会報『ブラジル特報』 2012年5月号掲載

                                     平尾 隆志 (フジアルテ株式会社 代表取締役社長)



ブラジルの労働事情

 ブラジルの総人口は約1億9千万人で世界第5位の規模であり、15歳以上の労働人口は約1億人と推計されている。ブラジルの最低賃金は全国共通で全業種に適用されており、1994年にレアル通貨が導入された際には64.79 レアルだったが、物価上昇率よりもハイペースで上昇している。また2012年1月には最低賃金が昨年の545レアルか622レアルへ14%引き上げられた相乗効果もあって、勤労者の平均所得は過去最高の上昇で1699.70 レアルになっている。

 サンパウロ大都市圏内の勤労者の平均所得は、2012年2月に史上初めて1800レアルを突破、1813.10レアルに達した。一方、失業率は2000 年代前半には10% を超過することが常態化していたが年々低下傾向にあり、2010年以降は6%台と過去最低水準で推移し、現在は5.7%となっている。
 

進出日系企業の経営上の課題

 ブラジルに進出している日系企業が現在直面している経営上の問題点としてJETROが実施している「中南米日系進出企業の経営実態調査(2011年12月)」によれば、①労働コストの上昇②税制問題③為替変動④通関物流⑤原料コスト上昇⑥労務問題( 訴訟) の順で、ブラジルリスクとコストが大きな課題となっている。一番の問題点である労働コストについては、過去7年間で70%以上も上昇しており、企業の収益を圧迫している要因となっている。

 従業員を雇用する際、企業が負担する基本給与以外のコストとしては、社会保険負担金(退職者向け公的年金で労使方法が負担)として給与の26~29%、社会保障の勤続期間補償基金(退職積立金)として給与の8%を負担、13ヶ月目の給与(ボーナス)支給、そして諸手当として昼食時の食事券や交通や残業代は時給の5割増等が法律で定められている。通常企業が負担する労働者に関わるコストを全て合算すると、労働者に支払う給与額の1.75倍~2.4倍にもなる。


 ブラジルでは1988年の憲法制定時に労働者の権利保護を宣言しており、憲法で定められた労働者の社会的権利を統合労働法で詳細に定めている。この法律では労働者を経済的弱者とみなし、労働者を保護する保護主義的傾向が強いのが特徴である。企業の業績悪化や本人の能力不足による給与の引き下げを理由とすることでも認められていない。また賃金は毎年産業別労働組合が決めた上昇率を前年の賃金に適用して決定される。さらにブラジルでは統合労働法の認める解雇であっても、解雇の原因となった理由の当否を争って労働者が労働裁判所に訴えるケースが多くみられる。この場合、企業側には訴訟費用がかかるほか、敗訴のリスクも高いため慎重な対応をすることが必要となり、労働法に精通した企業側弁護士をつけておくことは必要不可欠である。そのような背景もあり、ブラジル社会では労働者が雇用主を訴える労働裁判は一般的なもので、進出企業の多くが労働訴訟問題を経験している。現在では全国で約300万件近い労働訴訟があり、ここ数年増え続け、労働裁判所では訴訟遅延が問題となっている。

ブラジル人の採用と就業意識
  ブラジルの好調な経済成長を背景として有能な人材の採用が難しくなっており、特にサンパウロやリオデジャネイロの都心部ではその傾向が顕著になっている。企業が従業員を採用募集するにあたっては、会社が直接募集し採用を行うケースと、民間の人材紹介会社に委託するケースがある。雇用に関しては平等で、性別、年齢、人種の差別は認められない。東南アジアの発展途上国のように安い労働力でブラジル人を雇用できるのではと思われがちだが、ブラジルは世界有数の格差社会で経営幹部クラスになると月給7,000~10,000レアル以上の待遇を用意する必要があり、その人材を見つけることすら難しくなっている。従業員がより高い給料や条件を求め離職率が高まっている一方で、自主退職前に各社が従業員と処遇について個別に交渉し従業員の定着に力を注いでいる。また近年学歴社会になってきており、学歴や出身大学によって職や給与や待遇に大きく差が出る傾向になってきた。ブラジルの教育事情は6歳から14歳までが義務教育、15歳から17歳までが中等教育(高校)でほぼ日本と同じ教育制度であるが、高校の進学率は84% 、大学の進学率は14% となっており、昼間に働きながら夜間学校に通っているケースが多く見受けられる。企業は採用条件を緩和し、大学修士課程の修了や外国語能力などの従来の要求条件を取り下げ、入社後企業に必要な技能を研修させる方法に切り替えている。現状は企業の買手市場でなく、労働者の売手市場になっており、2014年のサッカーワールドカップ大会、16年のオリンピックに向けて、企業は人材確保の対策に迫られている。
 ブラジル人の就労意識は日本より欧米に近く、年功序列で終身雇用を前提とせず、就職は次のステップへのキャリアアップと考えており、給料が高く有利な条件の職が見つかるとすぐに転職する。企業と労働者の関係は薄く、流動的な労働市場を形成していると考えられている。ブラジルにおいては労使ともに雇用に関する考え方がとてもドライであり、日本特有の帰属意識や愛社精神を求めるのは難しいといえる。このような状況下で、現地の優秀な従業員の定着が問題になっている。ローカルスタッフの定着を目指し、現地事情にあった人事制度やその運用そしてキャリアパスを示すことは必要となる。


2012年1月シンポジウム開催 グローバル人材フォーラム
『日本企業のブラジル進出と日系人の活用』

ブラジル人のマネジメントに有効な日系人の活用
 ブラジル人を採用して事業を成功させるためには、労働者保護の労働法の影響を最小化するとともに、ブラジル現地の人材をうまく管理していくことが重要となる。そこには日本人駐在員が抱える言葉の問題がある。ブラジルの公用語はポルトガル語で英語はまず通じない。また日本流の曖昧な表現で指示を出すことはコミュニケーション上の大きなトラブルを招く。そこで、人材マネジメントを円滑化するためには、現在ブラジルに約150万人いるといわれている日系人の活用が有効である。これまでブラジルに進出した多くの日系企業では経営幹部や中間管理層に日系人を登用し、彼らが日本的経営と現地従業員との橋渡しをしており、コミュニケーションの円滑化を図ってきた。

 特に日本語が話せてかつ日本企業の社風を理解できる優秀な人材はごく限られている。これからブラジルに進出する日本企業は、特に日本で就労経験のある日系人を採用・活用することで、日本企業の考え方や仕事の進め方を理解させることができる。ブラジル人から見れば現地人であるため、日本人駐在員とブラジル人との間の緩衝材の役割を果たすことができる。
 
 1990年に日本ではバブル景気の人手不足を解消するために入管法が改正され、日本からブラジルへ戦前戦後に移民した日系人が日本で就労することができるように規制緩和された。2008年のピーク時には約31万人の日系ブラジル人が日本に在住していたことから、日本企業での就労経験を積み、ブラジルに帰国した日系人を採用し活用することは有効な手段といえる。当社は総合人材サービス業として1990年以降20年以上にわたり、多くの優秀な日系ブラジル人を雇用・育成してきた。彼らは戦前戦後に移民した日本人の血を受け継いでおり、真面目で勤勉で向上心もあり、日本の大手製造業で高く評価されてきた2010年からそのノウハウとネットワークを活かし、ブラジルに現地法人を設立し進出支援サービス「ポロロッカ・プロジェクト」を推進している。“ポロロッカ”とはアマゾン川を遡る潮流のことで、夢を持ってブラジルから日本へ渡った日系人たちが、日本で学んだことを活かしてブラジルで活躍する姿をポロロッカの逆流のエネルギーに重ねて命名した。日本企業で就労経験がある日系人を日本国内で研修し、ブラジル現地法人にグローバル人材を紹介したり、ブラジル駐在経験のある日本人を現地法人の責任者として紹介している。またブラジル視察のアテンド、現地法人の事務所開設支援など様々なサービスも行っている。昨年よりブラジル進出を検討している企業向けに、日本の全国主要都市で日本ブラジル中央協会後援のグローバル人材フォーラム「日本企業のブラジル進出と日系人の活用」と題したシンポジウムを開催し有益な情報を提供している。この「ポロロッカ・プロジェクト」通じて、日本企業の国際競争力強化と日系人の自己実現、そして日本ブラジル交流の夢の架け橋として貢献していきたいと考えている。(2012年4月現在 1レアル=約44円)


写真:向かって左から、日経HR 和田昌親前社長、筆者、
サンパウロ大学教授 二宮正人弁護士、初代ホンダブラジル飯田 治元社長