会報『ブラジル特報』 2012年5月号掲載

                                     津村 公博 (浜松学院大学教授)
                                      中村 真夕 (映画監督)



1) はじめに
  背景


 1 9 9 0 年の出入国管理及び難民認定法の改正以降、多くの南米日系人が輸送用機器、電子機器などの製造業の集積地である地域を中心に労働者として従事してきた。単身で短期のデカセギから家族を呼び寄せて、デカセギが長期に及ぶと労働者のみならず生活者として様々な問題に直面するようになった。特に、教育と就労に困難を抱えるデカセギの子どもの問題は深刻である。南米日系人の子どもたちの中には義務教育の未修了者もおり、たとえ義務教育を修了した者でもあっても直接雇用( 正規雇用) に必要な語学能力や基礎学力を十分に習得できている者は少ない。そのため、同世代の日本人青少年と同様の社会的・経済的な接触を持ちえず、主体的に社会参加することができずに社会の底辺に置かれているのが現状である。

ドキュメンタリー映画のきっかけ
 2 0 0 6 年より、地域社会の中で実態が見えにくい第二世代の青少年の教育と就労に関する調査「南米日系人青少年の教育と就労調査」を開始した。調査方法は、一対一の対面式ドキュメンタリー映画は、いわば上記調査の記録映像を編集した調査の副産物であり出演者の全員がこの調査の対象者である。本稿は、デカセギの子どもとして日本で生活してきたデカセギ第二世代の青少年を描いたドキュメンタリー映画の出演者を事例として在日ブラジル人の若者の意識について報告するものである。

・対面式インタビュー
 一対一の対面式での夜間路上調査を、2006年11月から2011年10月まで359人の青少年への聞き取り調査を実施した。

・グループインタビュー
 対面式での路上調査のヒアリング対象者から毎回5人~7人を対象にグループインタビューを実施した。グループ内での発言が刺激となり、さらなる発言を引き出す連鎖的反応などの相互作用を通して一対一の対面式での調査では得ることが難しい実用的なデータを得ることができる。

・ライフヒストリー調査
 調査対象者の属している集団や組織について文献や資料が少なく、対象者の知識や情報がない中で事実を入手する際に活用されるフィールドワークである。ドキュメンタリー映画に出演する5人の若者の生活を長期的に観察することで、彼らを巡る歴史的、社会的現実を明らかにするためにライフヒストリー調査を導入した。


写真:「孤独なツバメたち」の宣伝用チラシ



2)ドキュメンタリー映画出演の若者たちの事例
 (1)突然の帰国-パウラの場合
  パウラ(15歳)が帰国を告げられたのは、モデルの仕事の依頼があり、私生活においてもブラジル国籍の恋人との出会いがあるなど、生活に明るい兆しが見えた矢先であった。帰国を拒否して、日本に残ると抵抗した。最終的に家族に従ったのは、彼女の意志であった。日本では家族全員が働いていて、家族全員で食卓を囲むことはなかった。帰国後にブラジルで起業したいという父親の夢に、「これ以上、家族がバラバラになりたくない」と自分の夢を諦めた。


写真:パウラ


 (2)孤独の先にーサタケ・エドアルドの場合
  サタケ・エドアルドは、常に孤独であった。幼い時から日本とブラジルを行ったり来たりして育った。8 歳のころに父が亡くなり、母親と二人で来日した。日本の小中学校に通ったが、母を助けるために中学校を中退して、工場で働き始めた。大学の進学への夢を諦めずに、高校進学をめざす日系ブラジル人の中学生を対象に英語を教えていた。しかしリーマンショックの影響で、仕事を失い、母親はブラジルに帰国する。一人残されたエドアルドは帰国も考えたが、幸運にも浜松市の日本語教室運営の仕事を得ることができた。しかし、家族がいない孤独から友人から進められるまま大麻に手を出したことで警察に捕まり、教室運営の仕事も失う。初犯であり刑の執行に猶予期間が与えられたが、強制退去を恐れて失意のまま浜松を離れた。


写真:サタケ・エドアルド君



 (3)父との和解-ユリの場合
  デカセギで働く親と同様に工場で働くようになり、両親と同等あるいはそれ以上のお金を手にするようになると両親に対する考え方も変わった。「親よりもできるじゃん、と思うようになった。尊敬できなくなり、いてもいなくても良い存在になった。だけど、俺も親と同じように金に汚くなった」と話す。工場で働く一方、浜松の暴走族丸塚モンローに属し、共同危険行為で少年院に入院した。出院後は、暴走族を離れ自分たちのギャング集団SLG(Shizuoka Latino Gang)を設立した。「悪いことをしたくて、結成したわけではない。日本人やブラジル人から、ぼくらの存在を認めて欲しかった」と語った。車上荒らしで再度、少年院に送られた。二度目の入院は自分の人生を見直す時期となった。父親と話したい。父親は彼の審判に一度も現れることなく帰国し、彼は両親に見捨てられたと感じた。「父と会わなければならない。そうでないともう一度やり直せない」と告げ、今まで避けてきた父と素直に向き合おうと一時帰国した。

 (4)デカセギの子どもが残したもの: オタビオとコカ
  フロアーモンスターズはデカセギのブレイク・ダンスのチームである。メンバーがデカセギの子どもであるため、親の転職による引っ越しで、メンバーがチームを離れていく中、彼らは8年間チームを継続してきた。しかしチームの二代目のリーダー・コカはリーマンショックによる経済不況で、本人を含め家族全員が仕事を失った。チームにまた帰ってくると他のメンバーに約束して、チームを離れブラジルに帰国した。コカが帰国して数ヶ月後、解散の危機にあるチームに初代のリーダーのオタビオが突然チームに戻って来た。チームは三人でまた練習を始めるが、オタビオの家族も仕事を失い、コカの家族同様、オタビオも帰国せざるを得なくなった。8年間守ってきたチームがバラバラになることを心配しながらも2人のリーダーはそれぞれに帰国した。


写真:フロアーモンキーズの仲間たち

3)終わりにードキュメンタリー映画の出演者から見えるもの

 リーマンショック以降、多くの日系ブラジル人が帰国した。しかし、帰国できない者もいる。出稼ぎ目的で来日した両親は生活の困窮を含めた様々な問題に帰国という最終的なカードを切る。両親とは異なり、学齢期の多くを日本で過ごした子どもや日本で生まれた子どもの場合、日本社会に自らの社会的・文化的同一性を置く子どもが多い。そのような第二世代の青少年にとり、帰国は問題の解決になるどころか新たな問題の始まりである。南米日系人の子どもは母国と日本との移動や国内での移動を繰り返し、転校する度に直面する様々な別れを運命として受け入れてきた。自ら自分の生活を変えることができない青少年に垣間見える「あきらめ」と「がまん」は、苛烈な現実の中に蓄積された諦念から来る。

 南米日系人の就労と教育の調査は、第二世代の南米日系青少年は、日本社会の底辺に固定されながら、日本とブラジルのどちらの文化にも距離を置くいわば「周辺化(marginalization)」の状態にあることを明らかにした。しかし、本ドキュメンタリー映画は、調査では明らかにできない南米系外国人の内的世界(innerperspectives) を描いたといえる。そこには、過酷な生活を強いられながらも懸命に生きる青少年の姿が見えてくるのである。