会報『ブラジル特報』 2012年7月号掲載

                                    沼田 行雄(在ベレン総領事)


 昨年9月にベレン総領事として着任して約10ヶ月が経とうとしておりますが、私にとってここベレンは、30余年前にポルトガル語を専門とする外交官として初めて勤務した思い出の地であり、また、この間、ブラジルの他の都市や本省中南米局での勤務を通じて、ほぼ10年間隔でつかず離れずこの国と関わって参りましたので、そのような経験も踏まえて、ブラジル、特に、アマゾン河口のわが町ベレンとパラー州について、ご紹介したいと思います。


大都市ベレンの課題

 パラー州ベレン市は周辺部分を含む首都圏の人口が200万人を超える国内でも十指に入る大都市で、特に、最近10年間の人口増加が急激だったといわれますが、30年前は人口も今の3分の1くらいで、のんびりした落ち着きのある町でした。ベレンの街は岬状の地形の先端部分にあるため、左右と前方には広がる余地がなく、人口の増加にともない必然的に上へと伸びざるを得ない構造となっています。結果として、市内中心部では地上20階以上の高層ビルが林立することとなり、海上ならぬ河上からの偉容はニューヨークのマンハッタンを彷彿とさせます。ところが、近くで見ると、道路や電気、上下水道などの都市生活にとって欠かせないインフラ整備が、人口の無秩序で爆発的な拡大に追いついておらず至るところに綻びが目につきます。また、貧富の格差に起因する犯罪の増加や生活ゴミの処理等の社会問題も残念ながら増加している現状があります。

 このような現象はブラジルの多くの都市でも大なり小なり起こっていることであり、パラー州やベレン市の行政当局も公共インフラの整備や社会問題の改善に取り組んでいますが、解決にはかなりの時間がかかるといわれております。かつて、マンゴの街路樹が生い茂り、空から見ると街中が森の中に隠れてしまうほど緑が多い町並みで、夜間でもほとんど危険を感じることもなく安心して暮らせる街であったのが、今では、自動車の台数が増えすぎて、樹齢100年のマンゴの老木が排気バスと車で溢れて身動きが出来ないくらいです。朝夕の通勤・通学時間帯を中心に大混雑が発生しており、特に、郊外からベレン市街に入る幹線・国道316号線には路線バスが集中するため、深刻な混雑状態になっており抜本的な改善が急務とされています。

 そうした中で、日本政府は、パラー州の「ベレン都市圏バスシステム整備計画」に対して国際協力機構(JICA)を通じる円借款供与を決定し、現在、同事業実現のための具体的な手続きを進めつつあります。同計画はbrT(バス・ラピッド・トランジット)と呼ばれ、郊外から市の中心部に至る幹線道の中央部分にバス専用レーンを整備して連結バスを運行するもので、ベレン都市圏の交通事情が格段に改善すると見込まれます。ジャテーネ州知事は、ベレンの人々の20年来の悲願が日本政府の支援を得て実現することに深く感謝すると述べられています。

ベレン市街地の遠景:林立する高層ビル群


元気な日系社会
 また、ベレン総領事館の管内には、ブラジルで3番目の規模といわれる約3万人の日系人が生活しておりますが、その日系社会も様変わりです。30年前は、日系社会の中心には戦前移民の長老の方々がおられ、戦後移住の人たちに少しずつバトンタッチが進んでいた頃で、また、日系社会は、代表的な産業であった胡椒栽培が根腐れ病などの蔓延と国際価格の下落に晒され壊滅的な状態となり、人々は新たな可能性を必死に模索していた時期でもありました。

 その後、様々な施行錯誤が繰り返され、胡椒やカカオ、クプアス、アサイなどの熱帯果樹に加え、パラー栗やマホガニーなどの樹木を自由に混栽するアグロフォレストリーという農法がトメアスで考案され、1980年代を通じ徐々に確立されるともに、87年にトメアス産業農業組合(CAMTA)のジュース工場が完成したことで、収穫した農作物の加工と大量流通が可能となり、組合員を始め地域の日系コミュニティに経済的な安定をもたらしました。
 
 トメアスで始まったこのような農法は、肥料や農薬が少なくてすむため環境にやさしく、長期間に亘って成長速度が異なる様々な作物を途切れなく出荷できるため価格変動の影響を受けにくく、また、小規模農業者でも実践できる安定的な経営手法として、日系社会を超えて広くブラジルや近隣諸国へ普及されつつあります。ブラジル政府もその功績を高く評価し、この度の国連持続可能な開発会議(リオ+20)でも環境破壊を抑止できるブラジル発の取り組みとして紹介されると聞いております。
 この間、90年代には、日本への出稼ぎブームが起こり、各地の日系移住地の空洞化が進みましたが、ここ数年は多くの日系人がブラジルに戻ってきており、トメアスをはじめとする伝統的な集団移住地のみならず、日系社会全体が活気をとり戻しつつあります。
 同時に、日系社会のリーダー達も世代交代が進んでおり、各地日本人会では、会長や役員が確実に戦後一世から二世に移行しつつあり、さらに若い世代の関心にどう対応するかとの課題に取り組んでいます。また、伝統的な日系社会から飛び出した新たな指導者達も輩出されつつあり、日系人として国内唯一の連邦大学学長やベレン近郊では複数の中堅都市で若手の日系人市長が活躍しています。


第二トメアス移住地の皆さんとの交流



経済関係強化への期待

 パラー州は、豊富な鉱物資源を埋蔵し、現在、鉄鉱石、銅、ニッケル等の鉱業生産額は国内第2位でありますが、私が最初に勤務した70年代後半には、世界最大のカラジャス鉄鉱山の開発が日本企業と共同で始まった頃であり、また、現在、日本国内で必要とされるアルミ地金の約10%を供給しているALbrAS社も、当時、アルミナ精錬のALUNORTE社とともに日本とブラジルの合弁事業としてスタートしたなど、パラー州の鉱物資源開発にあたって我が国官民が大きく関与した時期でありました。当時のブラジルは奇跡の経済成長を続けており、幾多の日本・ブラジルナショナル・プロジェクトが牽引役となり、両国経済関係が緊密化していた時期であり、日本ではブラジル・ブームといわれ多くの民間企業の進出がありました。
 その後、二度のオイルショックやブラジルのハイパーインフレの影響もあり、進出企業の多くが撤退し、両国経済関係は長い停滞期間を経験することになりますが、近年、世界経済のグローバリゼーションと好調なブラジル経済を背景に、再び日本からの対ブラジル投資、企業の進出が活発化しつつあります。そのこと自体は、日本ブラジル関係全体にとって好ましいことであることはいうまでもありませんが、こうした企業進出の大きな流れは、サンパウロやリオ州など南東ブラジルなどにとどまっており、残念ながら、アマゾナス州のフリーゾーンなど一部を除いて、パラー州を始めとする北部ブラジル地域まで至っていないという状況があります。
 パラー州政府は、単なるコモディティの輸出州から脱却を図るべく、付加価値の高い製造業の誘致を積極的に進めており、州工業連盟(FIEPA)の資料によれば、2012~16年の5年間で、相当規模の外国資本を含め、資源開発分野を中心に総額1,296億レアル(約6.5兆円)の民間投資が見込まれるとされます。また、世界第3位の発電規模となる1,123万MW のベロ・モンテ水力発電所が2019年の完成を目指し建設中です。こうした内外の投資機運の高まりの中で、かつての大規模な日本との合弁事業を記憶しているパラー州政府および産業界は、信頼できるパートナーとして日本からの新たな投資、企業進出に対して熱い視線を注いでいます。
 また、日系コロニア企業との関係では、北部ブラジル最大のスーパーマーケットチェーンであるY・YAMADAグループの実質的な経営者であるフェルナンド・ヤマダ氏を中心に、パラー日系商工会議所が組織化されており、傘下にはO Y A M O T A ( 装置・鉄工) 社やPALMASA(パームオイル)社などがあり、また、傘下ではないがパラー州内で最大の鶏肉の生産加工業者であるAMERICANO社など、ブラジル国内で存在感のある日系(コロニア)企業が頭角を現しつつあります。これら企業の中には、日本の中小企業との技術提携を積極的に模索して関係強化を図りたいとの意欲を有しつつも、なかなかその契機を掴めないことにもどかしさを感じているところもあります。

結語

 こうした様々な変化はあっても、変わらないのは人々の暖かで大らかな気質とホスピタリティです。私は30年振りにベレンに勤務してそのことを日々再確認しております。
 本協会会員の皆様も、パラー州には大きな潜在性と日本に対する熱い気持ちがあり、そしてそれを可能にする元気な日系社会があることに思いを馳せて頂きたく、私としても、日本とブラジル、就中、パラー州をはじめとする北部ブラジル地域がより強い絆で結ばれるよう微力ながら努めて参りますので、本稿がそのような契機となればこれに勝る喜びはありません。少し、辛口な部分もありますが、この街を愛している所以ですのでどうかご容赦い頂きたいと存じます。