秋元壮介
(KIKKOMAN ブラジル代表)
KIKKOMAN の世界展開とブラジル
「しょうゆ」には世界に通用するおいしさがある―。という確信のもと、KIKKOMAN は海外における展開を進めてきた。KIKKOMAN しょうゆは現在、世界100 カ国以上で愛用され、日本に3カ所、海外に7 カ所の生産拠点をもつに至っている。1950 年代の本格的なアメリカ進出に始まった当社の国際化は、70 年代にはヨーロッパ、80 年代にはアジアと、現在に至るまで展開地域を拡大してきた。当初に進出したアメリカでは、今や多くの家庭にしょうゆが常備され、「KIKKOMAN」は“Soy Sauce”の代名詞となっている。一方、ブラジルにおいては、最大都市ンパウロにマーケティング機能としての事業所を持ち、現在、輸入代理店を通じて、世界各国の工場で製造された商品を輸入・販売している。
ブラジルでのKIKKOMAN の歴史
当社の南米大国「ブラジル」への思い入れは強く、既に30 年を超える歴史がある。1970 年代後半より市場調査を開始し、80 年には現地マーケティング会社を設立した。80年代から1990 年代には、一部現地でモノづくりを行った時期もある。2000 年初頭に「日本食ブーム」の波が到来し、現地日系しょうゆメーカーが大きく拡大・発展する中、当社は「世界各国にある工場からバリエーション豊かな商品を輸入できる」という強みを生かし、輸入品を通じた販売を強化してきた。今では「しょうゆ」に限らず、「つゆ」や「たれ」、「テリヤキソース」「ぽんず」といったしょうゆ周辺調味料、「オイスターソース」「オレンジソース」などの中華系調味料まで、バリエーション豊かに商品を拡充してきて おり、大変好評をいただいている。
ブラジルで「KIKKOMAN しょうゆ」を普及するということ
世界最大規模の日系社会を有するブラジルにおいては、多くの日系移民の方々の故郷の味への“想い”から「Shoyu」という言葉への馴染み・理解は大変深い。ブラジルにおけるしょうゆ醸造業は1900 年代前半に既に始まっており、その後も連綿と続き、現在でも日系しょうゆメーカーが多く存在する。日系しょうゆは、本醸造濃口しょうゆの主要原料である「大豆」「小麦」のうちの「小麦」が、ブラジルにおいては入手困難であったことから、その代用として「トウモロコシ」が使われている。一般的に味は甘めで、日本のしょうゆよりも色が黒い。日本産のしょうゆが輸入・紹介される以前に、この日系しょうゆが長らく「ブラジルShoyu」として広がり定着してきた。このため、「澄んだ鮮やかな色」をその特徴とする当社の製品とは、“色”という点で大きな違いがある。
こういった「特徴」としての違いに加え、価格面でも大きな差がある。為替の変動、輸入・通関コスト、さらには複雑なブラジル税制等が影響し、店頭価格が著しく高い現状が続いている。店頭におけるブラジル国内産しょうゆとの価格差は実に約3~4倍となっており、同じ“Shoyu”というカテゴリーで並んだ場合、当社品を手にとっていただくことの難しさの要因の一つとなっていることは否めない。
新たな挑戦
こうした中、「現地の嗜好に合った商品づくり」を目指し、現地において商品開発をするという、新たな試みにも挑戦している。ブラジルの方々の嗜好やライフスタイルに合わせ、従来の商品では提供できない味わいや価値をもつ商品の開発を進めている。今後も、輸入品を引き続きご提供しながら、新たなる顧客層を獲得すべく、現地開発商品の拡売も行っていく予定だ。
おいしい記憶をつくりたい。
KIKKOMAN は、「素材を選ばず独特の香りやうまみを与え、さまざまな料理になじむ」という当社しょうゆの特徴を活かして、現地の食文化との融合を図りながら世界にしょうゆを普及させてきた。これからも、現地の暮らしや食文化に寄り添いながら、しょうゆの持つ様々な魅力や可能性をお伝えしていきたい。今後も、日本を始めとした様々な輸入品をご提供しながら、新しい美味しさとの出会いを創造していくことに挑戦するとともに、ブラジルの地においても、モノづくりも進めていく。ブラジルをおいしい笑顔で満たすため、新たな挑戦を続けていく。