会報『ブラジル特報』 2005年1月号掲載



       大前孝雄 (ブラジル日本商工会議所日伯経済交流促進委員会委員長.・ブラジル三井物産㈱ 社長)


 ブラジルは日本にとってまさに「遠くて近い国」である。いまやブラジルには約150万人の日系人が在住する一方、日本には日系人を中心とした約27万人のいわゆる「出稼ぎ」の人々が住んでおり、日本にとってこの様に密接な人的関係を持つ国はブラジルをおいて他にない。しかしながら、この様な緊密な関係を有するにもかかわらず、経済関係に限っていえば、近年日伯両国の関係は停滞の一途をたどっており、1970年代の緊密な両国関係を知る者にとっては誠に残念な限りである。
 その意味で、来年に予定されるルーラ大統領の訪日は、今後の日伯両国の経済関係の行方を左右する重要な政治的イベントと判断される。その結果が双方に満足のいく成果を上げることが出来れば、両国の経済関係は飛躍的に拡大することが期待される。逆にこれが期待はずれに終わった場合は、日伯経済関係の停滞に拍車がかかること強く懸念される。

最近のブラジルを取り巻く経済環境

 ブラジルは南米の大国である。面積は日本の23倍、人口も現在1億8,000万人、これが2050年には2億3,000万人にまで増加するといわれており、GDPはASEAN
10カ国のそれを合わせたものを凌駕する規模を誇る。それゆえに、欧米諸国にとってのブラジルは、日本にとっての中国にも勝ると劣らない一大市場である。と同時に、中国にはない天然資源、農産物の一大供給基地としての戦略的価値を持つ国である。天然資源として、鉄鉱石以外に、アルミ・銅・鉛・錫等の非鉄金属が豊富であることに加え、従来輸入国であった原油も、最近の相次ぐ新油田の発見・開発により2006年には輸出国に転じる可能性が出てきたといわれている。農産物においても、世界一の生産量を誇るコーヒー・砂糖・オレンジ果汁に加え、早晩生産量で米国を抜き世界第一の生産国になると予想される大豆をはじめ、牛肉、鶏肉、各種果実などの一大輸出国である。

 このように巨大な潜在力を持つブラジルの資源と市場には、米国・EUも目をつけており、様々なアプローチを図っている。米国はFTAAを通じ、またEUもメルコスルとのFTAによりブラジルの取り込みを図ろうとしている。そのいずれも農産物問題がネックとなり、未だ最終合意には至っていないが、そう遠くない将来に締結に至るだろう。

 注目すべきは、中国の最近の動きである。中国は近年のめざましい経済発展によりエネルギー、食料の不足に陥っており、その供給源の一つとしてブラジルに注目している。中国のブラジルに対するアプローチはめざましいものがあり、資源確保の観点から、これまで日本が資金協力を梃子に行ってきたブラジルの各種インフラ・プロジェクトに注目、政府ベースの強い働きかけを通じて、その一部を取り込むケースが発生している。今後、ブラジルに対する中国の接近はますます強化されるものと思われる。

 一方、ブラジル自身の経済外交は、どうであろうか。brIC’sを構成する中国、インド、ロシアに加え、南アフリカ等との関係を急速に緊密化させており、インドとは2004年1月に特恵関税協定、さらには同年6月、FTA締結を目指した枠組みにつき合意、また南アフリカともメルコスル・南アフリカ関税同盟の形成に向け交渉を開始した。これら一連の動きは、以前からのブラジルの対開発途上国外交を通じた先進国への対抗政策の延長線上にあるといえるが、過去、メルコスルの形成を通じたアルゼンチン・ウルグアイ・パラグアイの取込みによる米国・EUへの対抗政策をはるかに凌駕したものであり、ブラジル経済外交の拡大と多様化を物語っている。

ルーラ大統領訪日への期待

 ルーラ大統領訪日時のテーマはいろいろ考えられ、日伯FTAに向けた何らかの合意も経済界が希望するシナリオの一つだが、日本政府はそれは時期尚早として、むしろインフラ整備、資源・エネルギー関連プロジェクトへの資金協力等を中心にしようとの考えも散見される。一方、ブラジル側の最大の関心事は、バイオマス燃料エタノールおよび牛肉の対日輸出と見られる。両国間で長年懸案となっていたマンゴーの輸入は小泉首相訪伯時にようやく解禁が決まったが、これを契機に検疫問題がネックとなり日本が輸入を禁じている牛肉あるいはその他の果実等の輸入解禁を求めてこよう。例えば牛肉については、日本が口蹄疫を理由にブラジル全土を対象として輸入を禁止しているのに対し、米国、EUは口蹄疫は一部の地域に限定された問題とみなし、それ以外の地域からの輸入を解禁するという柔軟な対応をしている。こういった差が、ブラジル側の日本に対する大きな不満の一つとなっていることは否めまい。

 環境案件も大きなテーマである。ロシアの批准により2005年2月に京都議定書が発効することから、温暖化ガス削減が緊急かつ切実な政策課題となってきた日本にとって、ブラジルが提供しうる解決策に目をむける価値がある。その一つが、ブラジルが大きな潜在力を持つCDM案件の発掘、推進である。京都議定書の発効が確定した現在、日伯両国が共同してこれに取り組むことの意義は大きく、これに関する何らかの合意は十分期待出来よう。もう一つは、以前よりブラジル側の期待が大きい燃料用エタノールの輸入である。地球温暖化問題に対する関心が世界規模で高まるなか、その現実的対策の一つとして燃料用エタノールの導入が米国、EU諸国、さらにはインド等で進んでいる。バイオマス・エタノールの自国生産が可能なこれらの諸国に比べ、そのほとんどを輸入に頼らざるを得ない日本は、その潜在需要の大きさからも、日本政府による燃料用エタノールの早期導入に向けたブラジル側の期待は非常に大きく、その促進に向けブラジルは官民上げて日本に協力する用意があるといっている。燃料用途としてのブラジル産エタノールに日本が門戸を開くことは、温暖化ガスの主役であるCO2の削減策として極めて有効であるばかりでなく、世界最大のエタノール供給国であるブラジルの国益にも合致することから、両国経済関係の活性化に大きく寄与する即効薬ともなりうるものであり、日本政府にとっては一石二鳥の効果をもたらすものといえよう。

 この様にルーラ大統領訪日の成否に少なからず影響を与えるテーマの多くは日本側がボールを握っており、大統領訪日を日伯両国関係の再活性化に繋げるためにも、日本政府の高度な政策判断を強く期待したい。

今後の日伯経済関係

 1960~70年代の緊密な日伯関係を如何に復活させるか、これは筆者を含むブラジル関係者の長年の悲願である。当時の日伯関係は、日本にとっては投資・資金協力による資源・食料の確保と市場開拓、ブラジルにとっては、国内産業の振興と輸出先の確保という、まさに相互補完関係に立つ充実したものであった。この図式はもう当てはまらないのであろうか。少なくとも、ブラジル側の期待は基本的には変化してないと思われる。ただ、ブラジル側は資源に加えて工業製品の輸出市場としても日本に期待している。一方、日本側に変化はないのであろうか。はたして日本の資源・食料確保外交は継続しているのであろうか。残念ながら、1960~70年代のような確固たる戦略性はもはや感じられない。

 資源・食料は金さえ出せば市場でいくらでも調達出来るという割り切りに日本が陥ってはいないであろうか。米国、EUの外交には、これをブラジルとの関係において見ただけでも、資源・食料の確保と自国製品の市場開拓を柱とした明確な戦略性が見える。

 要するに、今や日本にとってブラジルの戦略的位置付けがはっきりしていないこと、日本がブラジルに一体何を期待するのかが見えないことが、日本の政策立案・実行の遅延の根本的原因の一つとなっている気がしてならない。広く世界を見渡せば、もちろん日本の国益に合致した国は多々あろうが、その中でブラジルほど日本にとって相互補完関係に立った共存・共栄を図れる国はないと思う。

 日本はブラジルに何を期待し、そのために何を実行していくべきか、早急に国家的コンセンサスを作り上げ、2005年を日伯経済再活性化の元年とするために、来るルーラ大統領の訪日はまたとないチャンスと考える。