会報『ブラジル特報』 2011年月号掲載
文化評論

                           岸和田 仁(協会理事)


 筆者の本棚の片隅に『輝号』(紀元2611年2月号)という黄ばんだ古雑誌が収まっている。リベルダージ街に日本語古本屋が3、4軒あった頃(1980年)、たまたま見つけて購入した「勝ち組」雑誌であるが、1951年の紀元節特集号だ。その見開きに掲げられている四首の短歌の一つは「国汚す奴あらば 太刀抜いて邪を滅ぼして 正義の剣」。

 作者は牢獄にいる特攻隊事件関係者の某氏、となっている。また裏表紙の日本酒の広告には「酒は金水 精神は櫻 酒に酔ふても時局にや迷はぬ」と、なかなかのキャッチコピーが載っている。

 1950年前後のブラジル日系社会は8割以上が「勝ち組」だったから、こうした雑誌や新聞が相当数発行されていたのだが、これまでの移民史、『ブラジル日本人移民70年史』にも『ブラジル日本人移民八十年史』にもほとんど記録されていない。それは、日系知識層を構成した認識派=「負け組」の史観による歴史叙述であったからだ、といわざるをえない。

 現在の視点からみれば、「勝ち組」は独善的な時代錯誤認識に囚われていたとはいえ、彼らなりの言論活動があった、という歴史的事実は否定できるものではない。その歴史が冷静に記録されるには、それなりの時間が必要だったかもしれないが、ともあれ、今回の『移民百年史』においてはじめて、『ブラジル時報』、『昭和新聞』、『ブラジル中外新聞』などの「勝ち組」新聞について、中立的な叙述がなされたのは、実に画期的なことである。これはひとえに深沢正雪(ニッケイ新聞編集長)という優れたバランス感覚を持つ書き手のおかげといってもよい、と筆者は考えている。

 自分自身の体験をふまえて、日系ブラジル人の日本デカセギ事情を見事に抉り出した『パラレル・ワールド』(潮出版、1999年)で潮ノンフィクション賞を受賞した深沢氏は、邦字紙ジャーナリストとして日系社会に日常的に向き合った経験を理論的に整理した論文『ブラジル移民と遠隔地ナショナリズム』(「現代の理論」2008年新春号)を発表している。政治学者ベネディクト・アンダーソンが唱える「遠隔地ナショナリズム」とは、グローバル化により世界各地に移動・拡散した民族集団が出身国の民族運動に共鳴・支援し、本国人以上に強いナショナリズム的傾向を示す現象を指すが、この概念をブラジル日系社会に援用し、日系アイデンティティーを鋭く読み込んだのが深沢論文であった。その論客がブラジルにおける日系メディアの歴史を叙述したので、それまで”こぼれ落ちていた”史実もすくい取られることになった次第だ。

 この章は、それだけで一冊の本になりうるものだが、その結語「多様な日系メディアが揃っている現在の状態は芳醇なエスニック史そのものだといえる」の意味するところは深い。

 2007年9月に設立された「日本語版ブラジル日本移民百年史編纂・刊行委員会」が執筆・編集中の『ブラジル日本移民百年史』(風響社)は、全5巻+別巻で構成されるが、その第一弾としてこの度発刊されたのが第三巻である。その章立ては、第一章 日系ブラジル文学史概要(細川周平)、第二章 日本メディア史(深沢正雪)、第三章 ブラジルにおける子弟教育(日本語教育)の歴史(森脇礼之・古杉征己・森幸一)、第四章 ブラジル日本移民の女性史(中田みちよ・高山儀子)、第五章 ブラジル日本移民・日系人の食生活と日系食文化の歴史(森幸一)、となっている。

 週末の二日間かけて、この638頁もの超労作を読了したが、いずれの章も力作であり、筆者としては深い感動なしには読み進めなかった。文学史は著者独自の視点と文体が魅力的だし、日本語教育史はサンパウロ州中心だが各地の日本語学校における教育実態が詳細に記録されていて、歴史物語となっている。女性史は日系初の女性弁護士、日系女医第一号から「勝ち組」の女性たち、戦後の花嫁移民、さらには軍政下の学生運動まで、語られている。食文化史も豊富なデータに裏付けられた社会史物語であり(例えば、ヤキソバ考、ラーメン考、だけでも実に面白い)、「ブラジルにおける日本食文化は日本のそれと同質でなく、ブラジル文明の一部だ」との結語が著者の視線を明確に示している。繰り返しとなるが、いずれの章(論文)も本当に力作であり、量的にも質的にも記念碑的である。