執筆者:山岸照明 氏
(Yamagishi Consultoria Ltda. 社主、元アマゾナス日系商工会議所会頭)
私は 1963年8月15日ブラジル サントス港に到着、直ぐにベレンへ行くトラックに乗せて貰い、ベレン市へ向かいました。東京 練馬の力行会より 沢山の本をブラジル北部の日本移民入植地に運ぶ為でした。これらの本は 練馬区の小。中学校より 寄付された本でした。戦後間も無く アマゾンの入植地へ移民された人々へ 慰問の意味で日本の子供達からの贈り物です。
ベレン市、マナウス市のエフィジェニオ、サーレス、ロンドニア州、トレーゼ デセテンブロ アクレ州のキナリー、ローライマ州のタイアーノ等 各植民地へ配り、大変喜んで頂きました。
この仕事が 私の アマゾンとの出会いでした。そして、1969年3月より当時建設中のアマゾナス製鉄所に就職。以来48年アマゾナス州 マナウス市に住み着いています。ソリモンエス河とネグロ河の合流点を見下ろす高台の製鉄所建設現場より見渡す雄大な大アマゾン河の景色より請けた感動は 未だに忘れる事はありません。
これこそ世界の人類に与えられた地球の大自然かと、敗戦直後の日本より移り渡って来た私には、言い知れぬ感慨を覚えました。因みに、ブラジルのアマゾン河は 此の合流点より始まり、約1,700kmを流れ、ベレンの河口より大西洋に注いでいます。
以後、ほぼ半世紀を過ぎ、マナウスは 軍政権が開いた経済特区(以後 ZFM)の成功により発足当時 人口20万足らずの過疎化の進む 片田舎は 現在(2017年)240万人の大都市に成長しました。
色々な意味で 善悪は別にしても近代化が進み、約500社が創業する工業団地を中心とする工業都市として成長し、マナウスを包み込む150万平方Kmの熱帯雨林は多くの天然資源を含み、大自然と近代工業都市が共存しています。
ZFMの成長はブラジルの経済状況の波に揉まれ、この半世紀に多くの危機を乗り超え、成長して来ましたが、太古の恵みを持つ大自然は右往左往する ZFMの人間共を見守って居るようです。
最近のブラジル政経の混乱ぶりには、唖然としておりますが此の当たりで、今一度ブラジル アマゾナス州の歴史を振り返り、将来への道筋を見定めたいと考えました。
丁度、以前 JETRO BRASILの最高責任者として大変お世話に成りました桜井悌司氏 より、日本―ブラジル中央協会のホームページに 「ブラジルを理解する為に」と題する連載エッセイへの投稿のご依頼を頂きましたので、是非 皆様に ブラジルの大アマゾンの歴史、現状、そして将来に付き お話しする又と無い機会と考え、喜んで投稿させて戴きます。
1-先ずアマゾン河 の話から始めましょう。
皆さん アマゾン河の年齢をご存知ですか、大凡、一千百万歳と言われています。
此の年齢は、ブラジル石油公団(ペトロブラス)がアマゾン河の油田探索の為に試みた2箇所の穿孔が 1千百8万年前の地層に到達し、アマゾン河は此の年代の地層で誕生した、と言う結論に達した訳です。
アマゾン河が流れるアマゾン平野は4億年まえに形成され、此の時代にはアメリカ大陸は未だアフリカと同じゴンドワナ大陸に属し、東西に貫く地溝帯が走り、ここには東西から海水が流れ込んでいる。やがて、3億年前頃には大陸東側が干上がり、海の侵入は西側からのみとなる。
時代は進み中生代白亜紀(1億4500万年~6,600万年)に至りゴンドワナ大陸は分裂を始め、アフリカ大陸とアメリカ大陸は分裂する。そして、南米大陸中心部では東より西側に流れ大平洋に注ぐ河川が形成された。
更に新生代新第三期に至り大陸西側には6000米級のアンデス山脈が隆起、行き場を失った水は平野部に停滞、巨大な淡水湖を形成した。そして時と共に水位を高めた湖はギニア高原とブラジル高原の間に流出路を形成し、大西洋に河口を設ける。
こうして アマゾン河の流れが出来上がって来たが、其の当時地球は氷河期で海面が低い為、湖水よりの河口へ向かう流れは急速度で長年湖水の底に溜まった堆積物を削りとり、平野に高台を作り、氷河期が終わり、海水面が上昇し海水が流れ込んでも、雨季で増水しても、水没しない高台(テーラフィルミ)が残り、現在でも多様な植生を抱く密林、又、年間を通じ耕作できる農地を形成している。
この様にアマゾン河は誕生しているが、上記の高台の形成とは反対に湖水の底の堆積物を削り流された為、アマゾン河の河低は非常に深い所が多い。
この様にして、アマゾン河は形成されたが、この形成過程の影響は現在も色濃く残されている。アンデス隆起以前は、東西より海水が流れ込み太平洋側に流れていた。河川には、海の魚が上って来ていた、又は東側からも入り込む海水に乗り海の魚が上って来て居た事が容易に考えられる。そこで、アンデス山脈が隆起すると東西の海から入って来た魚はアマゾンに閉じ込められ、現在マナウス周辺には 淡水魚に化した海の魚が多く見られる。恐らく、アマゾン平野に出現した淡水湖で育った事と想われる。
アマゾン河の話に欠かせ無いのは河川の“流域距離”である。河川の距離は、本流+支流の距離なので、色々な説 がある。アフリカのナイル川(6,671km)についで 2番目で 6,299km、6,400km、等の説が発表されている。
この河の源流はペルーのアンデス山脈にあるミスミ山と言われているが、ここからブラジル、マカパーの河口まで、の距離は6,400km、それに主要な支流の全体の長さは5万kmと成るので、赤道を一周した長さより長くなる。(ナショナルジオグラフィック協会調査)。
此の議論は、アンデス山脈の込み入った支流の発見等、今後も収まりそうも無いが、何れにせよ、世界で1、2の長距離河川として、間違い無い。そして、流域面積も又、580万~750万平方kmと数々の調査結果が出ている。ブラジルの地理統計局の公式流域面積は650万 平方Kmである。
上記で説明した様に、アマゾン河の深度は大変深く、河口より4000km上流迄、遠洋航海船舶が 上って行く。そして 標高は海面に対し、河口より1,700km、上流のマナウス港でも、海抜20m、3,800km、上流で80mしかない。殆ど動きを感じさせない、水流は 上流の膨大な水量で押し流れている訳だ。
前期 アマゾン河の生い立ちを 知れば 成るほど と思われる。河水の水量はやはり、幾つかの数字が出ているが、一般的に175,000トン/秒と言われている。この水量は全世界の河川水量の15-18%と言われている。マナウスの気候では11月頃より雨季に入り、翌年5-6月には最高位に達し、以後乾季に移り水位は下降し10-11月に最低となる。従って増水期は7-8ヶ月、減水期 は4-5ヶ月と言うサイクルである。
アマゾンの名称の由来も色々な説があるが、初めてアマゾン河をエクアドルのキトーより河口迄下った(1542年8月)フランシスコ オレリャーナと言うスペイン人の探検家が、途中でインヂオに襲われた時、先頭に勇敢な女性戦士を見て、これこそ、ギリシャ神話に出て来る女性族 アマゾネスに違いないと考え、此の地方をアマゾンと呼称し、その後 オレリャーナは第二次アマゾン探検で病死した為、アマゾネス族を発見できず、アマゾンと言う名称のみ定着した、と言われている。
以上アマゾン河の生い立ちを述べて来たが、この大アマゾン河は、人類が必要とする全ての要素をもたらしている。恐らく地球上でアマゾンほど人間が暮らし易い条件が整っている場所は無いであろう。
但し、原始的な生活ならば、である。 しかし、アマゾンで埋蔵されている天然資源は将来現代の人間社会に必ず貢献する時代が来る事も確実である。