会報『ブラジル特報』 2014年1月号掲載
文化評論
岸和田 仁 (『ブラジル特報』編集委員、在レシーフェ)
植民地期の家父長制の下で、欧州(イベリア)文化、先住インディオ文化、アフリカ黒人文化が相互に影響し合ってブラジルの伝統的文化が形成されたが、この文化融合性、混血性をポジティブに捉えよ、と主張したことで、当時の知識層に「革命的な力と解放的な衝撃」(批評家アントニオ・カンディード)を与えた、社会人類学者ジルベルト・フレイレ(1900~87年)の著作『大邸宅と奴隷小屋』の初版発刊(1933年)から80年が経過した。
この発刊80周年を記念した講演イベントが、10月20日、レシーフェ旧市街にある「郵便文化センター」にて開催されたので、筆者も参加してみた。この講演は二部構成で、前半はアンコ・マルシオ・ヴィエイラ教授(ペルナンブーコ連邦大学)の「『大邸宅と奴隷小屋』を再読する―ジルベルト・フレイレ、ロジェ・バスティードと人種デモクラシー概念」、後半はマリア・ルシア・バーク教授(ケンブリッジ大学上級研究員)の「ジルベルト・フレイレのレシーフェ」、であった。ヴィエイラ教授は、「人種デモクラシー」概念への批判を踏まえてフレイレ再検討を行い、彼の軍政への関与も含め総体的なフレイレ像について熱のこもった講演を展開した。マリア女史は、都市社会学の視点から、ディケンズにとってのロンドンと比較しながら、フレイレにとってのレシーフェは、衣食住すべての有形・無形文化遺産が研究対象になったと、いくつもの具体例をあげていった。また、彼女の新著『挫折の凱旋』において、詳細にその生涯を跡付けた、ドイツ人人類学者ルディガー・ビルデンがどれほどフレイレに知的影響を与えたか、についても語ってくれた。
マリア女史の青年フレイレ研究『ジルベルト・フレイレ−熱帯のヴィクトリアン』(2006年)を熟読して感動した経験を有する筆者としては、講演終了後の彼女と20分くらい意見交換を行うことができて、いささか満足してしまった次第だが、この機会にあらためてフレイレについて考えを巡らせてみた。 多義性を有するフレイレの業績については、近年、ブラジル国内でも国外でも、様々な研究がなされるようになってきたが、筆者は、彼の評価については、時系列的に三期に分けるのが順当と考えている。すなわち、(1)混淆文化をポジティブに主張するラディカル革新派とみなされた1930年代から50年代、(2)人種デモクラシーを信奉し、軍事政権を積極的に支持する保守派にして、アフリカにおけるポルトガル植民地主義の擁護派とされた1960年代から80年代、(3)フレイレ批判の牙城であった“サンパウロ学派”においても、再評価が進められるようになった1990年代以降、の三期である。
最近のフレイレ再評価の流れのなかでも、英文による著作として特異の位置を占めるのが、マリア女史と夫君ピーター・バーク教授との共著によるフレイレ研究であろう。バーク教授については、その広範な文化史研究は日本語でも読めるので(『ヨーロッパの民衆文化』
人文書院 1988年、『イタリア・ルネサンスの文化と社会』 岩波書店 1992年、『フランス歴史学革命――アナール学派1929-89年』 岩波書店
1992年、『文化史とは何か』 法政大学出版会 2008年 など)、日本でも広く知られた歴史学者であるが、ブラジルでもそのほとんどの著作が翻訳され、時々、サンパウロの新聞(『フォリャ・デ・サンパウロ』)にエッセイを寄稿したりするので、ブラジルでも影響力を有する学者である。(というよりも、ポリグロットのバーク教授は、チェコ語やフランス語で作家活動をしているミラン・クンデラのインタビュー記事をブラジルの新聞で読んで、クンデラ文学の変化を論じたりしている。)
彼の“世界市民性”を如実に示す、最新翻訳書『文化のハイブリディティ』(法政大学出版会 2012年)は、エドワード・サイードの箴言「あらゆる文化の歴史は、借用の歴史である」や、レヴィ=ストロースの「あらゆる文化は寄せ集めの結果である」といった発言の意味するところ、すなわち文化の循環性とか文化の均質化とか、について、長年にわたる文化研究の成果を整理しながら論じたもので、その博覧強記には圧倒されることになる。
そんなバーク教授が、もともとサンパウロ大学(教育学)で教鞭を執っていて、フレイレ批判派であったマリア・ルシア夫人と共作でフレイレ再評価を行った著書の英語版タイトルは『ジルベルト・フレイレ
−熱帯における社会理論』(2008年)で、ポルトガル語版は『熱帯を再考する −ジルベルト・フレイレの知的肖像』(2009年)となっている。
フレイレの全著作を読み込んだうえで、多くの研究者による指摘・批判も織り込みつつ、フレイレ理論の革新性と保守性を語っており、一言でいえば、「フレイレ研究の最新到達点を示す」作品になっている。その最終章(7章)を、同時代人としてのフレイレ、としているところからも、バーク夫妻の視点は明らかであろう。
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