2019年10月
執筆者:岩尾 陽 氏
日本ブラジル中央協会理事

「少年オーケストラ結成10周年記念コンサート」

レシーフェ市のスラム街から誕生した少年少女オーケストラは、2016年に目出度く10周年を迎え、その記念コンサートが9月2日午後7時半からレシーフェ市内にあるテアトロ・ルイス・メンドンサ劇場で開催されました。 バチカンでの共演以来、オーケストラにとって掛替えのないバイオリニストとなっていた久保陽子さんが、再びソリストとして招待され、私と茶木さんもコンサートに参列致しました。

当日は600名程の会場が満席の盛況で、レシーフェにおける少年オーケストラの存在の大きさや人気の高さが、聴衆の熱気から感じられた素晴らしいコンサートでした。地元ですからフルメンバーが参加し、写真の様にチェロ奏者だけでも11名、コントラバス9名と賑やかなオーケストラメンバーでした。団員達のご家族や関係者にとっても感慨深いコンサートの夜だったと思います。

 

そのコンサートで初めて地元の有力者であり、オーケストラの強力な支援者であるリカルド・ブレナン氏に会う事が出来ました。コンサート当日は土曜日でしたが、友人のジョアンから、「ブレナンさんから、明日の日曜日、彼が自宅に作った教会でチョットした朝のコンサートをして欲しいという希望があったので、明日は朝から一緒にブレナンさんの教会コンサートに行きます。」と話がありました。

日曜の朝に、数名のご家族の方に演奏をして差し上げるという、ホントに軽い感じでしたから、ソリストの久保さんも私もチョット行って、数曲をサラッと演奏したらミッションコンプリートだとその時は感じたのです。

 

「リカルド・ブレナンさんの自宅敷地内にある教会でのコンサート」

 

翌日、9月3日。レシーフェ市中心からそれ程遠くない植物園近くにあるブレナン宅を訪問。教会を見て我々はその規模に仰天しました。家族メンバー数名が聴くファミリーコンサートのようなものを想像していましたが、実際の教会は写真のとおりの凄さで、200名が着座してミサができるという大変なものでした。

日曜日の午前中でしたが、教会内は満席の賑わいです。この方たちは毎日曜日のミサに訪れる熱心なカトリック信者さん、あるいはブレナンさんの家族とその友人なのでしょうか。普段は神父さんのお話を聴く場所で、間近にオーケストラを聴けるのは参列した方々にとっても最高のプレゼントになったと思います。自身も熱心なカトリックの家で育った久保陽子さんの演奏もバチカンの時と同様に敬虔な祈りと同時に内なるパワーが現出した素晴らしいコンサートでした。リカルドさんはアスファルト事業で財を成し、540万坪(1800ヘクタール、日本の常識では広すぎて、数字を間違っているように感じます。)の緑に囲まれた巨大な敷地内に前述の教会の他、美術館、図書館、レストランなどがあります。日本から目隠しされてこの場所に連れてこられ、そこで目隠しを外されて、「さあ貴方は今、フィレンツェに(或いはローマに)到着しましたよ!」と言われたら信じてしまいそうなくらい、ブラジルの北東部に、こんなヨーロッパみたいな凄い場所があるという事が信じられないくらいです。

そこで見る建物はどれもロマネスク様式やゴシック様式の壮大な建築物であります。中でも美術館は個人の所有でありながら、世界20大美術館の一つとして数えられており、中世の甲冑や刀剣類のコレクションは世界一だと聞きました。また、レシーフェ市に対して強い愛着を持つブレナンさんは、レシーフェの歴史が始まった17世紀(当時はまだレシーフェという都市名はありませんでしたが)のブラジル北東部をオランダ人が統治していた、所謂Dutch Brazil時代の様子を描いたオランダの風景画家Frans Postの絵を沢山収集している事でも知られています。いずれにしても、リカルドさんのような郷土愛に満ちた資産家がオーケストラの支援者でいてくださる事に私たちは大いに感謝していますし、これからのオーケストラのさらなる夢の実現に協力頂ける事を喜んでいます。

 

「バイオリンと弓の製作訓練学校と工房建設に向けた夢の実現へ。」

 

レシーフェのなかでも大変に治安の悪い貧民街の少年達に、バイオリンを与え弦楽オーケストラを創立し、音楽を通して恵まれない子供たちの社会的救助を目指し人間教育を施す事と、団員である少年少女の将来の生活の糧となるバイオリンや弓製造技術の養成と言う理想を掲げて、私の友人でありペルナンブコ州の判事でもあるジョアン・タルジーノが発案者となってオーケストラの活動を開始して、すでに16年目になりました。お陰様でオーケストラは順調に成長し、当初は一カ所、60名程の団員で始まったのが、現在は4拠点となり300名を数えるほどになりました。 そして、その理想を実現するためにマエストロ・クッシー・アルメイダ音楽学校と名付けられたバイオリンと弓の製作学校と工房、そして音楽ホールの完成が近づいて来ました。

土地は軍隊の敷地の中の14,700平米を政府より寄付してもらいました。そこに

建築面積7735平米の上物を建てます。その資金はブラジル国内からの寄付や、イタリア司教会議など各方面からの寄付によって賄われます。寄付金には、ブラジルで企業経営に携わっていた方にはお馴染みの、ブラジルの芸術を促進する為に考案されたルアネ法(Lei Rouanet)により税制上の優遇策が適用されます。つまり、企業や市民はブラジル文化省が承認した文化プロジェクトに所得税の一部を適用して寄付が出来るようになっています。

建築のデザインはブラジルでも有数の専門家たちが手掛け、音響関係もブラジルの演劇や音楽ホールのプロジェクトで長年の経験を持つチームが協力し、環境に必要な遮音レベルを達成する為に特別な構造が研究されてノイズの影響が最小限に抑えられるそうです

 

「そのために、私たちが日本から出来る事は?」

 

私達もこのプロジェクトに、日本からどのような形で関わって貢献できるのかを考えています。ですが、上物建築などのハードウエアに関わるサポートを地球の反対側からする事はとても難しいのです。私達としてはそれ以外のソフトウエア的なサポートに焦点を当てたいと思っています。そして、このサポートに関しては、単に社会貢献的な事や、ボランティア的な活動という事以外にも私たちの本音として、そもそも子供達に将来の生活の糧を稼ぐ方法を伝授するという経済的な側面がとても大きいのです。それは当然ですが、楽器製作と販売を生業とする文京楽器としての気持ちでもあります。オーケストラへのサポオートを始めた頃から、何時かはバイオリン弓の世界最高の材料が採れるペルナンブコ州のブラジル木を使った弓を州都のレシーフェで製作し、それを世界に輸出したいというのが文京楽器や私の願いでした。例えば、ボルドーで採れるブドウで作ったワインや、美味しいお米の採れる新潟の日本酒が本場物として尊重されるように、もしペルナンブコ材を使った弓をペルナンブコ州レシーフェで作ったら、それも正しく本場物だからです。シャンパーニュ地方で出来たシャンパンしか「シャンパン」と呼べない故に、本物のシャンパンは美味しく、かつ高い値段を付けても世界中で売れている訳です。 ですから我々はいつの日か、友人のジョアンを通して、ペルナンブコ州知事と会い、レシーフェで作る弓に「Made in Recife, Pernanbuco」の認証シールを貰いたいと思っています。すべての弓に州政府認定の「ペルナンブコ州レシーフェ製」のシールが貼られて、それをブラジル国内のみならず、ヨーロッパ、アメリカ、アジア、そして日本に輸出する事が出来たらどんなに素晴らしいでしょうか。そして、それを作っている元オーケストラメンバーの職人たちが贅沢は出来なくても、ある程度は経済的にも恵まれた生活が送る事ができたとしたら、私達にもそれ以上の幸せはありません。しかも、それは単なる綺麗ごとだけではなく、日本にとっても実益の伴うお話なのですから。

 

このエッセイの最初の頃に、フランス製のバイオリン弓(フレンチボウ)に就いて少し触れました。そこで触れたとおり、現在はバイオリン弓と言えばフランスが世界一との定評です。しかし、今から何年或いは何十年掛るかは判りませんが、いつの日か「バイオリンの弓と言えばブラジルのペルナンブコ製が世界一」と言われる日が来ることを心から願っています。

 

私たちはその実現の為に、日本でもできる事を以下の通り具体的に検討しています。

1-まずはオーケストラと今後の発展について包括的なパートナーシップの契約を結ぶ事。

2-文京楽器が下取りをしたバイオリンや弓をオーケストラに無償で贈呈する事。

3-初期の段階では、文京楽器のスペックに基づいた弓の半完成品を日本に輸出する事。

4-近い内にオーケストラ団員を少数ですが日本に一年間、弓作りの実習に招く事。

そして、将来は彼らが帰国し、ブラジルの弓製作工房でリーダーとなり技術の伝承を担い、最終的にはブラジルから世界に完成品の弓輸出が出来るようにする事。

 

このプランを今月中に纏めたいと思っています。

但し、上記3に関しては、ブラジルの法律で半製品の弓輸出が禁じられているようなので、何らかの代替案を考える必要がありそうです。レシーフェで製作学校、工房が完成し、こうした懸案が解決した時、やっと私達の夢が叶ったと喜びたいと思います。

 

「夢のまた夢」

 

ご存知の通り楽器演奏家の世界には、ピアノならば「ショパン国際ピアノコンクール」や、10年前に辻井伸行が優勝し話題になった「ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールがあります。同じ様にバイオリンの世界でも「ハノーファー国際バイオリンコンクール」や、久保陽子さんが若い時に入賞した「パガニーニ国際コンクール」などがあります。演奏者のコンクールの他にも、バイオリンや弓などの楽器製作者のコンクールが存在します。

 

私たちの「夢のまた夢」は、せっかくレシーフェが世界で最良のバイオリン弓材料の産地なのですから、そこで「弓製作コンクール」を開催する事です。世界の弓職人が一堂に会して、弓材料のメッカであるレシーフェで弓製作のコンペティションをやる事には、ペルナンブコ材の更なる認知において大きな意味が有ると思います。同時に、バイオリンの演奏コンクールも開催し、レシーフェを南米の一大音楽都市にしたいという、私達にとっては結構大それた夢です。

 

私の少年時代、イタリアのサンレモと言う町で、カンツォーネのフェスティバルがあり、そこで優勝した歌手が歌った曲は世界的に大ヒットしたものです。今でもそのフェスティバルは続いていると思いますが、若いかった当時の私の記憶にサンレモと言う町の名前は強烈に残りました。ついでに、優勝したジリオラ・チンクエッティという若い女性が歌った「non ho leta (夢見る想い)」という曲も未だに忘れていません。だから音楽祭は地域創生の意味でもとても大事だと思います。

 

クラシック音楽ではザルツブルグやウイーンの街が有名ですし、ジャズならモントルーやニューポートが有名ですよね。で、もしレシーフェでバイオリン演奏コンクールや弓製作コンペティションなどが定期的に開催されたら、直ぐにとは言いませんが時と共にレシーフェが南半球の街としてはあまり聞かない音楽フェスティバルやコンクールの街として広く世界に知られる事になるかもしれません。名前は忘れましたが(確かフランスのリヨンだったか?)、ある街で開かれる音楽コンクールでは、参加者達に宿泊は,その街周辺のホテルを義務付けたり、なるべく周辺のレストランなどの施設を利用することを一種の義務として課しているのだと堀さんから聞いたことがあります。それにより、地域の文化や観光の活性化による町興しにつながっているのだとか。だとすれば、ヨーロッパから一番近い絶好の地理的位置にあるレシーフェで音楽祭を開いたら、もともと美しい海岸線や世界遺産のオリンダの街などの観光資源もヨーロッパやアメリカから集まる参加者によって、もっと活用されることになり、レシーフェ周辺、ひいてはペルナンブコ州の観光の活性化にも繋がる素敵なアイデアになりそうな気がしています。

最初の夢はバイオリン学校ですから、まずはそれを確実に実現し、それからもし余裕が出来たら是非とも、「夢のまた夢」の実現にも協力したいなあと思いつつ、このエッセイを閉じたいと思います。読んで頂いた皆様には心より厚く御礼申し上げます。Muito obrigado!