会報『ブラジル特報』 2005年1月号掲載


                       山村 洋 (国際協力銀行リオデジャネイロ事務所 顧問)


ルーラ政権は2年目にしてマクロ経済運営で満点に近い成績を上げているが、今後もバラ色の経済が続くだろうか。①インフラやロジスティックスの未整備、煩雑で不公平な税制、非効率な労働制度などによる国際競争力の低下が目立ち始めており、②国民の購買力を引上げ、国内需要を堅実、かつ持続的なものにするためには、教育の普及、衛生管理、所得格差の是正、汚職などの社会問題を改善し、国民の平均的な所得と文化水準をレベルアップする必要がある。さらに、③国民の安全な生活を保障する治安対策は喫緊事で、背後にある麻薬問題に正面から取り組む必要がある。  これらの一連のイシューはマクロ経済の実績作りの陰でこれまで余り表面化することはなかったが、皮肉にも経済の活性化にともないかかる諸問題が必然的に顕在化し始めており、今後ルーラ政権にその改善を求める期待が高まるであろう。換言すれば、残る2年間、これらのイシューへの大統領の取組みと実績作りが2006年の「ルーラ再選」へのキーポイントとなろう。

1.輝かしい2004年の実績

ルーラ政権2年目にしてブラジルのマクロ経済運営は満点に近い実績をあげている。すなわち、(イ)インフレがコントロール下にあること、(ロ)為替レートが安定していること、(ハ)財政がコントロール下にあること、(ニ)国際収支が安定していること、これらの4本の経済の支柱が揃って安定することは珍しく、「ブラジルの奇跡」といわれた1970年前半以来の現象である。具体的にはどのような実績が残されたかを簡単に整理する(以下の指標、金額はいずれも04年12月初旬執筆時点での04年年末、通年の予測数字)。

(国内部門) ①GDPの実質成長率:過去10年間、95年の4.2%、2000年の4.4%を大きく上回る5.3%を達成。 ②失業率:算出方式を国際スタンダードに移行した02年以降12%前後で推移していたが、3年振りに一桁の失業率を達成。 ③インフレ:中銀の努力目標値の5.5%を上回ったものの、国家通貨審議会が制定するインフレ目標上限の8%以下に収束(過去3年間上限目標未達)。 ④レアル通貨(年度末):03年に続き対ドル高値。04年は2.5%の高値。 ⑤年間平均基礎指標金利(SELIC):年間平均は23.3%から16%台まで低下。年度末18%弱。 ⑥財政収支:98年以降プライマリーサープラスの黒字幅増大。04年には上方修正目標の4.5%を超える4.7%を達成。 ⑦公的債務のGDP比率:94年のレアル通貨誕生当時の30%台から上昇し続け02年9月にピーク62%まで達したGDP比率が、年度末に10年振りに下降し54%まで低下。

(対外部門) ①貿易量のGDP比率:10年前の94年の18.7%に対し04年には30%を超え、経済の開放率が一定の水準に達した。 ②貿易収支:記録的な03年の248億ドルを超える320億ドルの大幅な黒字を計上(95~2000年までの6年間は連続赤字。01年と02年はそれぞれ26億ドルと132億ドルの黒字)。 ③経常収支:記録的な100億ドルを超える黒字達成(80年来5度目の黒字。黒字額はこれまでの最高記録)、 ④対外債務の輸出比率:従来輸出の4~5倍の対外債務額が年末には2.2倍まで減少し、他の途上国と比較しても一定の水準に達した。

国内・対外部門のマクロ経済が順調に推移していること実証する一つの出来事として、98年来合意・延長が繰り返えされてきたIMFプログラムは、今年の3月の最終期限で終了予定であることを指摘できる。いよいよブラジルもIMFから卒業し一人歩きをする模様である。しかし、対外債務(官民合計)の2,000億ドルに対し、IMFからの調達資金を加えた外貨準備は500億ドル、右を除いた本来の外準は250億ドルの水準で推移しており、年間の元利支払額が400~500億ドルに達することを勘案すれば不十分と思われ、IMFを卒業し独立するからには、ブラジル中銀も非公式ながら認めているように、年間の元利支払額程度までの外準の積み上げが要望される。

2.今年の展望
2004年の輝かしい成績を土台にスムースに成長軌道に乗り入れ、今年以降中期的なレンジから安定した飛行が続けられるだろうか。ルーラ政権の2年間の実績として、①緊縮財政による財政の抜本的改善、 ②輸出を梃子に経常収支の大幅な改善をやり遂げ、連鎖反応で国内産業を活性化したことは、十分評価される。この浮力を持続させ先進国に一歩近づくためには、ここで手綱を緩めることなく現政策を維持しつつ構造改革を推進する必要があろう。幸い国民も生活水準の向上を図るには、長期戦が要求されることをそれなりに理解しており、これまでルーラ政権は安易なポピュリズムに走る必要がなかった。すなわち、ルーラ政権には公約通り4,000万人といわれる極貧層を絶滅し、所得格差を是正すると同時に、社会の柱となるミドルクラスを育成していくことが出来る地合いがある。そのためにはルーラ政権は今後何をすべきかを以下探ってみた。

一言でいえば「あらゆるコストを下げることである」。国内部門では、①国債のうち、ドルリンク債、フロート債(金利後付)など市場の変動に左右される国債の割合を引続き減らし、確定金利債を増やすことで国債の発行残高を安定化させ市場の信認を得、GDPの8%前後に相当する年間支払い利息額を減少させる。 ②03年に実施された連邦・地方公務員対象の年金改革と同様に、民間の退職者と就労者を対象にした憲法改正による年金改革を進め、毎年ほぼGDPの2%にまで達している政府の補填額を長期間かけてもゼロに近づける。 ③あらゆる部門の煩雑な手続き(ことに問題になっている分野は、通関手続き、会社設立、会社清算、訴訟手続きなど)を簡素化することで、コストダウンを図る。 ④道路、鉄道、港湾を修復・改善することで流通コストを下げる。 ⑤1945年に制定された現行の「和議・倒産法」を改正する「会社更生法」を一刻も早く成立させ(94年以来10年間国会で審議)、市場経済の下での倒産ルールを作ることで、与信リスクを軽減し金融コストを下げる。 ⑥政治家、官僚、公的機関、司法、警察などの汚職排除によるクリーン化を進める。最近大規模な汚職一掃戦略で多くの知的犯罪者が告訴されているが、根は深く長期戦で臨み、汚職の結果不当に吊り上げられたコストを下げる。 ⑦犯罪の凶悪化と広域化による民間の治安対策のコストも大きく、警察の一元化で(現憲法では連邦、州政府の守備範囲が分割されており責任逃れの傾向が強い)、警察制度の改善と警察官のレベルアップを図り治安対策コストを下げる。

これらの一連の対策を実行するためには、一部の例外を除いて、ほとんどは憲法改正、法律の新規制定、改正の必要があり、ルーラ政権の国会運営が鍵となる。ルーラ大統領の労働党は、数多くの他の政党と連立することではじめて過半数、あるいは憲法改正に必要な60%が確保できる連立与党政権である。昨年10月の統一地方選挙で、労働党のみで市長・副市長の候補者を立てた市はサンパウロ市をはじめすべて敗北したこともあり、ルーラ政権には労働党の単独行動が許されないことが明らかになった。3年目を迎えるルーラ政権の閣僚更新はこの経験が十分配慮されよう。

国民の文化、民族性にまで繋がるこれらの一連の改革を大統領一期4年間で軌道に乗せることすら難しく、当然ルーラ大統領の再選が早晩検討されよう。現政権は、来年度の大統領、州知事、国会議員の統一選挙を展望した「公共事業の活性化」を展開すると思われるが、単純にポピュリズムに走るのではなく、経済効果が高く、長期的に財政収支上も相償する公共事業への投資が優先される模様である。例えば、上下水道事業を実施することで衛生管理費の減少を図るとか、僻地への道路・水路事業を実施することで、交通・運搬費の減少を図るなど、コストダウンが図れる事業が対象となる。
最後に、輸出と安定財政を両輪にした経済成長を基盤に、社会問題に根底からメスを入れようとするルーラ政権の将来は明るく、昨年11月末の支持率調査でも判るようにルーラ政権への国民の期待は大きいと結びたい。

本稿の意見に係わる部分はあくまで執筆者の私見であり、国際協力銀行の意見ではない)

   【(社)日本ブラジル中央協会発行 会員向け隔月刊誌『ブラジル特報』2005年1月号掲載】