前830分のリオデジャネイロ市の天空に位置する星座を表している。その星の位置は天体の外側からの視点によるものとする。
図5は、1992年の法令第三条における添付1である。これが現在の公式の国旗の図案であり、これに基づいて、現在の国旗が制作される。

図5

図5 出所:1992年5月11日発布法令第8,421号添付1

 

国旗の不思議 ~その1 星座~

ブラジル国旗の不思議はまず、その国旗の中にちりばめられた星ではないだろうか。よく知られているのは、「この星は独立当時の首都リオデジャネイロの夜空を映している」と言われるものである。果たして、これは本当だろうか。ここでもう一度、法令を見て頂きたい。すわなち、独立時ではなく、共和制革命が起った1889年11月15日とある。問題は時間であるが、法令には1889年11月15日の8時30分となっている。しかしながら、12恒星時とある。この恒星時が問題なのだ。この12恒星時とは、ちょうど、リオデジャネイロにおいて国旗の中心に描かれている南十字座(南十字星と言われる)が空の真ん中、一番高い位置に来る(南中すると言う)時間のことである。その星座の南中する時間が12恒星時となり、その時間は我々の生活する時間(太陽時と言う)に置き換えると8時30分になると言う。星が見えているということから、夜空を思い浮かべるが、実際には朝の時間帯と言うわけである。

さらに、もうひとつの不思議はリオデジャネイロの空を見上げた星ではないことである。

法令にも次のような記述が見える。『その星の位置は天体の外側からの視点によるものとする。』 普通に考えられるのはリオデジャネイロ市の地上から空を見上げたその星を思い浮かべる。しかし、この星の位置は天球(地球の外に想定される星、星座の座標を示す天球のこと)を外から眺めたものとなる(図6)。図6はその概念を表したものである。地球の外側に天球がある。その天球は星、星座の位置を示す。その天球を外側から見ているということである。つまり地上から見る星、星座の位置とは左右逆になるという不思議な状況になる。

図6:天球の概念図

星の不思議はさらに続く。1992年5月11日発布法令第8,421号には添付2(図7)がある。この添付2には、国旗の中の星についての詳細な説明が付けられている。つまり、天文学上の星と星座の名前、星の等級が記されている。さらに、添付2には付属書1(図8)がある。この添付2と付属書1によって、国旗にちりばめられた27個の星の姿を読み解ける。

 

図7

図7 出所:1992年5月11日発布法令第8,421号添付

図8

図8 出所:1992年5月11日発布法令第8,421号添付2付属書1

 

図8をよく見ると、星の一つひとつがブラジルの26の州とひとつの連邦区を表しているのが分かる。つまり、国旗にちりばめられた星の一つひとつがブラジルの各州と現在の首都であるブラジリアを表している。そして、この27の星は9つの星座として国旗の中を彩っている。

9つの星座はおとめ座、こいぬ座、おおいぬ座、うみへび座、りゅうこつ座、南十字座、はちぶんぎ座、みなみのさんかく座、さそり座である。図9に9つの星座の位置を示した。ひとつ一つの星座にぞれぞれの不思議があるのだが、文字数の制限もあり、いずれの機会に紹介したい。

図9

図9 出所:1992年5月11日発布法令第8,421号添付2の図に基づき筆者作成

 

「つづく」