会報『ブラジル特報』 2008年
5月号掲載

                            岸和田 仁(在サンパウロ)


 この度、『世界史史料』第7巻「南北アメリカ 先住民の世界から19世紀まで」(岩波書店)が刊行された。北米もラテンアメリカも、米大陸全般をカバーしているので、ブラジルの歴史に関心を有する者にとっても、より広い視点から歴史をたどるための史料として有用である。筆者も一時帰国を利用して早速購入し、主な掲載史料に目を通してみたが、先住民文化から植民地社会形成、19世紀の経済発展と社会変容まで系統別に関連史料がコンパクトな解説とセットになっており、なかなかよく出来ている。今回はこの“すぐれもの”を紹介しておきたい。


 そもそもラテンアメリカという概念、呼称が生まれたのは、いつなのだろう。通説に従えば、アングロアメリカ(北米)に対抗して
19世紀後半から使われるようになったが、言い出しっぺがフランスなのかスペインなのか複数の説がある。あるいは、ブラジルの独立は「南米の解放者」シモン・ボリヴァルに相応する独立運動はなく、欧州の政治情勢(ナポレオン)に伴うポルトガル王室のリオ移動がもた


収められた史料のなかでブラジル関連では、ロポ・オーメン「ブラジル地図」(1519)、真の富は金などの鉱山開発ではなく砂糖・タバコなどの農業による富であると主張したアントニル『ブラジルの富』(1711)や、逃亡奴隷共同体パルマーレスに関する報告(1670)、北東部サトウキビ農園を記述したヘンリー・コスター『ブラジル旅行記』(1817)、などが貴重であり、筆者も熟読させていただいた。

 またラス・カサスによるインディアス論争、新食物の発見(トウモロコシとジャガイモ)、イエズス会の布教村、ハイチ独立革命、ボリーヴァルの人種観、北米における国民統合、南北戦争、アルゼンチンのサルミエントによる『文明と野蛮』論、などブラジル以外のところでも、歴史を形成していった様々な史料が収められていて読む者を飽きさせない。

 もっとも、奴隷貿易による輸入推計が1969年に発表された米国歴史家P・カーティンの説をそのまま踏襲しており、これは確かに包括的なものとしては今日でも定説なのだろうが、最近の研究結果に何もふれていないのには若干違和感を覚えたが。

 そもそも『世界史史料』が構想されたのは1996年であり、これは編集責任を担った歴史学研究会の変遷を物語っている。すなわち、30年前はその月刊研究発表誌『歴史学研究』において「人民闘争史観」を巡る論争が繰り返し交わされていたように唯物史観が無謬の理論的基盤となっていたが、その後の多様性容認歴史学の発展とソ連の消滅という時代の変動を受けて模索を続けてきたのだ。今回の史料シリーズの「刊行の言葉」から引用すれば、「マルクス主義的な「世界史の法則」を提唱する立場と、文明圏・地域を重視する発想とが相互批判を行いながら、世界史像を作っていく過程」を経て、今回の『世界史史料』全12巻が構想され、2006年から刊行を開始している。

 掲載史料の選択についての責任は歴史学研究会の『世界史史料』編集委員会(代表 西川正雄)が負うが、それぞれの分野の専門家が原史料から新たに訳出し、解説を付しているので、最新の歴史学の成果が反映されているといえよう。


 とはいえ一巻に南北アメリカ大陸の400年を凝縮したため、それぞれの史料の一部が1頁、解説と合わせ最大で二頁のスペースしか与えられていない。読み出すとあっという間に読み終わってしまう。もう少し史料を読みたくなる、不満足感が残ってしまうが、この辺はないものねだりというところだろう。
いささか高価(税込み¥4200)ではあるが、南北を問わずアメリカ大陸の歴史に関心を有する者には必携の史料百科事典的な一冊である。