会報『ブラジル特報』 2011年1月号掲載

                         水上 正史(外務省中南米局長)


 新年にあたり,皆様の益々のご健勝をお祈り申し上げます。

 近年のブラジルのめざましい発展ぶりは,誰もが注目するところであり,好調な新興国の代表格として国際政治の面でも非常に重要な存在となっています。
大きな関心を集めるブラジルをこれまで8年間支えてきたルーラ政権も任期を終え,本年からその後継者ルセーフ大統領を新たな指導者に迎えました。ブラジル史上初の女性大統領であるなど,様々な面で注目されていますが,前政権でも政策を統括する要職・文官長を務めた優秀な人材が舵取りを引き継いだことは大いに歓迎され,基本的に現在の安定した基盤をもとに,堅実な政策運営を続けていくことが期待されます。
 また,我が国との関係では,長年の友好関係に立脚した頼もしいパートナーであると同時に,様々な場面で国際社会のキーパーソンともなることが期待されます。以下,内外に大きな成功をもたらしたルーラ政権下のブラジルを振り返りながら,今後の我が国との関係などについて簡潔に展望してみたいと思います。

1 ルーラ政権下の政治・経済
<苦難を乗り越え,良質の遺産を構築>
 1969〜80年に年平均8%の高度成長を遂げたブラジルは,石油危機以降の債務危機や高インフレの時代を乗り越えるのに多くの年月を要しました。カルドーゾ政権で安定化に踏み出しながら,90年代後半の通貨危機等の試練を受け中で,多くの波乱要因を抱えていました。
 国民の圧倒的支持を受け発足したルーラ政権も,過去の過激な発言に対する内外の警戒感の中,困難な船出となりましたが,堅実な政策を維持。低所得者層向け社会政策なども加味し,徐々に国民経済の足下を固め,中間層増大など,今日の底堅いブラジルの基礎体力を築いていきました。
 カルドーゾ政権からルーラ政権に引き継がれた多くの堅実路線の中でも特に,㈰為替自由化,㈪インフレ・ターゲット,㈫健全財政運営の3つが大きな柱となったと思われます。99年初の固定相場制放棄後のレアルの下落は,貿易赤字の大幅削減につながりつつも,インフレリスクを高める要素がある中,インフレ・ターゲットに基づいた政策金利誘導,財政責任法によるプライマリー黒字がその後も10年間死守され,国際的信任を高めていきました。
 政権前半,財政健全化を第一に高金利等を維持したこともあって,経済成長は比較的低調となったものの,その後,一次産品の好況にも支えられ,後半大きく成長軌道に入りました。リーマンショックによる打撃も,輸出依存度の低さなどから,極めて短期間で克服し,内需主導による堅実な成長をみせています。


                     <図:近年成長率と内外要因の内訳>

 その上で,ルーラ政権は,貧困世帯への補助金給付制度(ボルサ・ファミリア)を発足直後に導入し,その後3回給付基準を引き下げるなど,きめ細かい調整も進めました。物価安定と並行して,下位層の所得水準を徐々に引き上げ,今日のブラジルを象徴する底堅い国内消費の基礎をなしたことは大きな成果です。また,政治面でも,対立勢力との協力にも尽力し,何度か訪れた政権の危機も克服したことが広く評価されています。
 終盤も8割前後の支持率を維持したルーラ大統領の強力なイメージは,他国にも比べる例がなかなかなく,分析することは簡単ではありませんが,ルセーフ新政権がルーラ大統領から優良な資産をたくさん引き継いだことは確かでしょう。

<今後の課題>
 強力な支持基盤を受け継いだルセーフ政権ですが,まだまだ課題も少なくありません。一例をあげるだけでも,近年ほぼ完全に克服したとされるインフレは,年率4.5%の目標に対し,6%台に近づいている現状です。利上げでインフレ抑制を図っても,更なる内外金利差を生み,大幅量的緩和を受けた世界の資金の流入圧力を高め,通貨レアルはますます上昇してしまいます。金融取引税などでブレーキをかけていますが,海外の資金は,成長の足かせになりかねないインフラへの投資の原資として歓迎されるものだけに,一筋縄ではいかない難しさがあります。

 新政権で続投となったマンテガ財務大臣が,昨年11月のG20首脳会合を控え,国際不均衡を各国の人為的誘導による「通貨安戦争」と命名し,大きな反響を呼びました。ブラジルは,円高に苦しむ日本と似た立場にあり,人民元安には他の多くの国と一致した警戒感を示していますが,国内経済再興のため大規模な量的緩和を続ける米国のドル安等の動きには批判的であるなど,複雑な関係にあり,国際経済も視野に入れたとき,他国と同様,当面容易に解決できない厳しさに直面しています。

 その他,長年の構造的課題として,企業運営に厳しいといわれる労働法制や,税制などの問題が指摘されます。特に税については,重負担や制度の複雑さのほか,先進国と標準が異なる移転価格制度など,日本のビジネス界だけでなく,ブラジル経済自身の発展の観点から,内外で改革要望が聞かれるテーマです。好材料の中間層拡大の裏には,こうした新しい層への教育をどれだけ拡充していけるかという課題も隠れています。

 様々な経済活動のルールについても,世界と同じ土俵でプレーすることが求められています。知的財産保護など,改善を望む声が多く聞かれる領域がありますが,有能な人材の起用を早期に内定した経済閣僚を中心に,今後の取組に期待したいところです。

2 ブラジルの外交
 ブラジル外務省の屋台骨を支えてきたパトリオッタ次官が,新政権の外相に抜擢されました。超エリート集団たるブラジル外務省の中でも生粋の人物で,すばらしい人選です。昨年も,我が国要人との会談で,非常に協力的な姿勢を示してくれた人物です。
 大統領の外交ブレーンとして活躍してきたガルシア大統領特別補佐官は,続投となりました。これまでも多くの首脳会談に同席してきた方ですが,新政権では,外交問題以外についても助言を行う,より広い任務を与えられたようです。
 このような中,在京大使にも,G20などの重要国際会議でルーラ大統領を直接補佐してきたガルヴァン財務省国際問題担当次官が着任されることになりました。実務レベルでも,我が国との協力的な関係構築が期待されます。 ベネズエラやイランとの関係で独自の路線をとってきたルーラ政権の方針など,注意を要する点もありますが,こうした人材配置にもみられるように,今後のブラジルの姿勢に大きな変更は見込まれず,安定した二国間関係を基礎に,幅広く日本・ブラジル間協力を進めていけるものと考えます。

3 我が国との一層の関係強化に向けて
 2008年の日本人ブラジル移住100周年・日本ブラジル交流年の際,日本での式典にブラジルを代表して訪日したのは,当時文官長としてルーラ大統領を支えていたルセーフ現大統領です。この重要な節目を経て,日本・ブラジル間では,貿易・投資両面で近年活況がみられ,伝統的な資源などの分野に限らず,農業・食料,インフラ・情報通信,エネルギー,環境問題対応など,新たな領域でビジネスが拡大しようとしています。
 昨年9月の国連総会の場で,就任さればかりの前原外務大臣がアモリン外相と会談された際も,アモリン外相からは,日本・ブラジル関係は極めて良い状況にあり,短い会談で言い尽くせないほど多岐にわたる課題に共に取り組んでいるとして,満足の意が表明されました。
ブラジルの新たな指導者層が,我が国を一層良く知り,理解を深めていただくとともに,両国の戦略的関係を一層推し進めるべく,要人をはじめ様々な分野での日本・ブラジル間の交流の後押しに努力していきたい所存です。各方面からもお力添えを頂戴できれば,幸甚です。