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アマゾン河支流の一つ Rio Xingu(シングー川)を眼下に =マナウスからベレンに向かう機上から |
周知のように、そもそもアマゾンという言葉の由来は、古代ギリシャ神話に登場する勇猛な女戦士に求められる。紀元1世紀ころの黒海は“アマゾン”と呼ばれていて、そこには女だけ(アマゾネス)の部族が支配するところがあったそうな。 その一方、インカ帝国を征服したピサロの弟ゴンサーロ・ピサロは大軍を率いて、アンデス山脈を越えて東部の熱帯低地に達する。しかも、その軍の部将であったフランシスコ・デ・オレリャーナとその一行は、大河を下ってアマゾン河口まで辿り着く。その途次、好戦的なインディオの襲撃に遭う。そこで、彼らはまさしくギリシャ神話に出てくるアマゾンの女戦士の国があるとみなした次第。結果として、熱帯雨林を1200もの支流を束ねて流れる大河は、“アマゾン河”と称されるようになる。が、ピサロ一行が帰国してしばらくの間は、部将の名をとって“オレリャーナ川”あるいは“マラニャン川”と呼ばれていた。ちなみに、ポルトガル語でアマゾン河をAmazonas(アマゾーナス)という。
ところで、2500年前の太古の頃には、現在の南米大陸のような形状はしておらず、アマゾン河流域もアンデス山脈も存在していなかったらしい。その後、北西部から注ぐ水路が形成され、後のアマゾンなる川はカリブ海の方角に注いでいた。これは太平洋とカリブ海が繋がっていたことを意味する。川イルカとともに、本来は海にしか生息しない真イルカやエイ、イシモチなどが今も存在するのは、そうした大河の成り立ちを証左する一例であろう。1500年前にアンデスの北東部が現在の4分の1の高さに隆起すると、川の流れは逆行し、アンデス山脈に遮られていたペルー西部のブランカ山地を源とするアプリーマック川、すなわち後のアマゾンの長大な川は大西洋に方向を変えて流れ出すようになる。 ともあれ、悠久の時を超えて滔々と蛇行(メアンダー)して流れるアマゾン河は神秘に満ちていて、訪れる人を惹きつけてやまないものがある。のみならず、満目の見渡す限り緑の樹海に覆われた広大な流域の、圧倒するほどの生命体としての大自然を前にすれば誰もが陶酔する。しかも、ブラジルの文化地理学者ヴィアーナ・モウグの言説のように、そこに居合わせた者は混沌とした自然の苛酷さに自身が溶解させられるようで、宇宙的な恐怖感さえ覚える。 事実、外国人であるかブラジル人であるかを問わず、この地を訪ねた者―植物学者、民族学者、地質学者、旅行家、作家、詩人など―の全てが例外なく、そのアマゾン特有の宇宙的な恐怖感にとらわれ、おののいたのである。そうした人たちのなかには例えば、ウオーレス、フンボルト、アルベルト・ランジェル、ガスタン・クルース、アレシャンドレ・ロドリゲス、ゴンサルヴェス・ディアス、イングレース・デ・ソウザなどが挙げられるだろう。
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Pirarucu(ピラルク) “アマゾンの鱈”とも称される世界最大の淡水魚。最大のものは体長3m、体重200kgにまで達する。 |
そんなアマゾン河もしくはアマゾンに関して、2011年の8月、驚くべき発見が2人のON(Observatorio Nacional 国立観測所)の研究者によってなされた。つまり、アマゾン河の地下2000mの深さのところに、もう一つの巨大な“アマゾン川”が流れていることを、地球物理学者のヴァーリャ・ハンザ教授およびアマゾーナス連邦大学のタヴァーレス・ピメンテル教授が明らかにしたのである。8月25日付のエスタード・デ・サンパウロ紙はこのことを大きく報じ、国民の耳目を集めた。が、この発見を報じた日本のマスメディアは少ないので、存じている向きは少ないに違いない。
ところで、発見の経緯はといえば、アマゾン地域で原油を探していたペトロブラス(ブラジル石油公社)が1970年代から80年代にかけて掘った、200以上の深井戸からの温度データを手掛かりにして2人の研究者は、地下水の動きを確認しつつ河川の存在を突き止めるに至ったそうだ。
驚くべきは、この地下河川がアマゾン河と較べても、その規模においてひけをとらない存在であることかもしれない。アマゾン河(6500㎞)に沿って流れる地下河川は長さにおいて400㎞及ばないが、場所によって川幅が1kmから100㎞のアマゾン河と比較して4倍広い、なんと200~400㎞もあることだ。この点に鑑みても、地下河川がいかに膨大であるかが想像できるだろう。
さらに特筆すべきは、南東部のミナスジェライス州に水源を有して北東部を貫流する、サンフランシスコ川の流量(2700?/秒)よりも多いことだ。しかしながら、平均流量13万3千?/秒のアマゾン河と比較すれば、地下河川のそれは前者の2%にも満たない3900?/秒といった塩梅。流れる水の速さもアマゾン河が50秒で100mに対して、地下河川の方は1年間で100mというふうにゆったりとしている。これには、地表面のアマゾン河とは違って、地層の間を縫って流れるからに他ならない。
それにしても、アマゾン河の地底深いところを、6000㎞もの長さにわたって地下河川がとてつもない川幅で流れていること自体、にわかには信じられない。地下水のトンネルさながらのこの河川は、インド国籍の発見当事者であるヴァーリャ・ハンザ教授を顕彰する意味で、“Rio Hanza(ハンザ川)”と命名された。
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冠水林 |
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ソリモンエス川とネグロ川の合流地点 |
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